第13話 邪心
文字数 2,519文字
大乙は商の領主で、徳に優れていると評判だった。豪傑ではないが、知を弁えた君子然たる男だと、亮も認識している。
その大乙が捕らえられたのは、そもそも無実の罪だった。人民の尊敬を集める大乙を、王が危険視したせいである。
反乱の予兆ありとして捕らえた行為を、賢明だったとは思えない。
しかし不安に任せて殺すのではなく、捕らえている分には安心だった。頭目と仰ぐべき人物の身を案じれば、不用意に動けるはずがない。
決して最良の手段ではないが、結果としては最高最大の人質を手に入れたことになる。
けれど、商の要職にある者達が妹喜 に財宝を差し出した。宝玉に目が眩んだ妹喜に進言されて、大乙の釈放を決定したらしい。
大乙が王に抱く怒りは、想像を絶する。自由を得れば必ず、乱を起こすだろう。
亮の進言は、欲に溺れた父王の耳に届かない。
亮を歯牙にもかけず、憎悪すらしている父王が言を入れてくれるなどとは、最初から思ってはいなかった。
だが、破滅の道を邁進する父を、放って置くこともできなかったのだ。
当然ながら、亮の覚悟は報われなかった。会いたくもない人に会った結果、なんの実りも得られなければ、憂鬱にもなる。
ため息を見上げる蓮が、首を傾げた。不思議そうな中にも、同情が見える。
亮が髪を結い上げ、正装をするのは王に会う時だけだ。蓮も知っているから、話の内容まではわからずとも、亮の気持ちは推測できるのだろう。
どうしたのかと尋ねないのが、蓮の優しさだ。
慰めるような笑みを向けてくれる蓮に、眉を歪めて笑い返す。
「ともかく、そういうことだ。あまりおれに関わっていては、月龍に振られるぞ」
わざとふざけた口を叩くのは、気まずさをごまかすためだった。心情を察したのか、蓮が困ったように笑う。
蓮と供だって部屋に戻ると、花を花瓶に活けた。上着を脱いで髪を解き、堅苦しい正装からいつもの気楽な服装に戻る。
蓮はいつもの通り牀 に腰かけ、亮も臥牀 の端に座った。途端、憂鬱なため息が洩れる。
蓮が、くすりと笑った。
「随分とお疲れみたい。私に構わず、どうぞお休み下さい」
優しい笑顔に、安堵する。
この微笑を見たいがために、月龍の嫉妬を承知で訪問を拒めないのだ。蓮への甘えを自覚して、仰向けに倒れ込む。
「確かに疲れてはいる。眠りたいのも山々だが、少々悩みごとが多すぎてな。どうにも眠れそうにない」
悩みごとはなんですかと、尋ねられることはない。
蓮の前では優しく、頼れる男でありたかったから、幼い頃から極力弱音を吐かないように努力している。悩みの内容など、具体的に話したことはなかった。
もっとも、父王と会った後はその努力も虚しく終わることが多い。
口の端から、つい零れ落ちた愚痴に、蓮の眉が心配げに歪んだ。
しまったと気づいた亮が、慌てて言い訳を並べるより、蓮がぱっと顔を明るくさせる方が早かった。
なにやら思い付いたのか、立ち上がると亮の方に小走りで駆けて来る。隣に座って沓 を脱ぐと、そのまま臥牀に上に上がった。
「おい蓮、お前一体何を」
さすがに驚き、目を瞠って体を起こす亮に、蓮は至って落ち着いた様子だった。正座をして、ぽんぽんと自分の膝を二度叩く。
「膝枕。子供の頃、亮さま、よくして下さったでしょう? そうすると悲しくて泣いていても、不思議と寝付いてしまって。だから」
さも良案を思いついたような蓮に、返すべき言葉を失った。
確かに幼い頃はそうだった。だが今は子供ではないし、なによりも話が違い過ぎる。
あの頃の蓮が泣く理由と言えば、飼っていた小鳥が逃げ出したとかいった程度のものだ。国家存亡の危機とは、比べるまでもない。
「亮さま」
相変わらずにこにこと笑う蓮の勢いか、それとも自分の欲に負けたのか。亮は結局、蓮の膝に頭を預ける。
柔らかくて、心地いい。
子供だ子供だと思っていた蓮の体は、こうして触れてみると確かに女だった。
