第22話 鬱屈

文字数 1,580文字


 早朝、(リーアン)を訪ねてきたのは月龍(ユエルン)だった。
 亮が朝を苦手と知っている月龍が、このような時刻に現れるのは珍しい。
 なにか特別な事情でもあるのかと思う傍ら、頭の中はまだ半分以上眠っていた。臥牀(がしょう)の上に体を起こし、歩み寄ってくる月龍を呆然と見上げる。

「亮」

 なんだ、と返事をする間もなかった。突然、月龍に抱きしめられる。勢いで、押し倒された格好となった。
 (ショウ)月龍は殿下に惚れている。宮中に流布する馬鹿げた噂が、脳裏をよぎった。
 当然、眠気は一気に覚める。

「な、なにを――」
「教えてくれ、亮」

 焦る亮の耳元で囁かれたのは、震えた声だった。憔悴の色も見て取れる。

「――どうした」

 さすがに心配になってかけた声に、月龍は一瞬口ごもる。

「実は昨日、その――公主を抱いた」

 亮の頭に血が上ったのを、誰に責められよう。
 昨夜、なんなら泊まれと、蓮を唆したのは亮だ。そのような事態になることも、まるで想像していなかったわけではない。
 そもそも二人は恋人同士なのだから、おかしな話ではない。

 けれど、覚悟も諦めもしてやるが、報告までされてやる義理はない。
 とん、と月龍の胸を押して離れる。

「よかったではないか。それでなにを教えろと? おれは蓮を抱いたことはない。悦ばせ方なんぞ、訊かれても知らんぞ」

 口調にも声にも表れる苛立ちを、隠す気にもなれなかった。感情に任せた八つ当たり気味な発言に、月龍もむっと顔をしかめる。

「わかっている」
「ではなにを訊こうと言うのか」

 問いに、月龍はいつにも増して怒ったような顔で、昨夜のこととやらをぽつりぽつりと語り始めた。

 昨夜、精神を落ち着かせる薬を服用した。そのせいか、最中のことははっきりとは覚えていないが、眠る蓮の顔には涙が残っていた。
 自分が気づかなかっただけで、抵抗されていたのではないか、これからどうすればいい――要約すると、そういった内容だった。

「なんだ。お前、まだあの薬を使っていたのか」

 話を聞き終えて、真っ先に指摘したのはそのことだった。
 体に毒となり兼ねないものを摂取し続ける気が知れぬ、さっさとやめてしまえと、何度諌めたか知れない。
 眉をひそめた亮の苦言に、月龍も口の端をぐっと下方向に歪める。

「しばらくは絶っていた。公主の笑顔があれば、あのような物は必要ない」
「おれに言わせればその惚気も必要ないのだがな。それで? しばらくは絶っていたものを、何故使用した」
「それは」

 一言呟いて、再度口ごもった。顔はこちらを向いているのに、気まずそうに視線を横に流している。
 なにか言いたいことがありそうだった。遠慮する間柄でもないのにと思うと、無性に腹が立つ。

「それは、なんだ。言っておくが、その図体で拗ねられても可愛くともなんともないぞ。不気味なだけだ」
「ならば言うが、亮、お前のせいだろう」

 責罵の声に、たまらず、といった風に月龍が反論する。

「おれの?」

 予想外の台詞だった。身に覚えはない。

 ――否、あるか。
 一つだけ可能性に思い至り、おいおいおい、と呆れた。

「もしかして昨日、様子を見に行ってやれとおれが言ったせい、などとは言うなよ」

 だとすれば、限りなく言い掛かりに近い。

「なんなら泊まれとも言ったさ。それがいらん世話だったと言われればそうかも知れんが――」
「違う」

 亮が言い訳するのもおかしいが、黙っていられなかった。並べ立てる保身の言葉を、月龍が短く遮る。
 その後、少し考える素振りを見せてから言った。

「それもあるが、もっと違うことだ」

 それもあるのか。
 理不尽に思うが、そのことについてつついても問題はきっと進まない。不本意ではあるが反論を飲み込む。

「違うこと? 他には心当たりなどないぞ」
「一昨日のことだ、と言ってもか」

 月龍の目が、臥牀の上に向けられる。
 臥牀、一昨日――と言われれば、思い当たることは一つしかなかった。


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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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