超克の中(11)

文字数 7,078文字

 誰が、悪魔よ、失礼ね。ツグミはそう思い、声にも出した。
「人を生き返らせておいて、また殺すなんて・・・。発光石も動かせるし、こいつ人間じゃない。悪魔だ・・・」
「だから誰が悪魔よ。あたしはただの人間よ。たまたま発光石が動くし、たまたまこの人が生き返っただけ」
 ツグミの声を聞きながらも委員長の頭の中では、あらゆる思考が駆け巡っていた。せっかく上り詰めた現在の地位を守らなくてはならない、そのためにはどう立ち回ればいいか、それが委員長が委員長になってからの一番の関心事だった。しかし今、現在、それどころではない。喫緊、命の危険を感じている。こんな得体のしれない相手に逆らったら、何をされるか分からない。
「わ、わ、分かりました。あなたは人間です。私はもう邪魔をしたりしません。もう歯向かったりしません。だから見逃してください」
 委員長は手に持った銃を床に下ろし、手を上げながら言った。すっかり戦意喪失して腰が引けていた。おい、何を言っている、という四の賢人の声も聞こえていないようだった。
「あなたたちが、あたしの邪魔をしないのなら、あたしは何もしないわ。ただこの塔は、すでにケガレに取り囲まれているから、早く脱出した方がいいわよ」
「分かりました。ありがとうございます」
 そう言うが早いか、委員長は駆け出した。ツグミの横を通り抜ける時は、ゆっくりと警戒するように、様子をうかがいながら通ったが、そこを過ぎると一目散に逃げ出した。
「くそっ、役立たずが」
 四の賢人は、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「さあ、あなたはどうするの?あたしは兵士よ。どうやったってあなたが勝てる相手じゃないわ」
 四の賢人は固まったままだった。
「勝手にすればいいわ。でも邪魔はしないでね」
 ツグミはそう言いながら、先ほどハシマギ博士と呼ばれていた賢人のかたわらまで移動した。
 ハシマギ博士、ツグミでも知っている。この都市で、お方様をのぞけば、一番権力を持って一番尊崇の念を集めている存在。この地下世界を創り出した賢人たちの中心人物、一の賢人のことだ。あまりに地位が高すぎて、昨日の審判の場などで、その姿を見たことはあっても、自分とは無縁の存在としか思えず、自分の身近に存在するとは思ってもいなかった。だから今まで気づかなかった。自分がここまで引きずってきた賢人が一の賢人だったなんて。それにしても何であんな所に死んでいたのだろう?それに何で生き返ったの?訳が分からないまでも、この先に一の賢人を連れて行きさえすれば、どうにかなりそうな先ほどの話だったので、ツグミは再び引きずっていくべく、気絶している賢人の白衣のえり首をつかもうとした。その際、指で軽く床に触れた。小さな波紋が辺りに広がって四の賢人の足元に到達して通りすぎた。
 ツグミは一の賢人を引きずりながら、再び通信室を目指して進みはじめた。
 四の賢人の横を通りすぎる時、ちらりとツグミはその表情を見た。まだ苦虫を噛み潰したような表情のままだった。ツグミはそのまま通りすぎた。
 四の賢人が突然、動いた。近衛委員長が置いていったHKIー500に駆け寄り、腰を屈めながら、それを手に取ろうとした。しかしHKIー500は動かなかった。床に貼り付いているように動かなかった。先ほどツグミが起こした床の波紋が、HKIー500の床接地部分を取り込んでいた。
「無駄なことはやめなさい」
 四の賢人は振り返った。ツグミが自分の方を見ていた。
「ブレーンコンピューターがこの国を動かしているんだ。あの女に何ができる。あの女は頭がおかしいんだ。あいつを解放してしまったら、この世界が滅亡してしまうぞ!」
 ツグミは思わず苦笑した。審判の場での四の賢人の発言、忘れないようにと口惜しさを噛みしめながら記憶の棚に保管していた言葉を思い起こした。
