思惑の中(2)

文字数 6,303文字

 センタービルは、発光石の光によって、燦然と輝いていた。
 この発光石は、時間によって輝きの強度が変化する。ちょうど強弱の周期が一日の時間とほぼ同じだったので、この都市に住む人々は、その光の強弱のほうに時間を合わせるようにしていた。
 一番輝きが強い時間帯はすぎていたが、依然として明るさを濃厚に残している光を避けるように、ビル入り口前に広く伸びているひさし屋根の下に、人々が集まっていた。毛布にくるまって横になっている人、壁にもたれて座っている人、その周りで心配そうにケガ人を看ている人、後から後から人々は集まってきていた。時折、救急車両が到着して、ケガ人を乗せて走り去ったり、逆にケガ人を乗せてやってきた。
 イカルは、ツグミをあえて一人で先行させることにした。自分がいないと誰とも話せないままでは今後、業務にも支障があるし、ツグミ自身にとっても良くないだろう。そう思って、ここはあえて心を鬼にするつもりだった。そもそもクマゲラ先生とは、二人でもツグミ一人でも何度も会っている仲だった。気さくでよく話す相手でもあり、ツグミの事もよく理解して気に入ってくれているようでもあったので、一人でも何とか任務を遂行してくれることを期待した。念のため、後ろに控えてすぐに助け船を出せるようにはするつもりだった。
 そんな事を考えながら進んでいると、横合いから兵士たちの一団がやってきた。負傷者を乗せた何台ものストレッチャーに付き添いながら移動してくる。よく見ると集団の中ほどにトビの姿があった。
「トビ、どうだ、シティの状況は」
 イカルは歩み寄りながら話し掛けた。
「イカルか、お前たちも負傷者の運搬にかり出されたのか」
 トビはそう言うと、近くにいた兵士に二言三言指示を出してからイカルに向き直った。指示を受けた兵士は他の班員と負傷者を引き連れて、クマゲラの方へと移動していった。

 ツグミは、クマゲラが膝をついて負傷者を手当てしている場所の近くまで行って、逡巡していた。まずい、と思っていた。この先生の名前が思い出せない。
 ツグミは元来、人への関心が薄い。いつも自分の内面に意識を向けている。イカルがいないと交流するどころか人と話すことさえほとんどない。だから人の名前を覚えるのが苦手だった。
 忙しなくクマゲラは立ち働いていたので、こちらに気づいてくれそうにない。名前を呼ばないと振り向いてもくれそうにない。どうしよう、ツグミはますます悩んだ。うーん、ヒゲしか思い出せない、いろいろこの先生との記憶をたどってみるのだけど、目の前でもごもご動くヒゲのことしか思い出せない。だから仕方なく、
「ヒゲ先生」と呼んでみた。クマゲラがツグミの方へ振り向きかけた、がその時、トビ班の兵士たちが負傷者を運んでやってきた。
「クマゲラ先生。負傷者を運んできました。どちらにお連れしましょうか」
「おう、ご苦労。骨折している負傷者は、そのまま中央病院に運んでくれ。出血がひどい者はあっちの救急車両に連れて行ってくれ。意識がない者はいるか?」
「いえ、みな意識はあります」
「よし、残りの人たちはあっちの看護師の方へ連れて行ってくれ。皆さん、すぐに応急処置をしますから、もう少し我慢してください」
 兵士たちは負傷者を連れて、再度移動をはじめた。クマゲラはそのまま負傷者の手当てを続けた。
「クマゲラ先生」
 今度は自信を持って、ツグミは医師の名前を呼んだ。

