第34話 計略
文字数 727文字
「――はっ」
足早に去った二人を、座り込んだ姿勢のまま見送った。
後ろ姿が完全に視界から消えて――蒼龍はたまらず、口元を押さえる。
蓮がいつも、月龍の帰りを邸で待つのは知っていた。予定の時刻になっても彼女が来なければ、月龍が探しに来ることも予測済みだった。
予想外だったのは、月龍の反応だ。
どうせ身分目当てで近付いたと思っていたのだが、表情を見る限り、本気で惚れこんでいるようにしか見えなかった。
突然知らされた出自や蒼龍の存在には戸惑い、意味深長な憎悪にも動揺しただけだったのに、蓮の名を呼んだ瞬間に目の色が変わったのだから。
まさか、というのが正直な感想だった。
蓮の美貌は認めよう。だがそれは、数年後にはさぞ美しくなるだろうという推測であって、現在は童女にしか見えない。あの現状を、女として愛せる男がいるとは思ってもみなかった。
面白い誤算だ。計画に華を添えてくれることになろう。
口の端に溢れた血液を、指先で拭う。
月龍の拳は、よけようと思えばよけられた。あえて頬に受けたのは、蓮の気を引くためだった。
一、二発殴られることで、蓮が蒼龍には同情を、月龍には反感を抱くのであれば、安いものだ。
思惑通りにことが進んでいるのは、何度も振り向く蓮が浮かべた心配に現れていた。
大丈夫、と言う代わりに頷いて見せる。蓮も、月龍に気づかれぬほど極小さく、首肯した。
険悪なまま去った二人が、この後どのような状況に陥るのか。放っておいても、仲が破綻するかもしれない。
あっさり別人と見抜かれたときには胆も冷えたが、むしろいい方に向かっている。
自分が舐めた辛酸以上のものが月龍に降りかかるのだと思えば、胸の内から黒い笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。