邂逅の中(16)

文字数 6,900文字

 おそらく一時間以上、ロビーの椅子に腰掛けていました。
 その間、ずっと落ち着かない気持ちでした。でも、もう僕にできることもないので、ただ待つしかありませんでした。
 時々、奥へと通じる、ツグミが連れていかれた通路の方へと視線を向けて、僕を迎えにくる人、僕に状況を説明してくれる人がこないか確かめました。
 絶え間なく通路に人影が現れました。多くの人が僕の横を通りすぎていきました。でも誰も声を掛けてはくれませんでした。
“ここで待っている事を忘れられているのかもしれない”そう思うと更に落ち着かず、とりあえず受付にいる人に確認してみようと思って立ち上がりました。ちょうどその時、扉から顔の下半分がヒゲにおおわれた、大柄な男性医師の姿が現れました。
「いやー、ごめん、待たせたね」とヒゲの中から声が聞こえました。「さぁ、行こうか」とうながされました。とりあえず立ち上がりながら、僕は気になってしょうがないことをまず訊きました。
「先生、ツグミは大丈夫なんですか?」
「ツグミ?ああ、さっきのコね。低体温や脱水症状で衰弱しているけど問題ない。発見があと一日二日遅かったら危なかったけど大丈夫。少し安静にしていたらすぐ回復するよ」
 医師は歩いたまま少し振り返って答えました。僕はほっとして全身から緊張感が抜けていく感覚を抱きました。
 目の前を歩く大柄な体躯の医師は、ここにいたるまでの経緯を説明するように求めました。僕はそれに応じて簡単に要点だけ話しました。
「それにしても彼女はなぜ閉じ込められてしまったんだろうね。センサーの故障ではないようだし、何か心当たりでもあるかな?」
 一通り説明が終わってから、医師が訊いてきました。
「前からセンサーの反応がにぶい時があるとは、言っていました。一時期、全然反応しないこともあったみたいです。でも最近はそんなこともなくなっていたみたいなんですが」
「そうか。まあ彼女も特異体質みたいだからね。それが原因かもしれないね」
「特異体質?」
 その時、医師は少し視線を周囲にただよわせました。何かを警戒しているように見えました。続いて出した声も、これまでより少し抑え気味に聞こえました。
「それに関してはこれから少し話をさせてくれ。そんなに時間は掛からないから」
 そのまま僕たちはいくつかの扉を通り、建物の奥へ奥へと進みました。更に“関係者以外立ち入り禁止”と掲示された扉を入ってそれまでとは雰囲気の少し変わった区画に入っていきました。やがて医師はいくつかある部屋のドアの一つに手を掛けて開きました。
 中は照明によって明るく照らされ、中心に長方形のテーブルが数台あり、その周りにパイプ椅子が整然と並べられていました。奥の壁ぎわにはホワイトボートがあり、小人数での会議などに使用する部屋なのだろうと思われました。
 中にはすでに二人の白衣を着た、おそらく医師なのだろう男女がいました。二人とも座っていましたが、僕たちが入室すると立ち上がり、ほほえみをたたえながら歩み寄ってきました。
「さあ座って」ヒゲの医師が、部屋の奥にある椅子を手でさしながら、うながしました。言われた通りに座ると、三人の医師は、僕と正対する席に並んで座りました。
「まず我々は今、君に自己紹介することができない。無礼ではあるが事情があることを察して了承していただきたい。君はイカル君で間違いないよね」
 ヒゲの医師より若く見える男性の医師が、落ち着いた口調で言いました。
「ええ、そうですが。なぜ僕の名前を知っているんですか」
 相手は、子どもを卒業したばかりの僕とは違い、社会的地位の高い病院の先生です。でも自己紹介をしない事情というのが、何ともいかがわしく感じられました。
「君は、私たちの間では、ちょっとした有名人だからね」
 三人の医師が顔を見あわせて少し笑っていました。僕には、その笑顔がどういう意味を持つのか、僕がいったい何で有名なのか、分かりませんでした。
「我々はある団体に所属している。その団体がどういう団体で、どんな活動をしているのか、それもまだ君には教えられない、申し訳ないけど。それでその団体は、五年前に行われたある実験に大変興味を持っている」
