第101話 幻覚
文字数 1,359文字
「あなたに、もしものことがあっては――」
恐れているのだろうか。蓮が口にした弁明は、心配しているかのような言葉だった。
遮る声に、皮肉がこめる。
「嬉しいか」
怒気の滲んだ低い声に、蓮は口を噤む。
薬を飲むところはともかく、服用した状態の月龍は初見ではないはずだ。
ならば何故、今頃そのようなことを言うのか? 理由は簡単だ。月龍になど、興味を持っていないのだろう。
様子が違っていても、どうせいつもの気まぐれか酒に酔っているとでも思って気にもかけていなかったのだ。
「おれが体を壊したとする。戦えぬ武官など役には立たない。地位は上がらず、公主の結婚相手たる資格を失う。そうなれば元譲様あたりが、おれの手から君を救い出してくれると期待しているのか」
口数の少ないはずの月龍が、一気にまくし立てた。
何故だろう、愛を囁く言葉はうまく舌に乗らないのに、責言だけはするすると口を割って出る。
「そのようなことは――!」
「うるさい」
本気で心配していたのか、それとも月龍を怒らせたのが怖かったのか。反論は続けさせず、止めるために平手を飛ばす。
ぱしんと軽い音が響き、蓮の体は勢いに負けて臥牀の上に横倒しになる。
月龍はふと、左手に目を落とした。
蓮の頬を打った手が痺れたように感じられ――同時に覚えたのは、痛みというよりは快感だった。
「――ごめん、なさい」
痛みと恐怖に引きつった顔で、蓮が謝罪する。
それは怖いだろう。自分を殴った虚ろな目の男が、その手を見つめて笑みを刻んだのだから。
ずっと、蓮の守護者でありたいと思っていた。彼女に手を上げるようになってからも、気持ちは変わっていない。誰かが蓮を傷つけようとするならば、なにを投げ出しても守るだろう。
これほど真摯に想い続けている月龍を、何故拒み、怯えるのか。
思うほどに苛立ちは増し、暴力も酷くなる。
「――チッ」
舌打ちし、蓮の衣服を乱暴にはぎ取る。自らも脱ぎ捨て、いつものように彼女の上になった。
目と唇を固く閉じたまま、抵抗の素振りも見えない。これも、いつものことだ。
我慢していれば勝手に満足して離れていく、無言でっ肩る蓮の強張った全身に、憤りと虚しさに包まれるまでが常の流れだったが、今夜はそこが違っていた。
愛撫に声を上げて応え、嬌態を晒す蓮の姿が網膜を覆う。現実の、苦しげな中にも冷めた蓮の顔と二重写しで、うっとりと見つめてくる瞳が見えるのだ。
幻だとわかってはいても、現実を突きつけられているよりはずっといい。
なによりも強いのは、身を襲う快感。これも薬の作用なのか。血の気を引き、冷え切った蓮の身体を相手にしているのに、身がとろけるかと思うほどだった。
考える端から、思考力が失せていく。身に訪れる愉悦と脳内を犯す幻覚。二つが相乗効果となって、月龍を甘い夢に引きずり込む。
「――蓮……」
息を乱し、耳元で何度も名を囁きかける。
現実の蓮は応えてなどいないのだろう。けれど月龍には聞こえていた。あの甘ったるさで月龍と呼びかけてくれる声を。
感じられていた。背に縋りつき、爪を立ててくる小さな指を――
「――――?」
ふと、眉が歪む。蓮が縋りついたにしては、背中に走った痛みが鋭かった。
怪訝を眼差しに乗せて振り向くと、全身の毛を逆立てて牙を剥くマオミィの姿があった。