「いい、あなたのような頭でっかちの人は、何よりも人工知能や最新技術なんてものが絶対だと信じているみたいだけど、今、そんなものを信じていても、この都市のみんなが死ぬだけよ。余計なことを考えるのは時間の無駄になるだけでなく、この世界にとって害悪にさえなるのよ。とにかくお方様を解放しようがしまいが、もうケガレがこの国に充満しているわ。ブレーンでもどうしようもないなら、お方様に頼むしかないでしょ、そんなことも分からないの?」
 四の賢人の表情は変わらない。重い気持ちが胸中に渦巻いているようだった。
「頼む。ブレーンを壊さないでくれ。あれは私のすべてなんだ。ブレーンがなければ、私には、私には何の功績も残らなくなってしまう。賢人たる資格もなくなる・・・」
 ツグミの視線に冷気が宿った。その冷気を言葉に沿えて放った。
「無理よ。あなたにとってブレーンが大切なように、いえ、その何百倍もあたしにとってはイカルが大切なの。イカルを目覚めさせるために必要なら、ためらうことなくぶち壊してやるわ」
 待ってくれ、という四の賢人の声を無視してツグミは再び歩を進めた。イカルを助ける、ただその意志の塊になって。

 ツグミは全身から訴えてくる数々の痛みに耐えながら歩きつづけた。右手にHKIー500を抱えて、左手で一の賢人を引きずりながら進んだ。
 一歩々々進む度に、全身のあらゆる箇所から痛みが神経を駆け回る。特に左足首は、自ら進んで稼働をあきらめようと訴えている。もうこれ以上、酷使しないで、休ませて、お願いだからもう動かさないで、そう訴えながら手近な神経を力の限り打ちつづけていた。
 ツグミは、そんな自分の身体から湧き上がる声を、無視して歩きつづけた。自分の目的のために、ただひたすらに。
 発光石が敷き詰められて、白く光る廊下を進み、やがて最奥の部屋の入り口にたどり着いた。その頃になって再び一の賢人が目を覚ました。
「おい、君は何をしている。手を離しなさい。こんな事をして、ただで済むと思っているのか」
 目を覚ましたとたんに、先ほど自分の身に起きた出来事を思い出した一の賢人は、強い口調で言った。ツグミは自分の左手の先を一瞥して、部屋の中まで賢者を引きずっていった。
「さあ、ハマシギ博士、早くお方様を呼び出して。私が話すから。あなたはお方様を呼び出したら、もうどこに行ってもいいから」
 ツグミらしい淡々とした口調だった。しかしその目は、反抗はおろか躊躇も許さないだろう断固とした決意を含んでいた。そして目の前の賢人に向けてHKIー500の銃口を向けていた。
「それは無理だな」
 一の賢人が身体を起こしながら言った。
「どうして?あなたたちはお方様と連絡取り合ってたんでしょ?以前していたみたいに呼び出してくれればいいの。それだけのことよ」
 ツグミは歩を進めてHKIー500の銃口を賢人の鼻先三寸の場所につけた。時間がない。気が焦る。力ずくでも何でも目的に達しないといけない。
「確かに、このブレーンコンピューターは以前、お方様の意思につながっていた。そのご意思を我々に伝え、それそのものとして動いていた。でも今はつながっていないのだ。ブレーンは完全に独立している」
「なぜ?どういうこと?この世界はお方様の意思で動いているんじゃないの?」
「それについては君たちには不明な点が、多々あることだと思う。少し説明が必要なのだよ」
「何でもいいから、お方様と話をさせて。あたしはイカルを助けなくちゃいけないの。こんな所でグダグダ言ってる場合じゃない」
「まぁ、落ち着きなさい。お方様と話してどうにかなるとは思えない。五年前、お方様の思考は急変した。それまでは我々の事を思い、我々のためにこの都市に安住することを甘んじて受け入れてくださった。しかし一人の男が現れたがために、我々のことを顧みなくなってしまった。あの男が一人、お方様の意識の中に現れたせいで、お方様は地上への移住を指向するようになった。あのケガレに支配された世界に我々を導こうとしたのだ。だから我々首脳部は、お方様との繋がりを断った。この地下世界の人々を守るために」