「シティは半分以上の建物が倒壊している。街の機能は完全にマヒしている。天井からは、こまかい石がたまに降ってきていたけど、今のところ安定していて、大きく崩落する危険はなさそうだった。でも、かろうじて建っている、いつ倒れるか分からないようなビルなんかもあって、シティ中が危険なことこの上ない状況なのは変わりない」
 トビは淡々とした口調でイカルに向かって語った。
「そうか・・・」
 トビが現地で何を見てきたのか推測して、二の句が継げなかった。負傷者がこれだけいるとなると、亡くなった方もかなりな数になるだろう。
「しかし、不思議なんだが、こんな大惨事だけど、死者はほんの数えるだけだったみたいだ。まだ、これから瓦礫の撤去をしていったら増えるんだろうけど。負傷した人たちの話を聞くと、みんな大岩が落ちてくる前に、声を聞いた、って言うんだ。若い女性の声を聞いたらしい。ここから逃げろ、早く逃げろ、って頭に直接、聞こえてきたらしい」
 声?聞くからに超常現象である。イカルはけげんな表情をせざるを得なかった。
「俺も信じられないけど、みんなが言うからな。それでみんな、不思議に思って建物から出てみたら天井から音がして、見上げると大岩が落ちかけていたらしい。でも白い手のようなものが落ちないように支えていたんだって。地面から何百、何千という手が伸びて支えていたらしい。みんなそれであわてて逃げて助かったんだってよ。おそらく声を無視したり、逃げ遅れた人が死んだんだろう。負傷者も大岩が落ちた拍子に飛んできた石や、倒壊した建物から降ってきたガラスなんかでケガした人が多いみたいだ」
 イカルの後方で、その話を漏れ聞いていたタカシは、自分の右手首を見た。そこにある白い手の跡を見つめた。この世界は、何とも殺伐とした世界だと思っていたが、リサもどうにか抗おうとしているみたいだ、と思いながら。

「ツグミちゃんじゃないか」
 クマゲラは顔を巡らして、ツグミを視認すると目を細めて言った。
「今、仕事中かい?珍しく一人だね。イカルくんは?」
「え、あの、う、後ろに、います」
 か細い声で答えながらツグミは後ろを指さした。クマゲラは治療をつづけるべく手を動かしながら時々ツグミに顔を向けた。
「そうかい。班員みんな連れてきてくれたのか。助かるよ。今、どの病院もいっぱいで重症患者以外はここで応急処置しているけど、順次、各病院に振り分けながら運ばないといけない。人出がいくらあっても足りないんだよ」
「あ、い、いえ、あ、あたしたちは・・・よ、要人・・・警護の、ために」
「要人?」
 クマゲラは手を止めてツグミの顔を凝視した。
「この非常事態にどこの誰が警護なんてさせてんだ?首脳部のヤツらか?それとも治安本部のヤツらか?誰にしたってこんな非常時に、迷惑この上ないな」
 医師は厳しい顔つきをしていた。それが自分に対する感情の表出ではないことは分かっていたが、ツグミは、私に言われても、とちょっと不快に思った。
「いえ・・・私たちが、お連れしたのは、え、選ばれし方様、です」
 ツグミは無感情に言った。その、か細い声の内容があまりに突拍子がなかったので、クマゲラは、自分が聞き間違ったのだと思った。
「え、ごめん。何だって?」
「あ・・・あたしたちは、今、選ばれし、方様を・・・センター・・ビルに、お連れ、してます」
 医師は目を見開いた。今、このコは、選ばれし方様、って言ったよな。思わず立ち上がっていた。医師の突然の変調に、周辺にいた負傷者たちは、いっせいに二人の方を向いた。
「選ばれし方様だって!本当かい?今、どこにいるんだ?」
 医師が患者を跨いで近づいてくる。周囲の人々の、無数の視線が彼女に投げかけられている。ツグミはますます話しづらさを感じていた。かろうじて、あちらに、と言いつつ自分の後方を指さした。

