第37話 目論見

文字数 2,156文字


 本当はその夜、蓮を離したくなかった。
 結ばれた余韻に浸り、ぬくもりを抱きしめながら眠れたら、どれだけ幸せなことだろう。
 しかしただでさえ、蓮の兄、趙靖(チョウセイ)に疎まれているはずだ。外泊などさせて、余計に機嫌を損ねるわけにはいかなかった。
 月龍が望めば、蓮は応えてくれる。それを実証できただけで、今は充分だった。
 蓮を邸まで送り、その足で亮の元へと向かった。やって来た月龍に、亮は眉をひそめる。

「なんだ、このような時刻に。蓮となにかあったか」

 いっそ別れた、などと言ってくれれば笑い飛ばしてやる。
 最後にはにやりと口元を歪める亮に、むっと顔をしかめた。

 確かに蓮と出会って以降は、彼女絡みの相談でしか訪れてはいない。毎度のようにからかわれながら、それでも他に頼れる者もなく、つい亮に甘えてきた。
 だから訪ねて来たことを蓮と結び付けられても無理はない。
 無理はないが、面白くもなかった。実際に、自らの出自よりも蓮の心変わりの可能性にこそ動揺しただけに、尚更だ。

「考えた」

 卓の前で胡坐をかいて座る。たった一言の発言に、亮は面白がるように片眉を上げた。

「ほう、これは珍しい! お前が物を考えるとはな。どうやって元譲(ゲンジョウ)殿を口説くか、妙案でも思い付いたか」
「茶々を入れるな」

 ふざけていられる内容ではない。月龍では決して叶わぬ、靖の字をさらりと呼ぶことにもやっかみもあり、多少辟易としながら嗜めると、亮もわずかに神妙な顔になる。

「ふん、しかしちょうどいいところに来たものだ。おれもお前に話があってな」
「話?」

 亮から月龍に話があるのは、月龍が物を考える以上に珍しい。いつも一方的に相談事を持ち込むのは月龍だ。
 その逆で考えられるのは――政治絡みの話か。
 月龍の顔も、自然と険しくなる。

「ああ、おれの話は後でいい。今はお前の話だ」

 身を翻した亮が、月龍の向かいに腰を下ろす。ふわりと香油の香りがした。
 蓮と種類は違うはずだが、花の香――けれど彼女のような甘さはなく、亮によく似合う何処か妖艶な香りだった。
 卓に肘を付き、気だるそうに長い髪をかき上げる仕草にも、色気が漂う。伏せた目元は、蓮にも劣らぬ程長い睫毛が縁取っている。半開きの目の中にある瞳は、琥珀のようだった。
 宝玉の輝きをわずかに持ち上げ、月龍を真っ直ぐに見つめ――

「――月龍? どうした」

 呆然とする月龍を怪訝に思ったのだろう。眉根を寄せられて、我に返る。
 亮とはすでに、十数年来の付き合いだ。顔などもう、見飽きるほどに見ているはずなのに。

「否、別に」

 お前の美しさに見惚れていたなどと言えるはずもない。軽い咳払いで誤魔化す。

「それほどの大事か」

 口元を覆う仕草を、大事のあまりと判断したのか。
 誤解してくれたことに安堵し、けれど事の大きさを思い出して深呼吸する。

「双子だ」
「――は?」

 唖然とする反応は当然のもの。見開かれた目に、頷き返す。
 亮は頭を抱えた。

「待て月龍。おれが阿呆なのか? 話が全く見えん。もう少しわかるように話せ、阿呆」

 最後には月龍を阿呆呼ばわりするのが亮らしい。
 また、そう言われて初めて説明不足に気づくのも月龍らしかった。ぽつぽつと事情を話し始める。

 蒼龍と名乗る男と会ったこと、蓮は以前から彼の存在を知っていたこと、(セツ)の子息であり、月龍に明らかな敵意を向けていたこと――

「蓮の膝枕の件。お前は事情を説明したと言うが、おれは聞いていない。それは、お前が会ったのがおれではなく、あの男だったからではないかと」
「なるほど。そこでようやく始めの、考えた、に繋がるわけか」

 完全に呆れた声で言いながら、ばさばさと髪をかき回す。
 粗雑な動作さえ、やけに絵になっていた。

「しかし――あれが別人か?」

 眉間に皺を寄せて、宙を睨む。
 蒼龍が立っていた場所だろうか。鋭い目付きは、其処に浮かぶ残像を品定めしているようだ。

「まぁ、あれが別人と言うなら双子以外は考えられんか。――それにしても、蓮は大したものだな」

 何故急に蓮の名が出てくるのか。
 わからず、次の言葉を待つ。

「あの男、お前の振りでおれに会いに来た。蓮の時も同じだっただろう。おれと同じ条件で、蓮は見分けたということだ。――随分と惚れ込まれたものだな」

 羨ましいことだと加えて、横目が流される。何処か冷ややかな眼差しも気にならなかった。
 言われてみればその通りだ。
 亮でさえ――自分自身でさえ見分けるのが厳しいほど、蒼龍はよく似ていた。別人と見抜いた蓮の眼力は、特筆に価する。
 元々の勘の鋭さだけではなく、想いの強さが理由ならば何と喜ばしいことか。
 ふと、口元が緩む。

「そこで、だ。お前、その男の狙いは何だと思う?」

 問われて、はたと動きが止まる。
 蒼龍が月龍を騙って亮に会ったのではないか、とは考えた。けれど何故そのようなことをしたのかまでは考えが至らぬ鈍さに、我ながら呆れる。

「お前と最も親しいのは、おれと蓮だ。その二人が見分けられないならば、他者にも気づかれん。そう考えて試しに来たのだろうが」

 見分けられなければどうだと言うのか。蓮や亮を騙して、なんの利益が――
 否。騙すのは過程であって、目的ではない。狙いは他にあったのだ。

「――成り代わりだ」

 嘆息まじりの声が告げたのは、意外な言葉だった。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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