第96話 助勢

文字数 997文字

「――これはまた」

 月龍が訥々と語った「願い」を聞き終えた趙靖が、短く呟く。驚いたような、呆れたような一言だった。
 当然の反応だろう。おそらくはこのような申し出など、まったく想定していなかったはずだ。
 ありえないと批判されるかもしれない。せっかく好感に傾いた趙靖の機嫌を損ねる可能性すらあった。

「なかなかに厳しいことを頼まれてしまったな」

 口元に手を当て、ふむ、と低く唸る。幸いにして怒りを買わずにはすんだらしい。
 軽く伏せた目が、ゆっくりと左右に揺れている。

「それが貴官の気持ちか」

 質問ではなく、確認だった。すでに叩頭していたけれど、さらに身を低くする。
 床に這いつくばる格好になった月龍へと降ってきた言葉は、思いの外穏やかなものだった。

「正直な話をすれば、なにもそこまでする必要はないと思うが――まぁいい。提案自体は気に入った」
「それでは――!」
「尽力しよう。陛下にも、私から話を通しておく」

 力強い一言だった。趙靖は敵に回すには恐ろしく、味方につければこれ以上はない存在だ。
 立場、身分だけではない。その為人故に、周囲からも一目置かれている人物だ。
 その趙靖が後ろ盾として動いてくれる。

 無論、今までも亮の助勢はあった。だがそれは幼馴染の縁故――龍陽の寵などと疑われることも多かった。
 けれど趙靖の場合は違う。妹を溺愛していることは有名であるし、その蓮を奪っていこうとする男は敵視されるはずだ。
 なのにその男のために尽力すると約束してくれた。周知されれば、それだけでも「あの趙靖に認められた」と評価されるだろう。
 そのような打算を抜きにしても、この人の信頼を勝ち得たのならば喜ばしい限りだった。

 ――その中に、兄君に信用されれば蓮も信じてくれるだろう、との期待も含まれていることは、否定できないけれど。
 否、蓮に信じてもらうために提示した「願い」だ。今すぐではなくともいずれは必ず――そう願わずにはいられない。

「ありがとうございます」

 幾度目になるかわからぬほどの深い礼に、趙靖がくすりと笑う。

「まぁ気が変わったら、いつでも申し出てくれて構わない。なんとでもしてやろう」

 言葉を交わすほどに、大胆な性格が見え隠れする好人物だった。
 いつかこの人と蓮、そして亮と、皆で笑い合える日が来るだろうか。
 期待を抱くのは、甘いのかもしれない。それでもいつかはきっと、そう願わずにはいられなかった。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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