「これから、お前たちの班は何か予定があるのか?特になければ負傷者の運搬を手伝えよ。俺たちはもう何回も往復している。正直、へとへとだ」
 トビが何か言いかけたが、それを遮るように背後から声が聞こえた。
 声の主は、トビ班の副官、レンカクだった。トビは今、同じことを言おうとしたのに、と言いたげな表情をしていた。
 レンカクは、二人に近づきながらイカルに視線を向けていた。それはどう見ても友好的とは言えない視線だった。イカルは特に気にしないようにしていたが、いつもレンカクは、イカルに敵対的な視線や口調を向けてきていた。
 イカルは自分の今、従事している業務に対する誇りを表すために、背筋を伸ばしながら返答した。
「俺たちは今、要人警護の真っ最中だ。こちらの方々をお連れしてセンタービルへ・・・」
 イカルがセンタービルの方を見ると、そこにいる多くの人々が彼の方を見ていた。何事だろうか、イカルはいぶかしんだ。しかもその眼前の群れの中からクマゲラが、こちらに向かってズンズンと歩いてきていた。
「おいっ、イカル君。選ばれし方様をお連れしたって、本当かい?」
「え、ええ」
 そうイカルが答えたとたん、医師だけではなく周囲にいた負傷者の中で立ち上がれる者がみな立ち上がり、彼らの周囲に押し寄せてきた。
 イカルはとまどった。タカシの周囲に人が集まらないようにしないといけない。人が集まれば集まるほど警備に支障が出かねない。
 タカシもとまどった。もちろんこんなことは今までの人生で初めてだった。数えきれないほどの目が、そのどれもが、キラキラと輝きながら自分に近づいてくる。すごく俺に興味があるみたい。くすぐったいような落ち着かない気分が首筋を駆け巡っている。横にいるナミを見た。こんな状況でも平然としている。少し見習いたいと思ったが、タカシには難しそうだった。
“あなたが選ばれし方様ですか”
“まだ若いようだ”
“見た目、普通だな”
“お方様は何でこの人を選んだんだ”
“お方様が選ぶんだ、本当はとてつもない力を持っているのかもしれない”
“そうだ、あんまり失礼なこと言ってると一瞬にして消されるぞ”
“握手してください”
“触ったら力にあやかれるぞ、たぶん”
“選ばれし方様、こっち見て”
 あらゆる方位から、人々の声が重なり合って聞こえてくる。まさに雑踏という感じの声の混み具合だった。
「みんな、退がって。近寄らないで。退がらないと発砲します。退がってください」
 イカルのそんな言葉も空しく、人々は選ばれし方の姿を一目見ようと、後から後から波のように寄せてくる。兵士たちはタカシとナミを中心に、円になって囲んでいたが、人々に押されて少しずつ円が縮まっていく。アビなどは、退がって!と叫びに似た声を上げていたが、それもまったく効果がないようだった。
 イカルとその班員は尚も勧告を続けたが、その中で、ふとイカルの耳に男性の声が聞こえてきた。
“えらそうに。地底生まれが指図しやがって”
 イカルはとっさに周囲にいる人々を見渡した。どの目もこちらを向いている。でも彼を見てはいない。タカシの方にその視線は向けられている。
 小さい声だった。かすれたような声だった。他に多くの声が層になって聞こえてきていた。だから、聞き間違いか、ただの幻聴なのだろう、そうイカルは思うことにした。
 彼らのように、この地下世界で生まれた子どもたちを、地上から移住してきた人々は自分たちと明確に分けるために“地底生まれ”と呼んでいた。それはけっして公に認められた呼称ではないし、親しみを込めて言う呼び方でもなかった。
 治安部隊は、警察としての機能を有し、主にこの都市の安寧と住民の命と生活を守ることを任務としている。そして万が一、ケガレが襲撃してきた場合、その最前線で防衛する役目を担っていた。しかし、それにも関わらず、自分たちと地上生まれの住民たちの間には明確な溝がある、イカルは最近気づきはじめていた。
 もちろんモズやクマゲラのように、分け隔てなく接してくれる人もいる。しかし大多数の人々は、異質なものを見る目つきを向けてくる。それがなぜなのか、イカルにも他の隊員にもはっきりとは分からなかった。
 イカルは短く息を吐き、雑念を追い払った。任務に集中しないといけない。
「クマゲラ先生、助けてください。我々はセンタービルに、首脳部までこの方々をお連れしないといけないんです。お願いします」
 イカルの、懇願にも似たその言葉が発せられるとほぼ同時に、周囲の熱気をかき消すように爆発音が鳴り響いた。近くにあった街灯の頭部分が粉々に砕けて、辺りにいた人々の頭上に降ってきた。
「退がって。退がら、ないと、今度は、本当に、撃ちます」
 ツグミが人垣をかき分けながらイカルの前に移動した。
「バカ、これ以上、負傷者を増やすなよ」
 イカルは耳打ちするように小声で言った。
「大丈夫よ。イカルの、言う事に、従わない人は、少しくらい、痛い目に、遭った方が、いいのよ」
 何が大丈夫なのか、いまいちイカルにはよく分からなかったが、少し周囲が落ち着いた雰囲気になったので、いったん後退して人々から離れようかと思った。その矢先にクマゲラの声が辺りに響いた。元来、身体が大きいせいか声も人一倍大きい人だった。
「みんな、今日の大惨事を受けて、選ばれし方様が、この都市を、みんなを救いにやってきてくださった。今から首脳部の連中と、この地下世界をどんな風に復興させるか、どんな風にこの都市を立て直すか、話し合いに行かれるそうだ。みんな、道を開けろ。選ばれし方様の行く道は、この地下都市の繁栄と安寧の道だ。閉ざしてはならない。みんな道を開けろ」
 少しの間を空けて、ワァァー、と歓声が上がった。そして目の前の人の群れがぞぞぞと移動して、一本のまっすぐな道ができた。
 タカシは全身の血が頭頂部に集まって沸騰するような気がした。イカルたちが進みはじめた。その後ろを、沿道の人々の視線を一身に集めながら、ややうつむいてついていった。何か足元がふわふわしていた。横のナミを見るとこれまた堂々と、まるで凱旋パレードでもしているかのように威風堂々と歩いていた。見習いたい、タカシは思った。 
 
