第31話 際会
文字数 2,087文字
夢を見ているのだろうか。月龍は現状を疑う。
雨降って地固まるとはよく言ったもので、あれ以来蓮との仲は良好だった。
蓮が望んでくれた通り――そして月龍が望んだ通り、彼女の名を呼べるようになった。くだけた態度も、最初のうちこそぎこちなかったものの、今では自然に振舞える。
以前は亮の部屋で会っていたが、蓮が月龍の邸で帰りを待つようになったのも、進歩だった。
愛を語るでもなく、抱き合うのでもない。
二人きりで穏やかな時間を過ごす。それだけで充分だった。
――充分な、はずだ。
幾度も触れたいと思った。けれど衝動に駆られる度に、蓮の泣き顔が脳裏に浮かぶ。
蓮は、美貌、才覚、魅力、すべてを兼ね備えた亮を前に育った。亮と比べれば、月龍程度では見劣りする。
辛い想いをさせた自覚もあった。これ以上失望されれば、愛想を尽かされるかもしれない。
不安は、常に付きまとう。それでも蓮が傍にいて、微笑みかけてくれるだけで幸せなのも事実だった。
いつもよりもかなり早く仕事が終わった今日のような日は、その分長く蓮と過ごせる。
笑顔を期待して帰った月龍を待っていたのは、予想に反して、以前と同じ無人の空間だった。
けれど、別段疑問は抱かなかった。
待ってくれていることが常ではあったが、いつもそうだとは限らない。この時間になってもいないということは、初めて会った花畑に行っているのだろう。
月龍が帰宅すると、部屋に花が飾られていることも度々あった。そのようなときは、従者と花畑へ行ってから来ているのだろうと推測していた。
おそらくは、今日も。
迎えに行こうと思ったのは、気まぐれだった。
待つのもいいけれど、早く蓮に会いたい。きっと道中で行き合うから、従者とはそこで別れ、月龍の馬に二人で乗って帰ればいい。
どうせすぐに会うと高を括っていた。
だが行けども行けども、蓮も従者もいない。さほど広い道ではないから、すれ違って気付かぬはずはなかった。
こちらが一番通りやすい道だから、あえて他を選ぶとも思えない。
結局蓮に会えぬまま、花畑のすぐ近くまで来てしまった。
もしかしたらここには来ていないのか。だとしたら今頃、邸で待っているかもしれない。
待たせたくはない。
急いで馬首を巡らせようとして、視界の端に馬が停められているのが映る。
邑からは半端に離れている上、入りこむ形になるので、この場所を知る者は少ない。もちろん皆無ではないが、ここで他者に会うのは初めてだった。
否、蓮の可能性はある。従者と共に訪れるときには、馬車が多い。だが、馬で来ないとも限らなかった。
とりあえずは確かめてみようと下馬し、花畑へと進む。
もうそろそろ冬だ。
春や夏には色とりどりに花が咲き乱れているが、今は茶褐色と緑が多い。それでも咲いている花はあるから、点々と鮮やかな色も見える。
この点在する花を集めるのだから、春と違ってかなり探し、歩きまわらなければなならない。二人で来たときにも夢中になり、時間を忘れることは多々あった。
今日もそうなのだろう。花畑の中に人影を見つけて、安堵と共に思う。
遠目でもわかる、蓮だ。
片腕に、花束を抱えている。こちらを向いているから、顔も見えた。
花すら霞む、夢の中のような美しい光景が広がっていた。
緩みかけた頬は、けれど相好を崩すには到らなかった。蓮が、こちらを向いているにも拘らず月龍に気づかないのは、傍に立つ男に視線を向けているからだ。
まずそれが面白くない。
蓮の表情を見る限り、打ち解けた様子だった。誰にでも親しみをもって接する蓮のこと、決して特別ではない。
なのに何故か、胸騒ぎがする。
背を向ける形で立っているから、男の顔は見えない。後ろからでもわかる、がっしりとした体格だった。
身長も随分と高い。月龍と同じくらいか。
新しく入った護衛かとも思ったが、違う。それにしては、何処かおかしい。後ろ姿だけでも、従者とは違う貫禄が感じられた。
がさりと、歩みを進める足が、草を踏み分ける。音に気づいたか、蓮の視線が動いた。
「月龍!」
嬉しそうな声と、満面の笑み。いつもと同じ愛らしさだった。蓮の目を追って、男も振り返る。
口の端に笑みを滲ませたその顔にこそ、月龍は絶句した。
――これは、夢か。
足は地面を踏みしめているはずなのに、何処か痺れたように感覚が鈍い。信じ難い思いに、ただ立ち尽くす。
男はやはり、護衛ではなかった。
華美ではないが、衣服の質はかなりい。結い上げた髪に挿した女物の
玉の耳飾りもつけていた。このような物が似合う男は亮くらいだと思っていたが、その男は見事に着こなしている。無骨な月龍には、到底似合う代物ではない。
それらをはるかに凌駕する感情は、驚愕。
月龍はここにいる。間違いなく、自分が月龍のはずだ。
なのに何故、蓮の隣りにも月龍の姿がある――?
他人の目で、月龍と蓮が並び立つ姿を見るなど、夢の中ではない限りありえない。だが今、そのありえない光景が目前に広がっていた。