感応の中(10)

文字数 5,161文字

 タカシとリサは手を握りしめたまま、白い光に包まれて、ゆっくりと地表に降り立った。
 すでに白い塔も黒いケガレも存在していなかった。ただ、ケガレと一体となりながら舞い落ちる、発光石の白い光があるばかりだった。
「すごいね。君にこんな力があるなんて知らなかったよ」
 すぐ横にいるリサのあたたかさを、ただ幸せと感じていた。
「あたしも今まで知らなかったわ。あなたが来てくれたから、何でもできる気がしたの。どんな嫌なこともそれほど気にならなかったから。だからこれは、あなたの力だと思うの」
 リサが微笑みながら彼を見上げた。その微笑みを見たいがために、自分はここまで来たのだと、タカシは改めて思った。
「そりゃ何たって俺は、選ばれし方様だからね」
「選ばれし方様?」
「え、知らないの?」
 驚いているタカシの背後から声が聞こえた。
「再会を楽しんでいるところ悪いんだけど、そろそろ次に行かないかしら。こんなところで時間を無駄にしている余裕はないのよ」
 すぐ後ろに、革製の黒いロングコートに身を包んだナミが立っていた。
「リサ、彼女はナミ。君の送り霊であり、僕が君を救うために協力してくれている人、いや霊魂だ」
「あたしを救う?霊魂?」
 こんな隔絶された世界では無理もない話だったが、リサはまだ現実世界での自分がどういう境遇に陥っているのか分かっていないようだった。
「あなたの本体は今、瀕死の状態なの。それをこの男と私が救いに回っているところよ。あなたはその一人目。あと三人救わないといけないわ。それもあなたの本体が息を引き取る前にね」
 リサはよく状況がつかめていなかった。でも発光石の力で修復したとはいえ、タカシの身体が満身創痍だということはすぐに分かった。それだけ自分のために苦難の道のりを乗り越えてきたのだろうことも。リサは少しの間、目を閉じた。そして再び目を開いた時には、光り輝くような、とタカシが感じる優し気な微笑みを咲かせていた。
「タカシ、ナミさん、私のためにありがとう。でも無理はしないで。お願い」
 タカシは満面の笑みをたたえていた。
「うん。分かったよ」
 きっと、分かってないわよね、そうナミは思ったが、言葉には出さなかった。それにしても、愛する男と再会した喜び、ただそれだけで今までの苦悩や悲哀や憤怒の情を凌駕してしまうなんて。このリサってコは本当に単純なのかしら。もしくは、やっぱりこの二人の繋がりが尋常ではないということ?
 周囲から隔絶された喜びの空間がタカシとリサの間に存在していた。止めなければいつまででも二人はそのままでいただろう。だからナミは少し咳払いをした。
 タカシとあって数日間、その間に見たこともない笑顔が向けられた。ナミはちょっと不快に思った。
「そろそろ行ってもいいかしら」
 そう言うナミの左胸の上に小さな赤い点をタカシは見つけた。
「それは虫かい。何か付いているようだけど」
 よく見るとそれはテントウムシだった。ジッとその場にしがみついて動かずにいる。
「これは・・・あたしの幼なじみよ」
 ナミはその虫を見た。ここを出たら私もこの人も霊力補充しないとね、と思いながら。
