超克の中(12)

文字数 6,319文字

「バカなことはやめろ!」博士は無意識に叫んだ。
 ブレーンコンピューターの人口知能回路は、モニターと直結している。幾重にも絶縁体に囲まれてモニターの裏側で稼働している。計算回路や記憶回路は下の階にあるが、そこで得られる情報をもとに人工知能が思考し、判断する、まさにブレーンをブレーンたらしめている回路に向けて、ツグミはエネルギー弾を放っていた。
「ブレーンが停止したらこの都市の全機能が停止してしまうぞ。今、そんなことをしたら、この世界の全人類が消滅してしまうぞ」
 ツグミは、必死の形相をしている博士の姿を見ず、ただブレーンを睨みつけていた。相手が大きいのでその全体を、睨みつけながら見渡した。
「この世界の人類のことなんて私にはどうでもいい。このデカいだけのポンコツが、言うことを聞かないのなら破壊してやる、それだけよ」
「お前は誰だ?」
 先ほどまで、人の発声と変わらぬ抑揚を使用していたマザーの声が、ひどく棒読みな機械らしい話し方になっていた。
「あら、この部屋に入った時に認識しなかったの。仕事が遅いのね。あたしはツグミ、認識番号0502253よ」
 数秒間の沈黙。ブレーンが何を考えているのか、何を処理しているのか、分からぬままツグミは待った。そしてフッという苦笑するような音が聞こえてきた。
「あなたか。あなたね。あなた、まだ生きていたのね」
 マザーの声に抑揚が戻りはじめていた。
「お蔭様でまだ生きてるけど、それがどうかした?」
「もう気づいているとは思うけど、私はあなたの存在を認めていないわ。あなたはこの世界には不必要、いえ除外すべき存在なの。だからあなたの存在を私は認めなかった。それなのにまだ生きていたの?あなたは誰の許しを得て生きているのかしら?」
 破裂音、閃光、破片が飛び散る。またしてもモニターが唐突に破壊された。ツグミは打ち終わったばかりのHKIー500を構え直した。
 破壊されたモニター跡からは、ブッ、ブッ、ブッとマザーの声か電流の爆ぜる音か分からない音が、不規則に漏れていた。
「おあいにくさま。あなたがいくらあたしの存在を否定しようとしても、あたしはこの世界に生きる意味を見出しちゃったの。だから死ぬわけにはいかないの。とにかくあたしのことは放っておいて、さっさとこの塔の主に会わせてよ」
 先ほどまで静かだった、マザーの動作にまつわる機械音が、急に激しく室内の空気を震わせはじめた。
「我を敬え、我はこの世界の意思。お前ごときが我にたてつくなど許されぬ。お前がまだ生き永らえているのは我の温情。それに謝意を示すどころか銃口を向けるとは、なんと恥知らず、無知蒙昧の限りか。すでにお前の罪は万死に値する。我は天罰を下さねばならぬ、この哀れな地底生まれの虫けらに。泣いて懺悔を乞うてももう遅い。この世に生まれて来たことを死にながら悔いろ」
 ツグミの表情が更に険しくなった。今まで散々存在を否定されて、その都度、生きることの虚しさを味わった。でも、どうしようもないことなのだと、仕方のないことなのだと自分に言い聞かせて、何とか今まで生きてきた。唯一イカルの存在に救いを得ながら生き永らえてきた。しかし今、そのイカルの存在自体が揺らいでいる。それを失うかもしれない。どうしようもできない、とは考えられない。仕方がないなんて到底考えられない。心の最奥部から凄まじい勢いで憤怒の念が沸き起こり、身体の周辺に薄く黒く漂った。
「このデカ女。神様にでもなったつもり?勘違いもはなはだしいわね。あたしを殺すって言うのなら殺せばいいわ。でもその前にあなたのことも粉々にしてやるわ!」
 ツグミはエネルギー弾を放った。やめろ!と叫ぶ博士の声は聞き流して、更にエネルギーを充填させ、放った。
 辺りに電流の爆ぜる音が響き、黒煙と雑多な物の焦げた臭いがただよった。
「ギャッ、ギュッ、ギギギギ、私は、この都市の、すべてとつながっている。私が、いなくなれば、すなわちそれは、この都市の終焉。私が、この都市を、動かしている。私がいなくなれば、この都市も、消滅する・・・」
 マザーの、苦悶の様を呈した声が響いたが、再度放たれたエネルギー弾で、無情にも消し飛ばされた。
「ああ・・・、何てことを。もう、もうこの都市はおしまいだ」