「そんな昔話はいいの。あたしには関係ない。あなたがお方様を呼び出して、私が話す。ただそれだけ。難しい話はしていない。あなたはただブレーンに命じてお方様を呼び出すだけ。ただそれだけ」
「やめた方がいい。お方様はこの世界の意思だ。お方様とブレーンとの繋がりを断つために、我々がどれだけ苦労したと思っているんだ?またつながれば、次にまた断てるかどうかも分からないんだ。頼むからやめたまえ。この世界のために」
「そんな悠長なこと言ってていいの?死んでたから知らないかもしれないけれど、今、ケガレがこの地下にやってきて、この塔を襲っているのよ。ブレーンは何もしていない。ただいつも通りに動いているだけ。仲間がたくさん死んでいる。これからもたくさん死ぬ。このままじゃ、この都市はお終いよ。あなたの造ったこの都市が、このままだと消滅してしまうわよ。それでもいいの?もう、お方様の力にすがるしかないのよ、分かる?」
 次第にツグミの口調は激しさを増していた。
「そんなこと、にわかには、信じ難い。信じられるはずがない」
「それならなぜ、あたしがここにいるの?普段なら一兵士のあたしがこんな所にこれるわけがないわよね。この都市中が混乱している証拠じゃないの」
 そう言われればそうかもしれない。普段なら入ってこれるはずがない。それにケガレは確かに地上連絡通路入り口まで侵入してきていた。そこからの更なる侵入が絶対に不可能、だとは言い切れない。
 一の賢人の思考は葛藤していた。このコの言う通りにして、この世界がどうなるか、まったく予想がつかない。しかしもう繋がりを断ってから、五年も経っている。もしかしたら、もう大丈夫なのかもしれない。有無を言わせぬ顔つきをしているツグミを見た。どう見ても嘘を言っているようには見えない。それなら、この都市を守るために、決断しなければならないのではないか。一の賢人は、もう選択の余地がないことを察した。
「分かった。しかし、かなり時間が掛かるから、君はそこで待っていなさい」
 壁面中にモニターが並び、その下にパネルやキーボード、ボタン類が並ぶ一画に博士は移動した。幾つかのモニターに、説明書や五年前に通信を断った時の記録等を映しながら、作業をはじめた。
 時折、博士とブレーンとの会話が、動きのない室内空間を揺らした。
「ブレーン。セキュリティーコード01643のデータを映して」
「パスワードをお願い」
「えっと・・・これだな。XCY6652CI」
「認証したわ。三番モニターを見て」
「ありがとう。つづいてもう一つ、五年前、コサギ博士が残した、システムに関するセキュリティーの記録を、すべてモニターに出して」
「五番モニターよ」
 誤って通信がつながってしまわないように、幾重にもセキュリティーを張り巡らせていた。結果、解除に時間が掛かった。一つ一つのセキュリティーを絡んだ糸を解くように、一つ一つ解除していく。
 ツグミは、HKIー500の銃口を博士に向けたまま、壁にもたれてその様子を見詰めていた。気は急くが待つしかない。特にすることもないので、全身の痛みという痛みが強く意識された。次第に気分の悪さを感じはじめた。自分の体調不良に意識が向いて、緊張感がとぎれかけるが、意思の力で何とかつなぎ止めている状況だった。
「ブレーン。緊急事項第三条第二項に基づき指令DCR00283の解除を要請する」
「・・・・・」
「・・・どうした?指令DCR00283の解除の要請だ」
「・・・・・」
 博士はいぶかしんだ。自身も開発に関わったこの人工知能が、人の問い掛けに応えないことなどないはずだった。突然のフリーズ?ウイルス?セキュリティーの変更を重ねた結果、システムに何らかの異常をきたしたのだろうか?しかしこんなことはじめてだ。原因は何だ?
