第184話 不釣り合いな正装

文字数 891文字


 蒼龍が正装に袖を通したのは、冠礼の儀以来のことである。
 月龍から華燭の典への列席を頼まれたあと、拵えたものだ。
 だが、急拵えで仕立てが悪いわけでもないのに、違和感が拭えない。自分に正装が似合うとは思えなかった。
 月龍を陥れ、蓮を悲しませた自分が晴れの席にいることを許される気がしない。

 欝々とした気分ではあったが、参列しないという選択肢はすでにふさがれていた。
 後々のために蒼龍の顔を公にしておく必要がある、すべては蓮のために――そう言われれば断れるはずもなかった。

 月龍邸の門に、これほどの重圧を覚えたの初めてだ。中からは、常ならぬ賑やかな人の声が聞こえてくる。
 このまま逃げ出したいのを堪え、重い足を引きずりながら邸内へと入った。

「邵殿!」

 体躯の大きさのせいもあるのか。蒼龍の姿は目立つらしく、入った途端、見知らぬ人物に声をかけられる。
 高位の文官だろうか。さほど長身でもなく、痩躯を豪奢な正装に身を包んだ姿には、威厳が感じられる。温厚そうな顔に満面の笑みを浮かべて、蒼龍の肩を叩いた。

「花婿がこのようなところでなにをしている。落ち着かんのはわかるが、堂々と構えていなければ」

 敵意は感じられない。見た限りでは、月龍に好意的な人物のようだ。
 仕方のないこととはいえ、蒼龍のことを完全に月龍だと思いこんでいる。誤解されたままでは月龍に不都合が出るのではないか。

「申し訳ございません。私は(ショウ)飛羐(ヒユウ)ではなく……」
「なにを莫迦なことを言っている」

 丁寧な調子で否定しかけるも、遮る勢いで一蹴された。
 好意的ではあるが、それほど親しい間柄でもないのだろう。「邵殿」と姓で呼ばれたことからもそれは窺える。
 年齢も上であるから、友人と言うよりは仕事上の付き合いなのだろう。
 亮でさえ、一見では月龍と見間違えた。多少否定して見せたところで、信じてもらえるだろうか。

「前祝とでも称して飲み過ぎたか? 困ったものだ」
「いえ、私は本当に――」
「蒼龍!」

 それでも、月龍と思いこまれたままでは困る。再度言葉を重ねかけたところで、聞き覚えのある声がした。
 二人とも、蒼龍の名を呼んだ人物へと目を向ける。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み