 博士はその場でへたり込んだ。次々に破壊され、動作に不具合の度を強めていく、自らの手で作った人工知能の姿を、呆然と眺めつづけた。
「生きるわ!あなたなんていなくても、この世界が消滅しても、存在を否定されても、誰も存在を認めてくれなくても、あたしは生きる!自分の力で生きてやる!」
 天井の高い部屋中に響き渡るような声を挙げながら、充填が終わったHKIー500を構え直し、再度発砲しようとした。その刹那、
“ギャーッ!”という断末魔の叫びが室内に響き、続いてブレーンの内部で大きな爆発が起きた。
 爆発音とともに室内に赤い炎が噴き出した。続いて小規模な爆発が誘発された。そして突然コンピューターは動きを停めた。
 あらゆるものが動きを止めた。都市中の、普段は気にもとめられないような微小な音たちが存在を消した。発光石が放つ光の届かない物陰に、突如、色濃い影が舞い降りた。寿命を示すロウソクの火が急に吹いた一陣の風にあっけなく消えてしまうように、この地下都市の活動ははかなくも消えた。

     ―――――

“あなたは誰?何をしているの?”

 なんの脈絡もなく室内に声が響いた。若い女性の声に聞こえた。優しい声だった。そして何かに怯えているような声でもあった。その声が自分に向けて発せられたものだと、ツグミには感じられた。
「私はツグミ。認識番号0502253よ」
“ツグミ・・ちゃん?あなたは何をしているの?”
「この塔にいる女の人に会いに来たの。お願いがあって」
“そう・・・きっと、あなたが捜している女の人って、私のことね。この塔のずっと高い所に、ずっと一人でいるの。それで、お願いって何?”
 その声は、どこから聞こえているのか分からなかった。部屋中のすべての方角から聞こえているようにも感じられたし、頭の中に直接、聞こえているようにも感じられた。そして初めて聞いた声だったが、不思議とそのようには思えない、昔から慣れ親しんだような、何かとても安心する、とても気分が穏やかになる、何事も隠す必要がないと思える、そんな声だった。
「あなたがお方様なんですか?なら、イカルを助けてほしいんです」
“助けてほしいって、イカルって人はどうしたの?”
「イカルは今、頭の中であなたの作った繭の中に閉じ込められて、出てこられなくなっているんです。このままだと、そのまま死んでしまうかもしれないの。だから助けてください」
“・・・ごめんなさい。私にはよく状況が分からないわ。だからどうしたら良いのか分からない。何をすれば良いのか分かれば、力になれるかもしれないけれど”
 ツグミは焦燥感にさいなまれていく自分を感じた。時間が経てば経つほどイカルは苦しみを重ね、命の危険が増す。疲労を訴える、身体からの声が大きくなる一方で、倦怠感にあらがうために、振り絞っている気力の残量が、心もとなくなっていく。なりふりなんて構っていられない。一刻も早く解決策を見出さなければならない。
「お方様、お願いします。イカルを助けてください。もうお方様しか頼れる方がいないんです」
 ツグミは床にヒザを着き、HKIー500を脇に置いて、頭を下げた。感情が高ぶって目頭が熱くなってきたので、グッと目を固くつむった。
“さっきも言ったけど、どうしたら良いのか、私には分からないの。だから・・・ごめんなさい。あなたの大切な人を救う方法が、私には分からない・・”
 屋内に響く声は、次第に小さくなっていった。自らの気持ちの弱さに比例しているように、心もとなげに消え入るように。
 ツグミは考えた。どうしたらイカルを助けることができるのか。お方様に何をどうしてもらえれば、イカルを救うことができるのか。ただそのことだけに意識を集中して考えた。
 イカルは今、お方様の加護から抜け出せない状態だって、ナミさんは言った。イカルを包んでいる繭はお方様の心、その心がケガレを恐れて引き籠ってしまっている、とイカルが言っていた。その心を解くには、お方様の心を開いて、お方様本体に表に出てもらう必要がある、とも。
 問題はお方様の心。イカルを閉じ込めているその心を開いてもらわないといけない。そのために、引き籠りをやめてもらわないといけない。
「お方様、この塔から外に出てください」
“えっ?何を言っているの?”
