第119話 信憑性

文字数 1,725文字


 勧められるままに(こしかけ)に座る。蒼龍の前に盃を置いた蓮が、向かい合う形で腰を下ろした。
 俯き、ぽつぽつと語られ始めた話は、とうてい信じがたいものだった。
 身分目当て、ましてや亮の身代わりなどとは馬鹿らしい。他の男に抱かれて来いだの、上官に蓮の身体を売った挙句に暴力を振るい、自分は他所に女をつくる――彼女の話が本当ならば、紛れもなく屑ではないか。

 月龍の周りを嗅ぎまわり、調べてはいたけれど、直接顔を合わせたのはほんの数回だった。だがその数回でさえはっきりとわかるほど、蓮に傾倒していた。異常な執着は、疑うべくもなかった。

 だからこそ蓮が語る月龍の言動に、信憑性を見出せない。

 けれど、蓮が嘘を口にする女ではないこともわかる。蒼龍を騙して、蓮に得もない。
 なにより、杏のようにふっくらとしていた頬は細くなり、顔色の悪さはやつれているとしか表現できないほどだった。表情、態度、容姿、変わった蓮のすべては月龍に起因すると考えた方が自然である。

 月龍は一体、なにを考えている? 思考が読めず、黙り込んだ。
 おそらく月龍の性質は、蒼龍に似ている。ならば冷血漢だろうとは推測できた。そう仮定した上で、考えてみる。

 本当に目当てが身分だけならば、傍に置くだけで関心は示さないだろう。暴力による束縛、まして犯してまで関係を持とうとするはずはない。
 ならばやはり、月龍の想いは蓮にあると考えるのが妥当だ。

 けれどそれでは、傷つける意味がわからない。惚れた女に、あえて嫌わせてなにになる。
 心を崩壊させ、表情を失った女を手元において、なにが楽しいというのか。

 否、理解できないのは月龍の言動だけではない。蓮の在り方も、謎だった。
 自我を押し殺してまでも、月龍の傍に居たいのか。それほどまでに、あの男が愛しいのか。

 ――何故、おれではいけないのか。

「あの人は君を侮辱し、挙句の果てには暴力まで振るった。最低の男だとは思わないか。何故そこまで尽くす必要がある」
「違うの」

 己の中に生まれた苛立ちの意味も、理解できなかった。御し得ぬ感情をそのまま舌に乗せれば、自然と月龍への非難になる。
 蓮が、慌てて頭を振った。

「月龍は悪くないの。悪いのは、私の方です。月龍の意に沿うことができないから――いつも、怒らせるようなことをしてしまうから。月龍が暴力を振るっているのではなくて、私がそのように仕向けてしまっているのだと――」
「それはあの人の受け売りか」

 とってつけたような弁明を、一言で遮る。黙り込むところを見ると、事実なのだろう。
 なにかが、胸の内でふつふつと音を立てる。

「あの人はただ、自分の罪を君になすりつけているだけだ。君の何処に非がある? 誰がどう考えたところで明白ではないか」
「でも――私は本当に、あの方をいつも苛立たせてしまうの」

 いけないと思うのに、語気が強くなる。
 それでも蓮は、まったく恐れない。もっと強い語調に慣れているせいか。
 ただ、眉根を寄せて笑う。

「私に望んでくれることが、どうしてもわからなくて。だから仰るとおりに行動すれば間違いないと思って、そうしてみるのだけど――やっぱり、怒らせてしまうの」
「それは――」

 そうだろう。相手がただ、都合のいい女ならばそれでいい。
 けれど蓮ならば――心を寄せた女性が我を失い、言うなりになって嬉しいはずがなかった。

「でも――でもね。時々だけれど、優しくしてくれることもあるの。そういうときはきっと、月龍の意に適った言動ができたのだと――」
「その気まぐれのような優しさが、君を月龍に繋ぎ止めている理由か」

 優しさが欲しいのならば、亮殿下でもいいはずだ。
 ――蒼龍でも。

「――言って下さるの、私が必要だと。手を上げた後に、謝ってくれることも。私でなくてはいけないと」
「だから? あの人が君を愛しているとでも言いたいのか」
「――わかりません」

 月龍を庇い立てる発言をしていた蓮が、ふっと俯く。

「私が亮さまの身代わりだと言われれば、納得もできるのです。印象が似ているのは、事実ですから。でも、より似せようと同じ香油を使ってみたのだけど、余計に怒らせてしまって」

 どうしてなのかと言いたげなため息に、返す言葉が見つからなかった。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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