第104話 提案
文字数 1,631文字
蓮が呆然と――愕然とした目で、月龍を見上げている。
マオミィが死んでから、十日以上が経った。あれ以降、蓮は決して涙を見せない。月龍が帰ってくると、笑顔で出迎えてくれる。
白々しい作り笑いと、無理に明るさを装った声。月龍が帰る直前まで泣いていたのだろうことは、目元を見ればわかる。
なのに何事もないかのように振る舞う蓮に、気づかぬふりをしているより他はなかった。
蓮の機嫌を取ろうと、なだめたりすかしたりもしてみる。けれど反応は変わらず、困ったような笑みを作るばかりだった。
マオミィに見せた微笑みが欲しくて右往左往し、結局は脅して暴力を振るう。
ああなにをしているのかと自己嫌悪して、それでも蓮の体温を求めて、最後は虚しい気分のまま眠りにつく――それが、月龍の日常だった。
それをどうにかして変えたいと思っていた矢先に、提案が持ちかけられた。
使える、と思った。悪辣な手法だが、蓮の気持ちを揺さぶることができる、と。
「あの――今、なんて……?」
帰ってくるなり切り出した話は、信じがたいものだったはずだ。引きつった顔で訊き返す蓮に、ふん、と鼻を鳴らした。
「聞こえなかったか。
続けた言葉に、聞き間違いではなかったことを知ったのだろう。瞠った蓮の目が、痛々しい。
――期待通りの反応だった。
「おれにとって悪い条件ではない。だから一晩、楊様の相手をしてきてほしい、と言った」
「でも――でも、一晩のお相手ともなれば、お酒の席での接待だけではなく――」
「まぁ、当然だろうな」
なにを今更、と首肯して見せる。
その男に声をかけられたのは、帰り際のことだった。
名を
月龍は楊闢を嫌っていた。高位の武官ではあるが、その地位につけた理由の半分は、諸侯の嫡男と言う身分のおかげである。
それだけではない。賄賂や裏工作を得意とし、着々と地位を上げていった。また、そうやって手に入れた権力の使い方が汚い男としても有名である。
もっとも、逞しい容姿はまず端正と言ってよく、黙っている分には充分女好きのする顔形をしていた。
しかし、女達への態度は月龍にも輪をかけて酷い。乱暴ではなく、慇懃無礼だった。冷酷というよりは残忍さがあって、その上好色を隠す気もない。
その楊闢が持ちかけてきた、非道な提案。それは月龍が、蓮の身分だけを欲して近づいたという仮定の下でしか成立しない。それが宮中での月龍の立ち位置であり、今では蓮さえそう思っている。
不愉快だった。目前で薄笑いで下衆な発言をする楊闢も、月龍を一向に信用する気のない蓮も。
不快に任せてつっぱねかけて、ふと気づく。この提案をぶつけることによって、蓮の本心を引き出せないだろうかと。
そこで、蓮に確認するなどと芸のない返答をし、帰ってきたのだ。だから蓮の顔色が、まるで音さえ立てるように血の気を失ったのを見て、満足だった。
「どうした。顔色が悪いぞ。――まさか、嫌だとでも言うつもりか?」
蒼白に染まった顔で俯き、かすかに全身を振るさせる蓮に、皮肉な口調を装う。
蓮は元来、自分に向けられる思慕の情や欲望などに疎いところがあった。それでも楊闢が向けてくる好色な目には気づいていたらしい。あからさまに示される劣情に、さすがの蓮も嫌悪感を覚えていた様子だった。
幼ければ幼いなりのよさがある――楊闢はいままでにもそう蓮を評し、それとなさを装ってはこの件を暗示してきた。
愚鈍な男を演じ、気づかぬふりをし続けていた月龍に、とうとうしびれを切らして直接口にしたのだろう。
溜まった涙が、琥珀色の瞳を揺らしていた。至極まっとうな反応に、思わず目を細める。
「断るはずはあるまいな。君はおれのためと言って、
口の端を吊り上げる月龍は、はっと上げた蓮の悲痛な顔を見た。