「実験?」僕は何の話を聞かされているのか、なかなか察知することができませんでした。相手が分かりやすく説明してくれるのを待つしかありませんでした。
「ええ、そう。実験よ」初めて女性の医師が口を開きました。「これから私たちが話すことはこの都市の中でもほんの一部の人しか知らないことなの。その一部の人たちがずっと隠してきたことなの。だから今から話す事は誰にも言わないで。そうしないと私たちもだけどあなたの立場も悪くなるわ。いいかしら」
「そんな話なら僕は知らない方がいいんじゃないでしょうか」面倒事に巻き込まれそうな雲行きに、思わず拒否反応が出ていました。
「いいえ、あなたは知っていた方がいいわよ。この話はあなたとツグミってコには、とても重要な話だから」
「僕とツグミに?どういうことですか?」
 医師たちは今度はしっかりと互いに顔を見合せていました。僕に対して話すことを確認し合っているようでした。
「五年前の一時期、保育棟に委員たちが頻繁に出入りしていたの。その時、彼らはある実験をしていたらしいわ。実験対象はあなたたち子どもよ」
 記憶の片隅に思い当たるふしがありました。僕たちみんなが身体の隅々まで調べられ、注射を定期的に打たれていた時期が確かにありました。それがどんな意味を持っていたのか、今まで考えたこともありませんでしたが。
「十年前、地上にいた人類は突然、大量のケガレに襲撃されて、この地下世界に逃げ込んだ、それは知っているわね」
 僕がうなずく様子を医師たちは凝視していました。僕の反応具合をしっかりと確かめているようでした。
「その時、兵士によってケガレの一部が確保されてこの都市に持ち込まれたの。首脳部ではそのサンプルを使っていろいろな実験を行ったらしいわ。私たち医療関係者にもそのデータは一部公開されていて、基本的なケガレの構造や動きなんかはそのデータを見れば分かるわ。それで、ここからは外部には公表されていないことなんだけど、そんな一連の実験の集大成として、あなたたち子どもを使って実験が行われたの。いわゆる生体実験ね」
「それはどんな実験なんですか」ここまで聞いた上は、詳細まで聴いてみたくなるのはしょうがないことでしょう。事は自分や仲間の過去に関わることですし、自分たちの身体に何かされて、その詳細を知りたくない人などいないでしょう。
「あなたたちの身体にケガレを植えつけたの」
 ケガレを、この身体に?僕は思わず声を上げそうになりましたが、話の続きを聴きたくて声を呑み込んで、そのまま待ちました。
「種痘と同じようなものね。それで免疫が作られてケガレにおかされなくなれば、と考えたのかも知れないわ。でも不可解なのは、植えつけられたのは子どもたち全員みたいなの。データを取るためなら一部の健康なコだけでいいはずなのに。まだ実証もできていない段階で全員に植えつけたの」
「それで僕たちはどうなったんですか?免疫ができたんですか?僕たちはケガレに襲われても大丈夫なんですか?」僕は辛抱できずに口を開きました。女性医師は小さく首を横に振りました。
「免疫はできなかったらしいわ。ケガレはとても素早くて身体が反応する前に全身に行き渡ってしまうの。だから植えつけられた子どもたちは、ケガレによって数日の間、高熱を発した。中には身体に変調をきたして亡くなったコもいたの。とにかく全員の子どもが何らかの体調不良を発したわ。あなたたち二人を除いては」
「僕とツグミですか?」
「あなたはいっさいケガレを寄せつけなかったらしいわね。どれほどケガレを植えつけようとしても、すぐに体外に排出してしまう。それからツグミってコはケガレを吸収してしまったみたいね。何度植えつけてもすぐに体内に吸収してしまって、しかも何の身体的変化もなかったらしいわ。あなたたちは特異体質としてデータ上では処理されたみたい」
 特異体質?そう言われても自分ではあまり実感はありませんでした。僕はただの子どもでした。みんなと同じように。
「特異体質って、何が原因なんですか?」
「それは・・・」
 女性医師が話しをつづけようとしたちょうどその時、館内放送から女性の声が部屋の中に流れてきました。