気づくのがもう少し早ければ――月龍に奪われる前であれば、独占もできたのに。
後悔も知らず、蓮が優しい手付きで亮の髪を撫で付ける。冷たい指先が、頬や顎にも触れた。
――柔らかな仕草と感触が、亮の本能を刺激する。
かっとして、蓮の手を掴んだ。
常ならぬ乱暴さに驚いたのか。瞠った蓮の目と、視線がぶつかる。
眼差しの鋭さを自覚して、亮は目を伏せるのと同時、蓮の白い手を離した。
「やめておけ。妙な気を起こすぞ」
困るだろうと、冗談めかして言うのが精一杯だった。
蓮が首を傾げる。
「妙な気?」
それはどのような気分かとでも問いたげな、思案顔だった。
思わず、脱力する。
なんという幼さ。蓮のよさではあるが、世間の感覚からずれているのは否めない。
おそらくそうだろうとは思っていたが、この分ではやはり、月龍とはまだなにもないのだろう。
「なんでもない。気にするな」
答えてそっと、蓮の腰に手を回した。
邪まな考えが湧き上がってくる。
まだ月龍のものになっていないのであれば、遅くないのではないか。
このまま押し倒して、自分のものにしてしまえばいい――囁く声が、心の中から聞こえた。
「――しかし、このようなところを見ては、月龍が嫉妬で狂うぞ」
月龍の名を出したのは、理性を呼び覚ますためだった。
亮の心情も知らず、蓮がさもおかしそうに笑う。
「あら、きっと平気です。他の方ならいざ知らず亮さまですもの。従兄弟で、幼馴染で――私にとって大切な方だと、わかって下さっていますわ」
無邪気な言葉に、そうならばいいがと苦く思う。
月龍としては恐らく、亮だからこそ不安になるのではないか。二人の親密さを、口にこそ出さないが不快に思っているのは知っていた。
もっとも、月龍には悪いが嬉しくもあった。
亮と蓮は、確かに特別だった。恋人ではなくとも、二人の間には共に過ごした時間がある。
これから先、月龍に対する蓮の気持ちが更に強くなったとしても、関係ない。二人が結んだ絆は、この先離れ離れになることがあっても消えることはないだろう。
その喜びが、亮に悲劇的な現実を忘れさせる。
蓮の体温を感じながら、心地いい眠りに引きこまれていく自分の調子の良さに、亮は苦笑した。
その大乙が捕らえられたのは、そもそも無実の罪だった。人民の尊敬を集める大乙を、王が危険視したせいである。
反乱の予兆ありとして捕らえた行為を、賢明だったとは思えない。
しかし不安に任せて殺すのではなく、捕らえている分には安心だった。頭目と仰ぐべき人物の身を案じれば、不用意に動けるはずがない。
決して最良の手段ではないが、結果としては最高最大の人質を手に入れたことになる。
けれど、商の要職にある者達が
大乙が王に抱く怒りは、想像を絶する。自由を得れば必ず、乱を起こすだろう。
亮の進言は、欲に溺れた父王の耳に届かない。
亮を歯牙にもかけず、憎悪すらしている父王が言を入れてくれるなどとは、最初から思ってはいなかった。
だが、破滅の道を邁進する父を、放って置くこともできなかったのだ。
当然ながら、亮の覚悟は報われなかった。会いたくもない人に会った結果、なんの実りも得られなければ、憂鬱にもなる。
ため息を見上げる蓮が、首を傾げた。不思議そうな中にも、同情が見える。
亮が髪を結い上げ、正装をするのは王に会う時だけだ。蓮も知っているから、話の内容まではわからずとも、亮の気持ちは推測できるのだろう。
どうしたのかと尋ねないのが、蓮の優しさだ。
慰めるような笑みを向けてくれる蓮に、眉を歪めて笑い返す。
「ともかく、そういうことだ。あまりおれに関わっていては、月龍に振られるぞ」
わざとふざけた口を叩くのは、気まずさをごまかすためだった。心情を察したのか、蓮が困ったように笑う。
蓮と供だって部屋に戻ると、花を花瓶に活けた。上着を脱いで髪を解き、堅苦しい正装からいつもの気楽な服装に戻る。
蓮はいつもの通り
蓮が、くすりと笑った。
「随分とお疲れみたい。私に構わず、どうぞお休み下さい」
