邂逅の中(2)

文字数 6,010文字

 先に脱出した兵士への聴取に向かった班員が戻ってきた。
「内部には非常に多くのケガレが存在しているようです。しかも後から後から次々に新しく出現している模様。他の生存者は不明。しかし恐らく脱出してきた七名のみで間違いない、とのことです」
 予想はしていたが、報告を聞いて改めて戦慄する思いを抱いた。ほぼ全滅。敗走などという生易しいものではない。これがケガレと争うということなのだ、そうイカルは思い知らされた気がした。
 特段の被害があるとは思えなかったが念のため、イカルは自分の班員に各班の被害状況を調べるように指示を出し、また扉周辺を警戒するように指示を出した。そして扉の前で呆然と立ち尽くしているノスリの前へとツグミを連れ立って歩いていった。
「ノスリ、大丈夫か?」
 イカルが訊いた。三人はともに旧知の仲だ。職務上というよりも友人として訊いたつもりだった。
「中には他の生存者はいるのか?」
 うつむいて自らの足元を見つめていたノスリが、首を巡らせてイカルに視線を向けた。虚ろな目がイカルに向けられていた。あまりに激しい情動の奔出を経て気が枯れ果ててしまった、という目をしていた。本来ならノスリの方が、背も高く身体つきも大きいはずだったが、今、目の前のノスリからはそんな圧迫感は微塵も感じられなかった。ただただ疲れ果てているように見えた。
 ノスリはイカルを見たままゆっくりと首を横に振った。
「よく生きて戻ってきた。ゆっくり休んでくれ。後は俺たちが対処しておく」
 五十人いた兵士のうち、生還したのは五名のみ。その事実だけで扉の中でどれほどの惨劇がくり広げられたのか想像がつく。イカルはそっとノスリの肩を抱いた。
 ノスリの精神状態は心配だったが、イカルにはまだしなければならないことがあった。身元不明者の連行だ。イカルは自分の班の衛生兵を呼んだ。
 身元不明の男女はすぐ近くにいた。あずき色のベレー帽を被り黒いマントに身を包んだ女性は、片手に男のえり首をつかんだまま周囲を睥睨していた。男は手も足も力なく投げ出して、座った姿勢で気を失っているようだった。
 イカルはノスリの肩から手を離し、衛生兵にその身を預けて、ナミとタカシのもとに移動した。
「私はこの部隊の指揮を執っている者である。あなた方を保護し、連行する。一緒に来ていただきたい」努めて事務的に、感情を込めずに言った。
 この二人については不明な点が多すぎて、どう対処するべきか分かっていない。色々詮索したい、聴取したいことはあるが、本部からはただ連行することだけを指示されていた。だからそれ以外は越権行為に当たるかもしれない。先ほど内部で行われた戦闘でのこの二人の行動は決して敵対する存在のそれではないように見えた。しかし完全な味方であるという確証もない。だからここは極力事務的に事を進める必要がある気がしていた。
「悪いけど、それは出来ないわ。私たちはそんなにヒマではないので」
 ナミがイカルを上回る感情の込もっていない事務的口調で答えた。イカルは、口調以上に感情の宿っていないガラス玉のようなナミの目を見て、違和感を抱いた。どうも人と話している感覚がなかった。人形とでも話している感覚だった。
 イカルが再度、大人しく連行されることを了承してもらうために言葉を継ごうとした矢先に、ツグミがイカルとナミの間に割って入った。
「あなた、たちに、ヒマが、あるかないかなんて・・訊いてないの。大人しく、ついて来て、って言ってるの」
 さすがにツグミはHKIー500の銃口をナミには向けていなかったが、右手は腰に着けたホルダーの留め具を外し、そこに入っているナイフをすぐにでも抜けるように柄に手を掛けていた。
「やめろ、ツグミ」イカルが言った。自分に敵対的言動を示す相手に対して、ツグミがいつも向ける冷たい視線を、目の前の女性に浴びせていることは、見なくてもはっきりと分かった。