“クマゲラ先生、クマゲラ先生、執刀予定の時間です。至急、西棟三階手術室にお越しください”
 ヒゲ面の医師が顔をしかめていました。
「時間がないので、要点だけ言うよ。私たちはある目的をもって活動している。それはあくまで私的な集まりの私的な活動であり、もちろんこの病院もまったく関知していないことだ。私たちは私的にではあるが、この世界と人々のために活動している。そして私たちは君たちに大変興味がある」ヒゲの医師は少しの間を空けて、改めてしっかりと視線を僕に向けました。「つまり、私たちに君たちを調べさせてもらえないかな。なぜ君たちがケガレに対して耐性をもっているのか、それを調べれば、きっとこの世界のためになる、この世界の人たちのためになる。だから」
「でも五年前の実験の時、僕たちは調べられたのではないんですか?」
「おそらく調べられたと思う。しかしそのデータはいっさい公表されていない。開示請求をしてみても、表向きは存在していないことにされていて、けっして表には出てこない。だから君たちをあらためて調べさせてもらいたいんだ」
「素朴な疑問なのですが、この世界のためになる、人々のためになるってことなら私的ではなく、公的に調べれば良いのではないでしょうか。私はこれから治安部隊に所属することが決まっています。ですので部隊本部に依頼していただけないでしょうか。上からの命令があれば私はどのようなことにも協力させていただきます」
「・・・本部ねぇ・・・」
 そういうヒゲの医師の顔が、少し曇ったように見えました。
“クマゲラ先生、どこにおられます?患者さん待ってますよ。手術の時間ですよ。いつも、いつも手間掛けないでください。すぐに西棟三階手術室にお越しください”
 婦長さんのお呼びですよ、若い男性医師がクマゲラ先生に冗談めかした口調で言いました。先生は眉間にシワを寄せながら立ち上がりました。
「君、ツグミくんの見舞いには来るんだろう?」
 僕は、ええ、と答えました。
「なら、その時にまた少し話そう。これはとても大切なことなんだ。きっと了承してくれると信じているよ」
 言い終わるとクマゲラ先生は部屋から立ち去りました。
 扉が閉まると男性医師が、それじゃ送っていくよ、と言いつつ立ち上がり、机を回って僕の横に立つと、手を差し出しながら言いました。
「今日は時間を取らせて悪かったね。ちょっと訳が分からなかったかもしれないけれど、この出会いはきっと必然なんだ。きっと君たちは僕たちに協力することになる。これからもよろしくな」
 僕も立ち上がりました。しかし迷った末に、握手には応じませんでした。
「すみません。まだ協力できるかどうかは分かりません。とにかくツグミのことをお願いします」
 握手の代わりに僕は軽く頭を下げました。男性医師は行き場を失った手を僕の肩に持って行き軽く叩きました。そしてそれ以上は何も言わずに女性医師と一緒に僕を先導して病院の玄関まで送ってくれました。

 治安部隊員になった初日、入隊式が済むと、僕は上官に連れられて本部の隊長執務室におもむきました。
 そこで初めてモズ隊長に会いました。入隊式にもおられましたし、訓示ものべておられましたが、こうして面と向かって話をするのは初めてでした。
 その席で僕は、隊長から治安部隊員としてクマゲラ先生たちに協力するように指令を受けました。そして、それはツグミも一緒だということでした。そのためにツグミが抵触している入隊規定を変更するとも言われました。ということは、ツグミと一緒にあの医師たちに協力することが、ツグミの入隊の条件なのだろうか、ふとそう思いました。僕は甘んじてその指令に従いました。
 ツグミは意識が戻っても元気がなかったそうです。医師や看護師からは、身体的にはもう問題がないのは確かなので、後は精神的な問題だと言われました。でも僕が見舞いに行くと、いつもツグミは元気だったので、僕には何が問題だったのかいまだに分かっていません。

 あたしは一週間ほど入院していました。その間はものすごく退屈でつまらなかったです。