優しい笑顔に、安堵する。
この微笑を見たいがために、月龍の嫉妬を承知で訪問を拒めないのだ。蓮への甘えを自覚して、仰向けに倒れ込む。
「確かに疲れてはいる。眠りたいのも山々だが、少々悩みごとが多すぎてな。どうにも眠れそうにない」
悩みごとはなんですかと、尋ねられることはない。
蓮の前では優しく、頼れる男でありたかったから、幼い頃から極力弱音を吐かないように努力している。悩みの内容など、具体的に話したことはなかった。
もっとも、父王と会った後はその努力も虚しく終わることが多い。
口の端から、つい零れ落ちた愚痴に、蓮の眉が心配げに歪んだ。
しまったと気づいた亮が、慌てて言い訳を並べるより、蓮がぱっと顔を明るくさせる方が早かった。
なにやら思い付いたのか、立ち上がると亮の方に小走りで駆けて来る。隣に座って
「おい蓮、お前一体何を」
さすがに驚き、目を瞠って体を起こす亮に、蓮は至って落ち着いた様子だった。正座をして、ぽんぽんと自分の膝を二度叩く。
「膝枕。子供の頃、亮さま、よくして下さったでしょう? そうすると悲しくて泣いていても、不思議と寝付いてしまって。だから」
さも良案を思いついたような蓮に、返すべき言葉を失った。
確かに幼い頃はそうだった。だが今は子供ではないし、なによりも話が違い過ぎる。
あの頃の蓮が泣く理由と言えば、飼っていた小鳥が逃げ出したとかいった程度のものだ。国家存亡の危機とは、比べるまでもない。
「亮さま」
相変わらずにこにこと笑う蓮の勢いか、それとも自分の欲に負けたのか。亮は結局、蓮の膝に頭を預ける。
柔らかくて、心地いい。
子供だ子供だと思っていた蓮の体は、こうして触れてみると確かに女だった。
気づくのがもう少し早ければ――月龍に奪われる前であれば、独占もできたのに。
後悔も知らず、蓮が優しい手付きで亮の髪を撫で付ける。冷たい指先が、頬や顎にも触れた。
――柔らかな仕草と感触が、亮の本能を刺激する。
かっとして、蓮の手を掴んだ。
常ならぬ乱暴さに驚いたのか。瞠った蓮の目と、視線がぶつかる。
眼差しの鋭さを自覚して、亮は目を伏せるのと同時、蓮の白い手を離した。
「やめておけ。妙な気を起こすぞ」
困るだろうと、冗談めかして言うのが精一杯だった。
蓮が首を傾げる。
「妙な気?」
それはどのような気分かとでも問いたげな、思案顔だった。
思わず、脱力する。
なんという幼さ。蓮のよさではあるが、世間の感覚からずれているのは否めない。
おそらくそうだろうとは思っていたが、この分ではやはり、月龍とはまだなにもないのだろう。
「なんでもない。気にするな」
答えてそっと、蓮の腰に手を回した。
邪まな考えが湧き上がってくる。
まだ月龍のものになっていないのであれば、遅くないのではないか。
このまま押し倒して、自分のものにしてしまえばいい――囁く声が、心の中から聞こえた。
「――しかし、このようなところを見ては、月龍が嫉妬で狂うぞ」
月龍の名を出したのは、理性を呼び覚ますためだった。
亮の心情も知らず、蓮がさもおかしそうに笑う。
「あら、きっと平気です。他の方ならいざ知らず亮さまですもの。従兄弟で、幼馴染で――私にとって大切な方だと、わかって下さっていますわ」
無邪気な言葉に、そうならばいいがと苦く思う。
月龍としては恐らく、亮だからこそ不安になるのではないか。二人の親密さを、口にこそ出さないが不快に思っているのは知っていた。
もっとも、月龍には悪いが嬉しくもあった。
亮と蓮は、確かに特別だった。恋人ではなくとも、二人の間には共に過ごした時間がある。
これから先、月龍に対する蓮の気持ちが更に強くなったとしても、関係ない。二人が結んだ絆は、この先離れ離れになることがあっても消えることはないだろう。
その喜びが、亮に悲劇的な現実を忘れさせる。
蓮の体温を感じながら、心地いい眠りに引きこまれていく自分の調子の良さに、亮は苦笑した。