「だから、この塔から出ていってください」
“え?え?え?なんで、あたしが、ここを出ていくの?”
「お方様が引き籠りをやめれば、イカルが助かるからです」
“ごめんなさい。言っている意味がよく分からないわ。どうしてあたしがこの塔を出ていったら、そのイカルって人が助かるの?”
「イカルは、お方様の力によってケガレから守られました。でも今では、その力が彼を包み込んでしまって、閉じ込めてしまって、出てこられなくなっているんです。その力は、たぶんお方様の心、選ばれし方様を守ろうとするお方様の心なんです」
“ツグミちゃん、悪いんだけど、本当にあなたの言っている話の内容が、あたしには分からないわ。それにたとえ分かったとしても、あたしはここから出ていくことができないの”
「出られない?どうしてです?」
“ここには出入り口もないし、窓さえないからよ”
「え?でもこの塔はお方様が作ったんでしょ?それなら扉の一つや二つ作るくらいは簡単なんじゃないですか?」
“それができたらいいんだけど。あたしが作ろうと思っても無理なの。この塔だって造ろうと思って造ったわけでもないし、この地下都市だって気づいたらできてたわ。たぶん、あたしの感情によって生み出されたんだと思うんだけど、どうやったらできるのかは、私にも分からないの”
 申し訳なさそうに語る、その声を聴いていると、ツグミはかなり拍子抜けしたような気がした。絶対不可侵で、何よりも尊ばれるべき存在であるはずのお方様、実際話してみると極々普通の若い女性、それも少し気弱な感じのする、周囲を気にしすぎる、おとなしい女性に思える。
 ツグミもイカルの影響か、お方様への尊崇の念はしっかりと持っていた。だから実際に話すまで緊張していた。失礼のないようにしなければいけない、とも思っていた。でも、明らかにイメージとは違う、ただの若い女性の声だった。
「お方様、しっかりしてください。お方様なら塔を一瞬にして消すくらいのこと、できるんじゃないですか」
“むちゃ言わないでよ。そんなこと私にできるなら、何年もこんな所に閉じこもっていないわよ”
「何年も、ってその間、どうやって生活してきたんですか。食事は?」
“発光石が私にエネルギーをくれるから、食事はいらないのよ”
「じゃあ、トイレは?」
“・・・そんなことはどうでもいいじゃない。とにかく、もし私がこの塔を出ることができたとしても、外は私の黒い感情が渦巻いているわ。そんな所に私は出ていくことはできないの”
「どうしてです。ケガレだってお方様が生み出したものでしょう。お方様の力でどうにでもなるんじゃないですか」
“それは無理よ。私の黒い感情、あなたたちが言うケガレは、とても強いの。それに触れれば、私はすぐに呑み込まれてしまうわ。私だって今まで何度も、そう何度も抵抗しようとしたわ。でも無理なの。私はとても弱くて、ちっぽけでしかないの。・・・私は自分の悲しみも苦しみもただ受け入れて耐えるだけ。あらがう術を、私は・・知らない”
 あたしは誰と話しているのだろう?あたしが話しているのはお方様じゃない。ただの若い女性?・・・女の子?つらい事をただ耐えるしかない、抵抗もできない女の子。あの頃のあたしみたいに。でもそれじゃ大切なものがなくなっちゃう。あらがわないと。できなくても動かないと。
「リサ様!」
 ツグミの声が、光り輝く部屋中に響き渡った。
「ダメ、あきらめないで!ここから出られなかったら、どうやって選ばれし方様と会うんですか。せっかく選ばれし方様だって、大変な思いをしているのに、その気持ちに応えてあげて」
“選ばれし方様?誰のこと?”