 そこはセンタービルにある貴賓室だった。
 そんな部屋があること自体、初めて知ったくらいだったからイカルもツグミもその部屋に入るのは初めてだった。
 内部は、一面、毛が長く踏むと柔らかい弾力を感じられる、若草色の絨毯が敷き詰められ、窓際には黒光りする重厚な木製机と革張りの椅子、部屋の中央には詰めれば十人位は座れそうなこれも革張りのソファが、傷一つない光沢に包まれた木製のテーブルの周りを囲んでいる。窓の外にはベランダがあり、ビル群の間から白い塔の姿が見て取れた。
 イカルは自分の暮らす部屋が、十はゆっくり入りそうだな、と思いつつ部屋の中に入った。
 タカシとナミもイカルたちの後に続いて入室した。見るからに高級ホテルの最上級スイートルームを思わせる贅を尽くした室内に、タカシは気分が少し高揚したが、それよりも身体が芯から重く、精神は濃厚に疲弊していた。少し休みたい気分だった。だから中央のソファーにそのまま腰掛けた。背もたれに身体を沈め、後頭部を深く預けた。ナミはタカシのすぐ後ろに立っていた。恐らく彼女は疲れという概念を持たない種の生き物なのだろう、タカシがそう思わずにはいられないほどナミは疲れた様子を見せていなかった。イカルとツグミはナミの後ろに控えていた。
「ごめん、少し休ませてくれ。ちょっと一度にいろんなことがありすぎた・・・」
 かろうじて後ろの三人にそう断ってから、タカシはゆっくりと両のまぶたを下ろしていった。背後から、かすかにナミの声が聞こえた。
「なに悠長なことを言っているの?あなたも見たでしょ、この世界の崩壊はもうはじまっているのよ、ゆっくり休んでいるヒマなんて、もうあなたには・・・
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