 そろそろ行かないと、そう言いながらタカシがリサの肩を両手でつかんだ。そう言われてリサは、上目遣いにタカシに視線を向けた。まさに、もう行くの?と寂しがっている表情に見えた。
 タカシはリサの腕を突然つかんで引っ張った。そして先ほどまで戦闘を行っていた兵士たちのところに連れて行った。
 兵士たちは精も根も尽き果てたようにその場に座り込み、寝転び、倒れていた。誰もが口を開く元気さえないようだった。二人はすぐそばまで近づいた。
「みんな、お方様だ」
 タカシの声に全員がリサを見た。その顔に笑みがこぼれた。
「みんなのお蔭でこうしてリサを、お方様を救い出すことができた。本当に、ありがとう」
 一番近くにいたノスリが重い身体を何とか立ち上がらせた。そして兵士たちの方に向き直り、残った力を振り絞って声を上げた。
「みんな、ケガレを退けたぞ。お方様は無事だ。俺たちは勝った。勝ったぞ!」
 残り少なくなった兵士たちから歓声が上がった。リサはその勢いに少し身をすくませたが、タカシが、大丈夫、この人たちは君の味方だ。君のことを守ろうとしてくれた人たちだ、と小声で言ったので、安心した。二人の前にノスリが正対して敬礼した。
「ノスリ、俺の大切なリサを、君たちの大切なお方様を、これからも守ってくれ。頼んだぞ」
 タカシは右手を差し出した。ノスリは、ハッ、と答えながらその手を強く握りしめた。
「それからイカル君とツグミちゃんのことをよろしく頼む。彼らには本当に世話になった。二人とも姿が見えないけど大丈夫だろうか?よろしく伝えてくれ」
 ノスリは更に握手をつづけながら、お任せください、と答えた。
「じゃ行くわよ」
 ナミの声が背後から聞こえた。タカシは名残惜しい気がした。ノスリ、エナガ、トビ、その他の兵士たち。自分たちのために命懸けで奮闘してくれた人たち。タカシの心の中には感謝の念しかなかった。
「みんな、本当にありがとう」
 そう言ってからタカシはリサに向きを変えて正対した。
「じゃ、他の世界の君を救いに行ってくるよ」
「うん。気をつけて」
 リサは微笑んでいたが、その目は寂しそうでもあり、心配している風でもあった。タカシは背を向けかけたが、またリサに正対して、急に、抱きしめた。
「何があっても君を助ける。すべてを受け止めて、すべての障害を乗り越えて、きっとまた君に会う。無理をしても、命懸けでも、絶対に君を救うから」
 ただ意志のみを込めた言葉だった。リサはタカシの腕の中で小さくなっていたが、微笑みながら、うん、と言いつつ小さくうなずいた。
 少しの間を空けて、タカシは身体を離した。二人はそのまま見つめ合っていた。
「そのくらいでいい?そんなに見つめ合いたいのなら、完全にこのコの命を救ってから存分に見つめ合いなさい」
 タカシは微笑みながら首を巡らしてナミの顔に視線を移し、一度うなずいた。
 ナミはこのままではいつまで経っても別れが済まないと思ったので、すぐさまタカシの手を取った。
「じゃ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
 その声が耳に届いた瞬間、ナミとタカシの姿は消えた。