 お医者さんや看護師さんが時々やってきては、いろいろと話し掛けてくれました。でも上手くしゃべれないので気まずい思いしかありませんでした。だからなるべく布団をかぶり、身をかたくして、ほとんど黙ったままでやり過ごしました。
 その入院期間に二回だけ、イカルがお見舞いにきてくれました。
 あたしは、それはもう嬉しくて、自分でもこんなにしゃべることができるんだとびっくりするくらい、ずっと話していました。その時のイカルはいつにも増して優しかったので、そのせいもあったのかもしれません。
 二回とも、イカルは女の子が一人でいる病室に入っていることを気にして、早く帰ろうとする素振りを見せていました。でも、そんなことかまっている場合ではありません。何といってもあたしは死にかけたのです。お医者さんに聞いた話では、あと一日発見が遅ければ危ない状況だったらしいです。だからあたしは、確かに自分が生きていると実感したかったんです。それにはイカルの存在が必要なのです。とても感覚的なことですが、イカルがいれば自分が生きている、生きる場所がある、と安心することができたのです。
 二回目のお見舞いにイカルがきてくれた時、一緒に治安部隊に入隊することが決まった、と聞かされました。とても嬉しかったです。感情があふれて声を上げて泣いてしまいました。でも、すぐに、あわてたイカルの顔がおかしくて笑いました。その時、あたし、生きていていいんだ、と実感したことを覚えています。

 それから僕たちは、クマゲラというヒゲの先生と、セキレイという若い先生、そしてマヒワという女医の先生によって、いろんな角度から身体的に調べられました。
 それまでの実験では、かなり希釈されたケガレを植えつけられていたらしいのですが、今回は、かなり濃度を増したケガレも使用されたようです。そのため僕はたまに体調を崩してそのまま入院したこともありました。でもツグミは特に体調を崩すことはなかったようです。だから彼女は、僕が入院している間、面会時間も無視して僕の世話をしようとしました。その姿がとても嬉しそうだったことを今もよく覚えています。
 そんな様々な検査をくり返し、様々なデータを蓄積して、結果として出た結論は“特異体質”でした。けっきょく原因ははっきりとしなかったようです。数か月後、僕たちの検査は打ち切りになりました。
「我々の力不足で君たちの能力の源泉を発見することができなかった。なんとも残念だ」クマゲラ先生が最後の検査の日にそう言いました。
「しかし我々アントとしては、これからも君たちの能力に注目していきたいと思っている。そして協力してほしいと思っている。ぜひ俺たちの活動を手伝ってもらえないか?」セキレイ先生が熱をおびた様子で語っていました。その横でマヒワ先生が、ちょっと、とたしなめていました。大丈夫、彼らなら分かってくれる、そう言いながらセキレイ先生はほがらかに笑っていました。
 たぶんツグミには何の話か分からなかったと思います。横で特に興味のなさそうな顔つきをして窓の外を眺めていましたから。でも僕にはセキレイ先生が言ったアントという団体がどんな団体なのか、おおよそ見当がついていました。前にアトリが言っていた、反社会勢力なのだろう、地上に回帰しようとしている。そんな団体と関係ができたことを、まだアトリには言っていませんでしたが、教えてやった方がいいのだろうか、と僕は思いました。
 帰り道、集中して考えてみました。アトリは今、総務委員会に成績優秀者特例で入会していました。しかし、そんな雑務的な仕事に、彼が満足しているはずもない気がしました。きっとアントのことを話したら詳しく教えてくれとせがむだろう、そして強烈にその話に引かれていくだろう、きっとその団体に入りたいと望むことだろう、と思いました。話すか黙るか、僕は悩みました。しかし親友が何よりも聴きたがるだろう話を黙っているのは心苦しく思えました。聴いてどうするかはアトリ次第、彼はきっと一番いい道を選ぶ、彼の知識に裏づけされた判断は、間違うはずがない・・・。
 僕はその夜、アトリに、アントのことを話しました。
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