第178話 兄弟
文字数 1,969文字
「だがおれが死ねば、蓮は寡婦となる。以前、
穏やかなまま、淡々と語る。辛くないはずもないのに、やはり表情は動かなかった。
「寡婦の再婚は難しい。だがその相手が亮――王太子であれば、文句を言うものはおるまい」
権力にものを言わせる方法は、決して珍しくない。まして亮と蓮は、月龍の存在がなければ今頃も婚姻関係に到っていたはずだ。元あるべき姿に戻ったと思われるだけで済むだろう。
「そしてもう一人、正当性を持つ相手がいる。蒼龍、お前だ」
「おれが?」
「そうだ。お前とおれは兄弟だから、おれと蓮の間に子供がなければ、兄弟であるお前が蓮を娶る理由になる」
たしかにそのような習わしが古来にあったのは知っている。
子をなさずに死んだ男の妻を、男の兄弟が娶る。二人の間に子供が生まれると、その最初の子は死んだ男の血脈という扱いになるのだ。
月龍の子孫を残すためとの言い分があれば、蒼龍と一緒になっても蓮を悪くいうものはいないだろう。
もっとも、子供の産めない体であることを知られれば問題にもなろうが、あえて吹聴する必要はない。
「蓮はようやく、愛するお前と一緒になれる。お前も蓮を愛しているならば、今度こそ蓮は幸せになれる」
それで「お前にならば任せられる」となったのか。
「――ばかばかしい」
理解すると同時、吐き捨てる。
「蓮が、あなたが死んだ後におれと一緒になる? あり得ない。そのようなことを望むくらいなら、あなたとの結婚など最初から受け入れるはずがない。蓮が了承したというなら、あなたの傍にあることを望んだからだ」
「それは――」
「蓮もおれも、もしそのつもりならあなたの意向になど構わない。今すぐ蓮を攫って逃げる」
「――ああ、それもいいかもしれないな」
さすがに、ふざけるなと激高してほしかった。
なのに月龍は、飄々と受け入れる。
「代わりと言ってはおかしいが――おれを殺していってほしい」
「なにを莫迦な」
「そういえば最初、お前は成り替わりを企てていたのだろう? 今ここでおれを殺し、おれのふりをして蓮の元に戻ればいい」
言いながら考えを纏めてでもいるのか、口元に手を当てながらさらに続ける。
「たしかにいい案かもしれない。そうしたらお前と蓮はすぐに幸せになれる。おれは――『
本心から言っているのだろうか。月龍の口元に滲む満足げな色が不気味だった。
「あなたの名を名乗らないと言ったら?」
ぎり、と奥歯を噛みしめる。
「あなたを殺しもしない。そして蓮を連れて逃げ、蒼龍の名のまま生きる。あなたの望みはかなわない」
「それは――おれは拒絶できる立場にはないが、ともかく構わない。殺してくれないと言うなら、自分で手を下すまでだ」
何事もないかのように、さらりと自害すると言ってのける神経が信じられなかった。
「蓮は幸せになれる、おれはこの状況から逃れられる。だからどちらでも構わない」
言いながらまた、最後には笑顔になる。
「あとはお前が決めてくれ」
卑怯だ。蒼龍は正面から月龍を睨む。
お前が決めろ、などと言うが、蒼龍に選ぶ道などないに等しかった。
月龍が提示した最初の案を呑まなければ、どちらにせよ死ぬ、と彼は言っている。
死なせたくなければ、という脅しならばまだいい。だが彼が本気で死ぬことを希望している以上、命を絶とうとするのは疑いない。
「――わかった」
声は嘆息に乗る。
「あなたが蓮と結婚して――戦死を遂げたら、そのあとはおれが引き受ける」
この条件を呑むことで、とりあえず時間を稼ぐことができる。
「承知してくれるか!」
蒼龍の返答に、月龍が嬉しそうな声を上げる。
あなたは本当にそれでいいのかと、喉元まで出かかっていた。本当にそれを望み、実現して嬉しいのかと。
だが問いかけは無駄だとわかっているから、言葉を飲みこんだ。
「――なぁ、蒼龍」
微笑んで首を傾げた月龍が、呼びかけてくる。
「おれ達は出会い方を間違えたのだろうな。何事もなく、幼い頃から共に育っていたとしたら、今頃、同志となれていたかもしれない」
共に育っていれば――虚しい過程だった。
そうしたら、たとえ敗れたとしても相手を素直に祝福できたのではないか。
月龍と蒼龍が仲の良い兄弟であれば――そうありたいと望む自分の本心に、蒼龍が気づいてさえいれば。
「――そう、だな」
頷いて、無理に浮かべた笑みで返す。
あの日――嫉妬から、月龍に偽言を吹きこんだあの日のことを、一生悔いることになるだろう。
妙に晴れがましい月龍の笑顔を見ながら、そう確信していた。