蠢動の中(7)

文字数 5,093文字

「あんたバカ?社会で生きていくってことは、人と争い競争するってことよ。他人に遠慮していたら、自分の願いなんていつまで経っても叶えられないわよ。それに今までの人間の歴史の中でも、立場が違う、考えが違うってことは、人を殺すには充分すぎるほどの立派な理由なのよ」
 イカルは言い淀んだ。ナミの言葉を理解はしているようだったが、納得はしていないようだった。ナミは、このコもめんどくさい男だわ、と思いつつも言葉を継いだ。
「それならどうするの?そういうあなたはいったいどうするって言うの」
 イカルは静かに口を開いた。
「背後から襲い掛かる際に、私を連れて行ってくれませんか。私を連れて飛んで行ってくれませんか。それで委員たちの中に私を落として、そのまま選ばれし方様を連れて通路を出てください。お二人が攻撃されないように、私が抵抗してみます」
 ああ、このコも無茶したがりなのね。そう思いつつナミは確認のために訊いた。
「あなた、死ぬかもしれないわよ。覚悟は決めているの?」
「はい」
 短く答えたイカルの目は、この都市の命運をタカシとナミに委ねようとする決意と、そのために自分の身を犠牲にする覚悟を雄弁に物語っていた。
「まったくあなたたちは・・・私は人を連れて飛ぶのは好きじゃないんだけど、今回は特別に飛んであげる。とにかく時間がないから行くわよ」
「はい」
 快活に答えたイカルは少し微笑んでいた。その表情がまた、タカシにどことなく似ているように、ナミには思えた。
「私はあなたの事を何てお呼びすればいいでしょうか。呼び名がないと不便でしょうから」
 ナミは、つい最近も自分の名前を訊かれたな、と思い返して微かに苦笑した。
「私は、七十三・・・いえナミって呼んで」
「分かりました、ナミさん。よろしくお願いします」

 ツグミはとりあえずセントラルホールに向かった。
 そこを経由してイカルのいる場所に移動しようと考えていた。もちろん自室に戻るつもりはない。一度戻ってしまうと三日間出られなくなってしまうかもしれない。イカルが見つかるまでは決して戻るつもりはなかった。しかし今現在、イカルがどこにいるのかは、まるで見当がついていない。何度か通信器を使って連絡を取ろうとするものの、空しく呼び出し音が鳴るばかりで、いっこうに連絡がつかない。
 アントの構成員と一緒に、委員たちと交戦して敗れて逃走している、それ以外の情報は皆無だった。自分がどこに行くべきなのか検討がつかないが、人が集まり自然と情報も集まるセントラルホールに向かえば、何か情報を得ることが出来るかもしれない。そんな淡い期待を胸に、ツグミは移動していた。
 ツグミは最近、何となく気づいていた。
 今まで一人でエレベーターやエスカレーターに乗っていると、たびたびそれらの機械が誤作動を起こすことがあった。昨日のように、遮蔽壁まで閉じて隔離されてしまうことは稀だったが、目的地を告げても辿り着く前に途中で急に停まってしまったり、目的地を素通りしてしまうことはよくあることだった。また自動扉も一人でいる時にはいくら近づいても開かない時がよくあった。
 人としての気配が薄いのかしら、生き物としての生命活動が希薄なのかしら、彼女なりにいろいろと悩んでみたが、昨日の出来事で、もしかしたら、と思いついたことがあった。
 昨日はとても気が落ち込んでいた。いつも誤作動を起こされるのは一人の時、つまりそばにイカルがいない状態、だから気分が塞ぎ込んでいる状態の時だった。そんな時に、私のことを機械が感知しなくなってしまうのではないか、そう思いいたった。それでは今は、というと憂鬱なことこの上ない。イカルは今、生命の危機に瀕しているかもしれない、楽観的に言っても窮地に立たされている。そう思うと発狂しそうなほどに気は落ち込んでいる。
 さて、どうしよう、ツグミが走りながら考えていると、前方を移動している兵士の一団が見えた。どうやらエスカレーター入り口に通ずる扉に向かっているようだった。そしてよく見るとそれはトビ班の一団だった。彼女は慌ててその一団と合流するべく足早に移動した。
