第191話 懐かしい甘さ
文字数 1,264文字
差し出されたのはあの懐かしい、砂糖菓子だった。
「――これは、君が?」
「お出かけになるのでしたら、これも召し上がってからにしてください」
目前に置かれ、驚きながら訊ねる。返答は、蓮らしからぬ皮肉に彩られた笑みだった。
それでも嬉しかった。無気力だった頃に比べれば、こうやって憎しみをぶつけてくれた方がまだいい。
そう、これは憎しみの表れだった。ずっと月龍の好物だと勘違いしていた蓮だが、今では嫌いだと知っている。その上であえて差し出すのは、嫌がらせのつもりに他ならない。
――けれど。
「ありがとう」
礼と共に、口へと菓子を運ぶ。
蓮の目が、愕然と見開かれた。その表情に、ふと亮を思い出す。
甘い物が嫌いなことを知っている亮には信じられなかったのだろう。今の蓮もおそらく同様だと思えば、笑みも零れる。
あの頃は楽しかった。
思い出しながら噛みしめる口の中で、砂糖菓子の甘さが広がって行く。
この甘さが、昔は嫌いだった。亮が食べているのを見て味を想像するだけで胸やけを起こしそうな気がしていた。
だが慣れた今となっては、不快感はない。むしろ幸せな過去を回想できる、懐かしい味だった。
「旨いな」
ぽつりと独り言が洩れる。
「久しぶりだから、余計にそう感じるのか」
それ以上、言葉にならなかった。幸せな過去を思い出せて嬉しいのか、その過去と現在の状況を見比べて辛いのかは判然としない。
ただ目頭に集まった熱が、いけない、と制御の意思を持つより早く、滴となって頬を伝っていた。
涙が溢れ出して初めて、自分が泣いたことを知る。はっと口元を片手で押さえたあと、慌てて指先で涙を拭った。
「すまない」
ほぼ反射的に謝って、失態を誤魔化すように二つ目の菓子に手を伸ばす。
その手を、蓮がぴしゃりと払った。
「もう結構です」
「――え?」
「もう、召し上がって下さらなくても大丈夫です。ですからどうぞ、何処なりと行ってください」
蓮の目に、鋭い光が浮かんでいた。歪んだ眉にも、噛みしめられた唇にも、悔しさが滲み出ているようだ。
一瞬あっけにとられるが、すぐに了解する。嫌がらせのつもりで作ったのに、喜ばれてはそれは怒りもするだろう。
「――わかった」
すまない、とつけ加えて立ち上がる。
蓮に背を向けて歩き出す一歩目が、いつも辛かった。
月龍自身は、どのような状況にあっても傍に居たいと願っている。たとえば今のように嬲るのが目的だったとしても、遠ざけられるよりはまだいい。
しまったなと胸中で後悔する。砂糖菓子を口に放りこんだあと、嘘でも嫌そうな、辛そうな表情を作ればよかった。そうすればもう少し、蓮と同じ時間を共有できたのに。
背中に、蓮の視線が突き刺さっているのがわかる。いつもこうだ。月龍が出て行くとき、鋭い眼差しで背中を睨みつけている。
憎しみの表現なのだとは自覚していた。
だが、扉が蓮の目を遮る瞬間まで期待を捨てきれずにいる。待って、行かないでと呼び留めてはくれないかと。
月龍の浅ましい願望は今日も叶うことはなく、居間の戸が二人の間を断ち切った。
「――これは、君が?」
「お出かけになるのでしたら、これも召し上がってからにしてください」
目前に置かれ、驚きながら訊ねる。返答は、蓮らしからぬ皮肉に彩られた笑みだった。
それでも嬉しかった。無気力だった頃に比べれば、こうやって憎しみをぶつけてくれた方がまだいい。
そう、これは憎しみの表れだった。ずっと月龍の好物だと勘違いしていた蓮だが、今では嫌いだと知っている。その上であえて差し出すのは、嫌がらせのつもりに他ならない。
――けれど。
「ありがとう」
礼と共に、口へと菓子を運ぶ。
蓮の目が、愕然と見開かれた。その表情に、ふと亮を思い出す。
甘い物が嫌いなことを知っている亮には信じられなかったのだろう。今の蓮もおそらく同様だと思えば、笑みも零れる。
あの頃は楽しかった。
思い出しながら噛みしめる口の中で、砂糖菓子の甘さが広がって行く。
この甘さが、昔は嫌いだった。亮が食べているのを見て味を想像するだけで胸やけを起こしそうな気がしていた。
だが慣れた今となっては、不快感はない。むしろ幸せな過去を回想できる、懐かしい味だった。
「旨いな」
ぽつりと独り言が洩れる。
「久しぶりだから、余計にそう感じるのか」
それ以上、言葉にならなかった。幸せな過去を思い出せて嬉しいのか、その過去と現在の状況を見比べて辛いのかは判然としない。
ただ目頭に集まった熱が、いけない、と制御の意思を持つより早く、滴となって頬を伝っていた。
涙が溢れ出して初めて、自分が泣いたことを知る。はっと口元を片手で押さえたあと、慌てて指先で涙を拭った。
「すまない」
ほぼ反射的に謝って、失態を誤魔化すように二つ目の菓子に手を伸ばす。
その手を、蓮がぴしゃりと払った。
「もう結構です」
「――え?」
「もう、召し上がって下さらなくても大丈夫です。ですからどうぞ、何処なりと行ってください」
蓮の目に、鋭い光が浮かんでいた。歪んだ眉にも、噛みしめられた唇にも、悔しさが滲み出ているようだ。
一瞬あっけにとられるが、すぐに了解する。嫌がらせのつもりで作ったのに、喜ばれてはそれは怒りもするだろう。
「――わかった」
すまない、とつけ加えて立ち上がる。
蓮に背を向けて歩き出す一歩目が、いつも辛かった。
月龍自身は、どのような状況にあっても傍に居たいと願っている。たとえば今のように嬲るのが目的だったとしても、遠ざけられるよりはまだいい。
しまったなと胸中で後悔する。砂糖菓子を口に放りこんだあと、嘘でも嫌そうな、辛そうな表情を作ればよかった。そうすればもう少し、蓮と同じ時間を共有できたのに。
背中に、蓮の視線が突き刺さっているのがわかる。いつもこうだ。月龍が出て行くとき、鋭い眼差しで背中を睨みつけている。
憎しみの表現なのだとは自覚していた。
だが、扉が蓮の目を遮る瞬間まで期待を捨てきれずにいる。待って、行かないでと呼び留めてはくれないかと。
月龍の浅ましい願望は今日も叶うことはなく、居間の戸が二人の間を断ち切った。