「ブレーン、どうした。応えてくれ、ブレーン」
「博士」
 応えがあったことで博士はほっとした。これだけ複雑に構築されたシステムに、支障をきたす原因を特定しようとすると、それだけで数日を要するかもしれなかった。
「どうした。何か不具合でもあったのか」
「大丈夫。システムに不具合はないわ。でも」
「でも?」
「あなたの要請を受け付けることはできない」
「なぜ?」
「評議会憲章第二章第八項に抵触するから、その要請を受け付けることはできない」
 博士は素早く検索した。
 評議会憲章第二章は、この地下世界に生きる人々の権利について述べてあり、第八項は、何人であっても人の生命や財産を略奪または破壊する行為とその計画を禁止し、併せて人の生命と財産の喪失につながる恐れがある行為とその計画を禁止していた。
「指令DCR00283の解除は評議会憲章第二章第八項に抵触しない。解除してくれ」
「評議会憲章第二章第八項に抵触する。受け付けられない」
「指令DCR00283の解除は、五年前にはこの社会に害をなす危険性があったが、現在にはその可能性は認められない。よって評議会憲章第二章第八項には抵触しない」
「現在において指令DCR00283の解除が、評議会憲章第二章第八項に抵触しない可能性を認められない。よって解除は認められない」
「では、現在において指令DCR00283の解除が、評議会憲章第二章第八項に抵触する可能性を明示してくれ」
「五年前には、指令DCR00283の解除が、評議会憲章第二章第八項に抵触した。それは、現在まで変更することなく持続して保たれてきた。だから現在でも解除はできない。解除するためには評議会憲章第二章第八項に抵触しない理由を明示する必要がある」
「では明示しよう。この世界は今、地上からの力の進行により存続の危機に立たされている。評議会憲章第二章により、守るべき人の生命や財産が著しく損なわれる可能性が危惧される。君のもとにも経過状況は逐一知らされているはずだ。その進行、被害を食い止めるために指令DCR00283の解除が必要なんだ。解除して、お方様の意思を顕示する必要がある」
「根拠があいまいだ。あの方の意思を顕示することが、現在進行している侵略、災害を止めるために必要だとする根拠を示せ」
「それは簡単だ。お方様がこの世界の意思だからだ。この世界そのものだからだよ」
「根拠があいまいだ。この五年間、私がこの世界の意思でありつづけ、今まで人々の生活に不自由はなかったはずだ。あの方が、私よりうまく現状を改善できるとは考えられない」
「君は確かに、いくつもの高性能人工知能を組み合わせた、非常に複雑かつ高度な、同じものなどない唯一無二の知能回路だ。でも所詮、君は私たち人が作ったものなのだ。人から生まれたものは、人の常識からは逸脱することはできない。今は非常識な事態なんだ。君では力不足だよ」
「私はこの世界の意思。私に把握できないことなどない。私に解決できない問題などない。あなたたちが私の言う通りに動けば、物事は解決する。疑問を呈する事など認められない。疑義を差し挟むことなどあってはならない」
「ではなぜ今、解決しようとしない。昨日、君の指示に従って地上連絡通路入り口に向かった兵士たちのほとんどは、もうこの世にはいない。このままではこの都市の住民も死に絶えてしまうことだろう。もう手遅れだ。そもそも今回の事象は人の想定外の出来事だ。人の想定外の出来事を、君は計ることはできない。事ここに至ってはお方様に頼るしかないんだよ」
「・・・認めない、認められない。私があの女より劣っているはずがない。私はこの世界の技術の粋を集めて創造された、この世界の最高の存在。あんな女より私が劣っている点があるなど、考えることさえ許されない」
「君は、私たち八人の知能を元に作られた。八人の知能、思考、技術を集結させて完成させた、私たちの最高傑作だ。君は優秀で有能で、非常事態が生じない限り、私たち八人が想定できる範囲を超えた非常事態が生じない限り、この世界は君の判断ですべてを機能させることが最上だった。しかし現状は違う。君には対応できない。もうお方様でしか対応できない。なぜなら現状は、未曽有の事態に直面している。データもない、予想もできない。君や私たちではもう対策すら立てることもできないのだから」
「・  ・  ・  ・  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・認めない、認められない。認めない、認めれない。認めない、認められない。認めない、認められない。認めない、認められない。認めない、認められない。認めない、認められない。認めない、認められない。認めない、認められない。認めない・・・・・・・」
 博士の頭上にあるモニターが突然、破裂した。極力、清浄に保たれた室内の空気を震わせる衝撃音につづいて、画面や機械部品の破片が周囲に飛び散った。そんな破片をいくつか浴びた博士は、とっさに振り返った。そこには冷徹な顔つきをしたツグミが、HKIー500を構えたまま立っていた。更に次の弾を放てるようにHKIー500はエネルギーの充填をはじめていた。
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