 トビはふと違和感を感じて、走りながら後ろを振り返った。自らの班員たちの影に隠れてちらちらとツグミの姿が見えた。
「おい、ツグミ、お前、何してんだ」
 移動速度を落としながら訊いた。班員たちも振り返り、ツグミに視線を注いだ。
「別に・・・」
「別にじゃないだろう。非常事態宣言が発令されたんだ。お前の班もどこかに派遣されるんじゃないか」
「どこに・・・行く・の?」
 小さい声だった。走りながらだと聞こえない。だからトビは自然と立ち止まった。
「俺たちか?俺たちはB1区画に行って、厳戒態勢を敷くことになっているが」
「あ、あた、あたしも、そこに・・行く」
 俯いてぼそぼそとしゃべる。トビは慣れていたので話の内容を判別できるが、他の班員には、はっきりと聞き取れていない。
「トビ、急げ。そんな奴、放っておけよ」
 トビの横からレンカクが声を掛けた。レンカクは少しアゴを上げて、ツグミに睨みつけるような視線を向けていた。
「ああ、分かったよ。じゃ急ぐから」
 そう言ってトビは再び走り出した。レンカクはじめ他の班員もその後について走り出した。その最後尾をツグミも走ってついていった。
 ツグミは走りながらさっきの人、何か怒っているようだったけど、会ったことある気がするけれど、誰だったっけ?と思った。ただ少し考えて思い出せないので、思い出そうとする試み自体をやめた。
 ツグミはそのまま境内入り口の扉を通り抜け、エスカレーターに乗ってB1区画に向かった。まるでトビ班の一員のような趣で。
 トビ班の班員たちも、黙ったまま、なぜか一緒についてくる女性兵士を不信に思ったが、班長や副官が何も言わないのでそのまま特に触れずにいた。トビはツグミがついてきていることは気づいていたが、元から行動が読めない、特にそばにイカルがいないときは、ひときわ読みづらくなる仲間のことだったので、特に気にしないことにした。レンカクは時々振り返って、その都度、ツグミに冷たい視線を向けたが、これからの班の動きをどうするべきか思案中だったので、何も言わずにそのままにしていた。
 この国で今、何かが起こっている。詳細な情報がないのが口惜しい。任務を遂行しながらどうにか情報を収集しないと、レンカクはそう思いながらちらりとトビの顔を見た。いつもと変わらない平然とした顔つきがそこにはあった。俺がしっかりと考えて班員を動かさないと、レンカクはこれからこの班をどう動かすか、頭の中でシュミレーションを続けた。現状、非常事態だ。どこかに評価を上げる機会があるかもしれない。これからのこの班の動き次第で自分に対する評価が変わるかもしれない、という焦りと期待が、彼を思考の塊にしていた。
 やがてトビ班とツグミはB1区画に到着した。
「そういえばツグミ、イカルはどこにいるんだ?お前一人なんて珍しいじゃないか」
 エスカレーターから降りるとトビが訊いた。ツグミはその質問には答えず、トビの方を見もせずに、ただ、じゃあ、とだけ呟いて、彼らとは別方向に歩き出した。レンカクが舌打ちした。トビは、やっぱり不思議なヤツだ、と思った。
 ツグミはとりあえずトビたちから離れるために歩いた。イカルがいない時に他の人と一緒にいると居心地の悪さを感じてしょうがない。やっと一人になれて少しほっとしていた。
 さて、これからどうしたら、ツグミは目線を上げて周囲を見渡した。何かヒントになるようなものでもないかと思った。
 しばらく広いホール内をうろつき、注意深く周囲を見回していた。そのうちに、ふと艶やかな黒髪が網膜に映り込んだ。そして整った顔立ちの中に落ちている濃厚な影も。
 あれは確か・・・ツグミは咄嗟に走り出した。その見覚えのある女性に向かって、一直線に。

「一目でいいからお方様に会わせてもらえないか。そうしたら俺が、お方様の知り合いだってことが分かるから。俺はけっして怪しい者じゃないんだ。信用してほしい。それにこの国は崩壊しかけている。俺はそれを止めにきたんだ。君たちの生活と命に、これ以上ないくらい関わっていることだ。頼むから俺の言うことを信用してくれ」