 
・・・それからほんの少しの時間が経った頃、そこからほんの少し離れた場所で・・・  


 発光石が空気中にただよって、大粒の雪が舞っているような場景の中、ツグミとアビはとにかく中央病院を目指していた。けっして近い距離ではなかったが、何度か立ち止まりながら、なんとか二人はたどり着いた。
 ロビーでアビが、イカルの居場所を訊いてきてくれた。イカルは集中治療室にいるらしい。死体安置室と言われなくて、ツグミは少しほっとした。アビは集中治療室への行き方も訊いてきてくれていたので、その案内でツグミは速やかにイカルのいる場所へとたどり着くことができた。
 扉の横がガラス張りになっていた。アイボリー一色に彩られた部屋の中央にベッドがあるのが分かる。その周りを医者と看護師が囲んでいた。
“何かあったのかしら?容態が急変したとか。もしかしてもう手遅れ・・・”
 ツグミは立ち止まった。無性に怖かった。恐れが全身を細かく震わせた。確かめるのが怖い。イカルを見るのが怖い。
 アビは扉を開けようとした。しかし何らかの鍵がないと外側からは開かないようになっているようだった。アビは扉を離れてガラス張りになっている壁に近づいた。そしてそのガラスを素手で叩いた。
「開けてください。中に入れてください。お願いします」
 アビの声が廊下に響き渡った。
 その声とガラスが叩かれる音にクマゲラは振り返った。クマゲラはすぐに扉までやってきて開けた。
「やあ、ツグミちゃんたち。どうぞ」
 クマゲラが部屋の中に二人を招き入れた。
「さぁ、行きましょう」
 アビはツグミに声を掛けると先に自分だけで部屋の中に入っていった。そしてイカルがいるのだろうベッドの脇まで一直線に駆けていった。
 ツグミは扉を入って立ち止まった。これ以上、進むのが怖かった。ベッドの方を見ながらただ立ち尽くした。そんな彼女の耳に話し声が聞こえた。
「班長、大丈夫ですか」
「ああ、もう大丈夫だ。心配掛けたな」
 それは間違いなくイカルの声だった。看護師やアビの背中の陰になっていてその姿は見えなかった。
「本当ですよ。みんなとても心配したんですよ。でも本当に良かった」
「はは、すまないな」
「それにしてもよく蘇生したよな。正直、俺ももう無理だって思ったよ」
 クマゲラの大きすぎる場違いな声が部屋の中に響いた。他に看護師の声も聞こえた。みんな嬉しそうな、安心したような声を出していた。
「そういえば、アビ。ツグミは?今どこにいるんだ?」
「えっ?先輩なら一緒に来ましたよ。ほらそこに」
 アビが身体を横にずらしながら、後ろを振り返った。
 入り口に佇むツグミの姿があった。
 その目からは涙が、後から後から、次々に、とめどもなく、取り留めもなく、あふれ出て、立てつづけに、ひたすらに、ただ、流れ落ちていた。
 泣かないって決めていたのに、涙腺がそんなこと、まったく無視をする。勝手に涙を流そうとする。ツグミは涙も拭かずに、ただ立ち尽くしていた。自分の目の前で微笑む、イカルの姿を見つめながら。
「ツグミ」
 イカルのあたたかい声が鼓膜を優しくくすぐる。
「イカル」
 いったん声を出すと嗚咽がつづけざまに込み上げてくる。何度も何度もしゃくり上げる。その合間に声を出す。うまくしゃべれない。
「イカル・・・あたし、頑張ったよ」
「うん、分かってる」
「何度も、くじけそうになったけど、頑張ったよ」
「分かってる」
「痛かったけど、泣かずに、頑張ったよ」
「ツグミ」
「みんなが、助けてくれた。みんなで、力を合わせて、やっと、あなたを・・・」
「ツグミ」
「あなたを・・・あなたを助けることができた・・・」
「ツグミ、おいで」
 イカルの優しく微笑む姿を、開いてこちらに向けられた両手を見て、ツグミは駆け出した。
 もうイカルしか見えなかった。心の底から待ち望んだ瞬間。どんな苦難も乗り越えてたどり着いた腕の中だった。
 ツグミはイカルの腕の中に抱かれた。更に涙腺は制御することを放棄したように大量の涙をあふれさせた。ツグミは声を上げて泣いた。もう何も我慢できなかった。声の限りに泣いた。イカルの手が優しく髪の毛を撫でていた。
 アビもクマゲラも看護師たちも、二人の様子を見て優しく微笑んでいた。アビの目には薄っすら光るものもあった。
「さあ、俺たちは行こうか」
 クマゲラが珍しく小さな声で言った。みんななるべく音を立てないように、二人の邪魔にならないように、そっと部屋を出ていった。
“先輩、良かったですね”
 アビは扉の前で立ち止まって、そっと涙を拭きながら思った。その時、突然ツグミの泣き声の音程が変わった。声の質も突然変わった。その瞬間、アビは、あっ、薬が切れた、と思った。
 言い知れぬ苦悶の叫びが辺りにこだました。おい、ツグミ大丈夫か、というイカルの狼狽している声も聞こえる。アビはあわてて廊下に出てクマゲラを呼んだ。
 クマゲラと看護師は急いで治療室に戻り、すぐさま鎮静剤をツグミに打った。たちまちツグミは意識を失った。
 ツグミはあまりの苦痛からイカルの患者服の胸あたりを握りしめていたが、眠ってもその手は開かなかった。クマゲラもイカルも仕方ないので眠りやすいように少し体勢を整えて、そのまま眠らせておくことにした。
 それからクマゲラたちは少しツグミの状態を調べたが、命の危険はないと結論づけて、ケガの治療は起きてから行うこととして、そのまま部屋を退出していった。
 アビは二人に向けて軽く頭を下げると、クマゲラたちの後を追った。そして扉の手前で立ち止まり、振り返った。
 イカルの胸に頬をうずめて、穏やかな寝息を立てているツグミの姿があった。
 その顔は笑っているように見えた。幼児が母親の胸に抱かれている時のように、すべての安堵と希望と幸せを混ぜ合わせて、優しくとろみと甘味を加えたような、心の底から安心している寝顔だった。
 自らの力で望みを叶えて充足感に満たされた姿が、そこにはあった。
 極々単純な幸せの姿が、そこにはあった。
 とても柔らかく優しい時間の流れが、そこにはあった。

          ~終~
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み