第133話 嘘でも本音でも

文字数 1,728文字

 蓮は――無言で月龍を見つめている。本心を探っているのか。促されるままにそう言えば、やはり別れたいのかと暴力を振るわれることを恐れているのかもしれない。

「頼む、蓮、今だけだ」

 声に、懇願を乗せる。

「おれは身勝手だ。一瞬あとにはまた、自分のことしか考えられなくなるかもしれない。君を力でねじ伏せようとする可能性を否定できない。だからおれの気が変わる前に、君を自由にしてあげたい」

 なにを言っているのか。解放してくれるというのなら四の五の言わずに別れてくれればいいのに。
 無表情の上無言なのに、冷たく言い放つ蓮の声が聞こえた気がする。

「ならば、大嫌いでも構わない」

 嘘でも、実感のこもった愛情など口にしたくないのだろうか。悲しみのために歪む眉を自覚しながら、さらに懇願する。

「それならば簡単だろう? 君の本音なのだから」
「――なにを望んでいるのですか」

 甘ったるさを内包していたはずの声が、今では尖っている。凛として美しくはあっても、それは月龍を拒絶するために発せられたものだ。

「私に、なにをさせたいのですか。あなたが別れたいとお思いになっているのであれば、そうなさればいいのに」
「別れたくなどない」

 答えたのは、ほぼ反射的なものだった。

「別れたいはずがない。君の傍に居たい。だがそれは、おれだけの話だ。君は違うだろう?」

 跪いたまま、蓮の両腕を掴んだ。痛がらせるつもりも怖がらせるつもりもないのに、力が入ってしまう。

「大好きでも、大嫌いでも構わない。嘘でも本音でも――その言葉で、おれの望みを完全に断ち切ってくれ」

 見上げる月龍の目を見つめ返す蓮から、わずかながら動揺が感じられた。
 逡巡しているのだろう。瞳が揺れている。

 微かに浮かぶ喜色は、これで別れられるという期待のためだろうか。
 同時に見える不安は、月龍への不信だった。本音を言えば怒られるかもしれず、心にもない空音を言わされた挙句に別れてもらうこともできない、などという展開を恐れているのかもしれない。

 あとは蓮に任せよう。別れたいと思っているのなら、月龍が望むどちらかの言葉を言ってくれる。そうなったら宣言通り、別れてあげようと思っていた。
 蓮がそれを口にしてくれるのは、月龍が約束を守ることを前提としている。少なくとも、そう信用してくれたと思うことはできる。

 もう、それだけで充分だ。

 だがもし言ってくれなかったら、ほんのわずかな信用さえおけないと言われたことになる。
 未練がましい自らの性格を知っていた。別れるための踏ん切りがつかなくなり、きっとまた、力で支配する。別れられる好機をふいにした蓮が、傍に居たいと思っているのではないかと期待してしまう。

 蓮のために別れたい、自分のために別れたくない。
 信じてもらいたい、信用されていなくとも傍に居たい。

 どちらも本心だった。二重の二律背反が、心を四方に引き裂こうとしている。

「私は――」

 祈りをこめて見上げる月龍の目を見下ろし、蓮は静かに息を吐き出した。ため息に乗った声が、震えている。

「あなたを、愛しています――月龍さま」

 美しくはあっても感情のない声に、全身の力が抜けるのを感じていた。

 悲しかった。ほんの少しの信用ももらえなかった我が身が。偽りでもよかったのに、望みを拒絶されたことが。
 嬉しかった。これで別れずにすむと――傍に居ることを望んでくれていると思いこめる状況ができたことが。

 自分の瞳を濡らす涙が、悲喜、どちらの感情に由来するのかはわからなかったけれど。

 正気であれば、必死で堪えていただろう。けれど理性が乏しくなった今、まして薬を用いた状況で、溢れる涙を抑えきれなかった。
 双眸から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。両膝を屈したまましがみつくと、蓮は支えきれず、同じように床に崩れ落ちた。倒れかかってきた蓮を、きつく抱きしめる。

 自分を抱きしめたまま、声を上げて子供のように号泣する月龍に、蓮は迷惑そうな顔をすることはなかった。
 もっとも受け入れてくれるでもなく、ただなされるがまま、あらぬところを見つめている。
 それが悲しくてまた、涙に拍車をかけた。

 この夜は蓮に手を上げずにすんだ。代わりに一晩中、蓮を掴まえたまま泣き続けた。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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