「ええ!何で知らないんですか?あなたの物語でしょう。あなたがあたしたちに与えてくれた物語でしょう。あなたが選んだ唯一の人、タカシ様のことに決まっているじゃないですか」
 一瞬、間が空いた。静かな、とても静かな一瞬だった。続いて発せられた声は今までとは雰囲気が変わっていた。自らの情感のこもった声だった。
“・・・タカシ、今、この都市にいるのよね。気づいていたわよ。ずっと楽しみにしてた。ずっと見守っていた。そのうち私の所に来てくれるって思いながら。きっと彼なら来てくれるって、そう信じてた。でも、この世界が壊れはじめた。私の嫌な気持ちが、この地下空間に侵入してきた。壊れないように、この世界がなくなってしまわないように、私はジッと耐えるしかないの。意識をこの世界のすべてに集中して、崩壊しないように耐えるしかなかったの。だから彼を見失った。彼は今、どこにいるの?あなたは知っているの?知っているなら、彼に伝えて、私はここであなたを待っている、って”
 部屋中の輝きが増しが気がした。暖かい、優しく包み込むような光になっていた。
“ねえ、ツグミちゃん。よく聴いて。この世界に私はつながっている。だからこの世界のほとんどのことは分かるの。今、私が動いても、この世界は崩壊するだけ。私もケガレに呑み込まれてしまうだけ。あなたの大切な人も助からない、そんな気がするの。でも、彼に、タカシに会うことができれば、私もこの世界も変わることができるわ。なぜって、彼も私も選ばれた存在だから。選ばれたのは彼だけではないの、私もよ。遥か遠い昔に生まれた繋がりに、私も彼も選ばれた存在なの。だから私は彼に会うことができれば、本当の自分に戻れるわ。彼に会えれば、私を包む嫌な気持ちは消えていくわ。ここからも出ていくことができる。あなたの大切な人の中で固まっている私の心も、きっと消えてくれるわ。だから、だからツグミちゃん、彼を、タカシを私の所に連れてきて、お願い!”
 ツグミはゆっくり顔を上げた。けっきょく、タカシ様をここに連れてくればいいってことよね。せっかくここまで来たのに、まだまだ先は長いのね、と思わず落胆しそうになる自分に負けないように、口を固く結び、険しく前方を見つめた。
「分かったわ。タカシ様をあなたの所に連れてくる。だからイカルを助けてよ。きっと、きっと約束だからね!」
 HKIー500を両手で持ち直しながら、すくっと立ち上がりツグミは言った。そしてそのまま部屋の外へと駆け出そうとした。その背中に女性の声が掛けられた。
“ツグミちゃん、・・きっと戻ってきてね”
 ツグミは振り返らぬままに、しっかりとうなずいた。そしてすぐさま駆け出した。
 居ても立ってもいられなかった。必ずタカシ様をここへ連れてくる、その一心だった。身体中から悲鳴を上げてくる痛みなど、今はどうでもよかった。腕も足も肩も腹も、イカルが助かるのなら使い物にならなくなったとしても、後悔はしない。そんな思いで一心に、ただ駆けつづけた。
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