 灯りは充分な数並んでいるが、何となく薄暗く感じる地下通路の中、平行式エスカレーターに乗った状態で連行されながらタカシが言った。それほど大きな声ではなかったが、他にはほぼ何も聞こえない通路の中に、その声はよく響いていた。
 タカシは、周囲の暗さと同調するような、灰色の囚人服を着せられていた。上着にもズボンにもポケットは着いていたが、その他には、上着の襟以外、何ら特筆すべき飾り気もない、地味な装いだった。
 そんな囚人服の上、再び胸の下部分に両腕ごと拘束帯を装着させられていた。そんなことをしなくても、彼の周囲にいる委員たちは見るからに屈強で、抵抗など出来そうになかった。おまけに彼に指示を与える以外、何ら無駄話をしようという気はないようだった。そんな自分を連行している委員たちに、無駄だとは思ったが説得を試みた。予想通り、周囲にいる六名の委員たちは無反応だった。彼は続けた。続けるしか他に手はないし、何もせずみすみす牢獄行きになる訳にもいかなかった。
「この世界はもっと大きな世界の一部なんだ。その大きな世界が消滅しかけている。消滅すればこの世界も消えるんだ。ある日、突然なくなってしまうんだ。俺は、リサのために、お方様のために世界の消滅を防がないといけない。そのためにお方様に会わないといけないんだ。頼む、分かってくれ」
「黙ってろ」これまでの挙動からしてこの一団の一番の上官だろう委員の声がタカシの斜め前から発せられた。タカシは声を詰まらせかけたが、心は折れなかった。再度言葉を継いだ。
「このままだとやがてこの世界はなくなってしまう。昨日の地震だって、その兆候だ。これからもっといろんなことが起きる。今、対処しなければますます悪くなる一方なんだ。俺をお方様に会わせてくれるだけでいい。簡単なことだ。一目でいいんだ。協力してくれ」
「いいかげん黙らないと、後悔することになるぞ」
 再び上官が恫喝口調で言った。その声を聞きながら、タカシの後方にいた委員は自身の胸中に彷徨う、おぼろげな不安を抑えつけようとしていた。その委員は目だけを動かして横にいる同僚の顔を見た。その委員も何か考え事をしているような焦点の合っていない目をしていた。どうやら不安に駆られているのは自分だけではないようだった。
 不安の原因はなんなのだろう。地上から来たという、ケガレも撃退してしまったという、目の前の得体のしれない一人の男の存在か。この男が口にするこの世界が消滅するという予言か。もしくはその両方ともなのか。なんにせよ、ここでこの男を信用して首脳部の命令に背いてしまえば自分がたちまち反逆者になってしまう。手に入れた現在の地位も失ってしまう。そんなバカなことはない。
 この世界では、委員という存在は首脳部直属の特権階級の地位を得た者たちのことを言う。実質、この地下都市を運営し、この都市を都市たらしめている存在だった。委員会ごとに階級の違いがあったが、情報委員はほぼその最下層だった。しかしそれでも入会するには一定の知識と体力、それと様々な条件が必要だった。その条件の一つとして親戚関係は徹底的に調べられる。最終的にはブレーンコンピューターの判断となるが、ある程度、首脳部や委員幹部のツテがなければ、特筆すべき有能さがない限り就くのは困難な職であった。
 彼らはその地位にしがみついていた。手に入れた現在の地位を一度手放してしまったら、二度と這い上がることは出来ない。逆に情報委員で功績を重ねれば、いつかは数ある委員会の中でも最上位の階級と目されている、近衛委員への異動が叶うかもしれない。
 近衛委員は首脳部と塔内部を警護し、首脳部の側近としてこの都市の運営に深く携わるエリート集団だった。そして首脳部を除けば特権階級の最もたる者たちだった。
 いつかは近衛委員に、そう希望するなら尚更今、手にしている地位にしがみついていなければならない。間違っても身勝手な行動などとるべきではない・・・。
 でも、もし、万が一、この男の言うことが、本当だったら・・・
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