第164話 最初から

文字数 1,304文字


「でしたらどうぞ、お好きなように。抵抗などしませんから」

 すっと目を閉じ、あお向けた顔にはやはり、表情はなかった。
 月龍の目線とため息の意味を誤解したのだろうとは理解できる。とはいえ、蓮が月龍に身を任せる理由にはならなかった。
 蓮の怪我は確かに、回復してきてはいる。けれど命を失った子供を排出するために、胎内は深く傷つけられた。目に見えていた表面的な傷よりもなお、酷い状態のはずだ。
 その状況で体を重ねれば、想像を絶する痛みが蓮を襲う。自分の体のことだから、蓮とてそれくらいはわかるだろう。
 にもかかわらず抱けなどと言うのは、月龍が蓮の苦痛になど構わない、自分の悦楽のために蓮を犠牲にすると思っているからだ。

 ろくでもない男だな。
 蓮が考える月龍の有り様を突きつけられた気分だった。
 一層のこと、なりふり構わず蓮に泣いて縋れたら楽になれるのだろうか。

「――違う」

 誘惑に駆られるも、辛うじて堪える。蓮にとって加害者である月龍が、楽になることなど考えてはならなかった。

「君を害することはしない。誓う」

 驚きに瞠った目を向けられ、月龍は笑みを作って見せた。

「だから安心してほしい」

 桶に汲んだ湯に手拭いを浸し、絞る。首筋、肩、腕――ゆっくりと拭いていく手つきは、純粋な介護そのものだった。そうあるように、務めた。

「私の体にはもう、興味はないと?」

 体を拭き、衣服を蓮の肩に戻す。乱れを正すために一度ほどいた帯を締め直す月龍に、蓮が静かに問いかけてきた。
 月龍が心痛を表さないことに苛立ったのか。皮肉らしきものを発する蓮に、小さく笑って見せる。

「一度くらいは、君を抱いてみたかったが」
「――はっ」

 歪む眉を自覚しながら言うと、蓮は呆れを含んだ失笑を洩らす。

「おかしなことを。あれだけ散々犯しておいて」
「そう、おれは君を犯しただけで、抱いていたわけではない」

 なにを言っているのか。非難に満ちた瞳を見ていられなくて、目を伏せる。

「望まれたから仕方なくではなく、おれの気を引くためでもなく、君自身がおれを求めてくれたことが一度でもあったか」

 責めるつもりはない。責は、蓮をそのような心持ちにすることができなかった月龍にある。

 初めてのとき、泣く蓮を力ずくで押さえこんだ。その後も度々、腕力にものを言わせて奪い取った。
 別れ話をして、縋ってくれるのが嬉しかったのは、公主である蓮よりも上の立場になれたからではなかったのか。
 暴力と甘言で奪うことが、支配欲を満たしてくれた。
 その一時的で愚かな欲を満たしたせいで、蓮の心を失った。本当に望んでいた「睦み合う」という行為ができなくなった。
 体を重ねていれば、少なくとも繋がっている間だけは確実に自分のものにできる。
 蓮が月龍の気持ちを誤解していても構わない。嫌われていてもいい、傍に居て、肌に触れて、そうしていればいずれわかってくれるかもしれない――否、信じてもらえずとも離れたくはない。
 自分勝手な感情を押しつけ、止まることをしなかった結果がこれだ。

 ――最初から、すべてが間違っていた。

「おれ達は何故、出会ってしまったのか」

 ため息に乗ったのは、心の底からの本音だった。
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登場人物紹介

月龍《ユエルン》

古代中国、夏王朝の武官。

武に関しては並ぶ者なきと評される腕前。

無愛想で人の機微に疎い。

有力な宦官の孫として養子に入る。出生に秘密あり。

蓮《レン》

王の姪。王子の従妹。

穏やかだけれど型破りなところのある、小柄な少女。

月龍との出会いで、人生が一変する。


亮《リーアン》

夏王朝の第一王位継承者。

蓮のいとこ、月龍の親友。

亮を出産時に母が死亡し、妃を溺愛していた父王からは仇のように嫌われている。

絶世を冠するほどの美青年。頭脳明晰。

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