第212話 優しい人たち

文字数 2,304文字

 寒梅の問いかけに、蓮は小さく頭を振る。

「いいえ、直接お医者様から聞いたわけではありません」
「それでは――」
「けど、間違いもありません」

 可能性はあるのではないか。言いかけた言葉を、蓮が静かに遮る。

「探りを入れてみたの。まだ回復しきっていない私には気づかって伝えていないかもしれない。でも、あの方にはお医者様も事実を話しているのではないかと思って」

 微かに滲む口元の笑みが、悲しい。

「亮さまが――王太子様が、私を妃にと望んで下さって。でもそのお立場なら跡取りは必要でしょう? だとしたら私では用を成さないから断った、とあの方に言ったの」
「――月龍様はなんと……?」
「否定されませんでした。それを受け入れた上で話を進められて」

 だから、そういうことなのでしょう。穏やかな口調で続けられては、納得せざるを得なかった。

 実際、おかしいとは思っていたのだ。月龍も蓮もまだ若い。いずれ子供ができる可能性の方が高かった。慌てて養子など探す必要はないはずだ。
 流産したという蓮を慰めるためかと思っていたが、不妊と確定しているのなら早々に養子をとろうとしたのも実務的な理由だったのだろう。

 不妊の理由が蓮にあるのならば、彼女の言う通り、他の女に産ませるという選択肢は充分にあり得る。むしろ、高い地位にある人間にとっては、そちらの方が一般的なのではないか。

「あの方も、そのつもりであなたを家に入れたのかもしれません」
「――え?」
「あの方ね、あまり人を家に入れるのが好きではないの。だから今まで、誰も使用人なんて雇っていなかった。なのにあなたは迎え入れて、その上食事にも同席させる――なんらかの意図があると考えるのが普通でしょう?」

 寒梅とて、疑問には思っていたのだ。今まで不要だった下女を雇った理由、その下女にあえて字を呼ばせ、同じ卓に座らせる――下心があると言われれば、納得できる。

「あなたの妹さんを養子に迎えようと動いているうちに、あなたを見初めたのかもしれません」

 可能性としては否定できないと思う。一見、筋が通っているようにも感じられた。
 けれど、その割りに月龍は寒梅自身にはなんの関心も見せない。

 酷い違和感だった。蓮と月龍、そして寒梅が過ごしている時間、間に起こった出来事は一緒なのに、三者三様、別の物を見ている気がする。

 月龍の想いは、蓮に向かっている。だが蓮は、月龍の想い人は寒梅だと思いこんでいるようだった。
 月龍は、自らが蓮に嫌われていると思っている。けれど寒梅からは、蓮は月龍を思いやっているようにしか見えない。

「今はまだ、様子を窺っているのかもしれませんね。だからいつか、あの方があなたを求めてきたら、応じてあげてほしいの。もちろん、あなたが嫌でなければ、だけれど」

 だから蓮は初めに、月龍のことをどう思うか、と尋ねたのか。寒梅の答えが否定的ではなかったから、「よかった」などと言ったのだろう。

 ――何故だろう、胸が詰まる。

「――蓮様は、月龍様がお嫌いなのですか」

 確かめたい。意を決しての質問に、蓮は悲しげに微笑む。

「どうしてそう思うの?」
「月龍様は蓮様のことを、その、愛しておられます。なのにそのようなことを仰っては、月龍様がお可哀想です。蓮様のなさりようは、なんというか、その……」
「嫌がらせに見える?」

 言いあぐねた寒梅の言葉を、蓮が繋げる。

「あなたの前ではそう振る舞っているのね。でも逆よ。あの方が、私を嫌っているの」
「ですが」
「気位の高い女に相手にされていない、と見せることによって、あなたの同情を、そして気を引こうとしているのでしょう、きっと」

 そうなのだろうか。拭えぬ違和感が、胸に降り積もる。

「寒梅さんも、あの方のことは憎からず思っているのでしょう?」
「それは――」

 否定できない。初めて月龍が離れを訪ねて来たときは、よくない期待を抱いてしまったほどだ。
 だがそれを、その人の妻に向けて口にする厚顔さはない。

「あなたは今、答えを言いよどんだけれど、私を気遣ってくれたのでしょう? どうせ愛妾を入れなければならないのなら、私を蔑ろにしない人がいい」

 蓮は、目を細めて続ける。

「だから私は、寒梅さんがいい」

 あくまで私の希望にすぎないけれど。

 顔を見ている限り、嘘ではなさそうだった。声音も、優しいままだ。
 けれど何処か感じさせる寂しさが見え隠れしていて、言葉に信憑性を与える。

 寒梅は俯くように、そっと頷いた。

「――もし、そのような事態になりましたら」
「よかった!」

 了承の返事に、蓮は顔を明るくさせる。

 本当にこれでいいのだろうか。もやもやしたものが胸に蟠る。
 我が身を心配しているのではない。蓮の様子はきっと、演技ではなかった。仮定していたことが事実になったとして、手の平を返して寒梅に冷たくするような人ではない。
 そして蓮も、たとえば寒梅が月龍の子を産んだとしても、本妻を軽んじる女ではないと信頼してくれたからこそ、この話を持ちかけてきた。

「もうひとつ、お願いがあるの。私とも仲良くしてくれたら、嬉しいのだけど」
「それは――もちろん、喜んで」

 先程の願い事よりもずっと嬉しい「お願い」だった。躊躇なく承諾した寒梅に、蓮は「ありがとう」とふんわり笑いかけてくれる。
 気難しそうに黙っている顔より、悲しげに沈んでいる顔より、笑顔が一番似合っていた。

「――いけない。お茶、冷めてしまいましたね。淹れ直してきます」

 優雅に立ち上がる後ろ姿を見て、寒梅は思わずにはいられない。
 月龍も蓮も、身分など分け隔てなく接してくれる優しい人たちだった。
 この優しい人たちが、幸せになれたらいいな、と。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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