第71話 決別
文字数 1,640文字
月龍が激高するのをわかっていて、あえて煽る性格の悪さは自覚している。
けれど、亮とて感情はあるのだ。怒りを抑えて接してやる義理はない。
「蓮はいいな。体は小さくて柔らかくて抱き心地もいいし、なによりあの声だ。最中にあの可愛い声で名など呼ばれては――今思い出しても、胸が震える」
芝居がかった仕草を自覚しながら、自分の体を抱きしめて見せる。
「まったく羨ましい限りだ。お前はあれを毎日堪能していたのだろう。たとえ蓮の方に気持ちはこもっていないくとも――」
「貴様っ!」
亮の台詞に、月龍が逆上する。当然だ、そう仕向けたのだから。
月龍の頭の中には、亮に抱かれ、悦びの表情を晒す蓮が浮かんでいるのだろう。
妄想を払おうとするように、月龍が亮の襟首を両手で掴み上げる。
「なんだ、また殴るのか」
掴み上げられ、喉は痛みと息苦しさを感じる。けれどそれを表には出さず、鋭くつり上がった月龍の目を平然と見つめ返した。
視線に揶揄を乗せる。そのように単純だから蓮の異変にも気付かないのだ、腕力しか取り得のない莫迦が、と。
月龍が、ギリ、と奥歯を鳴らす。眉根に寄せた皺をさらに深くしながら、亮の胸、喉元近くを突き飛ばした。
均衡を崩し、後方に数歩たたらを踏む。けほんと軽き咳き込んでから、改めて月龍を見やった。
「しかし何故それを知った。蓮がお前に言ったのか」
問いかけに、月龍は答えない。気難しい顔で黙り込んだ。
否定しないのは無言の肯定だった。亮は自分の親指に歯を立て、考える素振りを見せる。
「ならば、脈はあるということか」
「なに……?」
「それで? その話を聞いたお前はどうした。よもや、蓮にも暴力を振るったのではあるまいな」
本来、問い詰められるべきは亮の方なのだろう。間男の自覚はある。
しかし立場は、完全に逆転していた。
当然の結果ではあるのだろう。月龍は元来、口数の多い男ではない。詭弁じみた物言いで煙に巻くのが得意な亮に、舌戦で勝てるはずもなかった。
月龍は口を噤む。険悪が溢れていた表情に、気まずさが加わった。それが、亮の言葉が正しかったことを示している。
「――なるほどな」
鼻に皺を寄せて、不快を示す。
月龍が蓮との別れを決意した経緯、そして気持ちは理解できた。だからこそ身を引きもしたし、罪悪感も覚えたのだ。そうでなければとっくに、蓮を奪っていただろう。
そう、月龍の心情は理解できても、共感はできなかった。月龍の暴言は、到底許されるものではない。
けれど、蓮は今も月龍を想っている。月龍も蓮を愛している。
さすがに心を入れ替え、蓮を大切にしてくれると思っていた。それだけで充分だと己の感情を殺し、二人を見守ろうと決心したのに。
ふんと鼻を鳴らして、嘲笑を口元に閃かせる。
「おれの態度次第で出方を変える――お前は先程そう言っていたが、実はおれもそのつもりだったのだ。これで肚も決まった」
自分の超然とした態度が相手を威圧するのはわかっていた。それを承知で、冷笑を刻んで見せる。
月龍は見えない壁に押されるように、一歩、後退した。
「どういうことだ」
「なに、簡単なことだ。蓮を返してもらう」
笑みを刻んだまま、宣言する。
「お前はもう、充分に楽しんだだろう。夢が終わる、それだけのことだ」
「――なっ」
「そもそも蓮は、公主と呼ばれる身だ。お前のような、下賤な成り上がり者と釣り合うはずもない。元々おれの許嫁だったのだし、立場的にもやはり、おれの方が相応しかろう」
下賤な成り上がり者――ことさらに強調して言ったのは、悪意以外のなにものでもなかった。
月龍とは子供の頃から、何度も喧嘩をくり返してきた。殴り合いも口論も、数え切れない。
けれど出自に関してだけは、触れたことはない。他の部分でどれだけ貶そうとも、それだけは禁忌だと思っていた。
出自ではない。育ちでもない。月龍の人格自体が下賤だと罵ったのだ。