「あなたたちのいるこの世界は、もうすぐ消滅してしまうわ。私たちはそれを防ぐためにここに来たのよ。無駄な時間を費やして私たちの邪魔をするのなら、それは自分の首を自分で締めるようなものよ。理解するのは難しいかもしれないけど、もう色んな点で崩壊の兆候が出はじめているんじゃないかしら。あなたたちもそれに気づいているんじゃない?私の言うことに耳を貸していた方があなたたちのためよ」
 タカシは意識が戻ると同時に目を開いた。頭上からナミの声が聞こえていた。突然、身体中から痛みを感じた。いたる所を打ち、擦りむき、切れて血が出ている箇所もあるようだった。そして自分の上着のえり首を誰かにつかまれていることもすぐに分かった。そのつかんでいる相手がナミであることも。タカシは声がする方に顔を上げた。
「初対面の、あなたを、すぐに、信用できない。あなたこそ、私たちの言うことに、耳を、貸しておいた方が、身のためよ」
 目覚めていきなりの険悪な雰囲気だった。座り込んでいる状況ではなさそうなので、タカシは自分の身体の負傷箇所をかばいながらゆっくりと立ち上がった。
「あなたたちは人の自我が生み出した想像の産物。想像した本人が死んでしまえばカゲロウよりも儚く消えていくしかない代物なの。そんなあなたが霊体である私にそんな口をきくなんて自殺行為でしかないってこと教えてあげないといけないかしら」
 そういいながらナミはツグミに向けて左手のひらを差し出した。ほぼ同時にツグミがナイフをホルダーから抜き、その切っ先をナミに向けた。
「やめろ」
「よせ」
 タカシとイカルがほぼ同時に声を上げた。声を上げながら、タカシはナミの左手を下ろし、イカルはツグミの二の腕をつかんで動きを抑えた。
「ナミ、俺はなるべくこの世界の人たちと協力してこの世界の崩壊を防ぎたいんだ。俺たちだけじゃなかなかこの世界の崩壊を防ぐのは難しいだろ。だから君はその路線で手助けしてくれないか」
「ツグミ、何考えてるんだ?俺たちはこの人たちを首脳部まで連行しなくちゃならないんだぞ。武力行使はなしだ。状況を説明して、あくまで説得するんだ。ここは俺に任せておけ。俺を信用してお前は下がっていろ」
 互いの男女が小声で打ち合わせを済ませると、女性二人は納得したように一歩後ろに下がった。
「改めまして、私はこの部隊の指揮を執っている者です。あなたたちをこの国の首脳部にお連れします。もちろん客人待遇です。ご同行いただけますでしょうか?」
 十六歳くらいだろうか。姿勢や対応には大人びた感じも見られるが、大学生にしては顔や体つきに幼さが見受けられる。タカシはイカルの姿を眺めながらそう思った。そして無性にイカルに対して親近感を抱いていた。自分の十六歳の頃はこんなにしっかりとはしていなかったが、雰囲気的には似通っていたのではないだろうか、と勝手に思っていた。
 タカシはイカルを無条件に信用してしまいたい、という誘惑を振り払って言った。
「同行することに異論はない。しかし俺たちの身の安全は保障されるんだろうな。ついて行ったらいきなり捕まって解剖されたり、牢獄生活がはじまったりしないだろうな」
「もちろん大丈夫です。この国の首脳部より直々に、あなたたちを丁重にお連れするようにと指令が出ています。安心してご同行ください」
 職務上、有無を言わせぬ口調だったが、それとは裏腹に、イカルはタカシに対して理由もなく好印象と好奇心を抱いていた。なぜだろう初めて会った気がしない。ずっと昔から親しんできたような感覚。それにこの顔はどこかで見たことがある。他人の空似ではない。確かにどこかで・・・。
 タカシは、現状を鑑みながら、これからどうするべきかを考えた。リサのことは誰よりも理解している気でいたが、その自我の中に入ってしまうと分からないことだらけだった。分からないなら分かる人たちに協力を仰ぐしかないだろう。それならこの人たちに状況を説明して協力してもらうのが最善かつ確実なのではないだろうか。しかしそんなに上手く事が運ぶだろうか。最悪、取り調べられるだけ取り調べられて放置されて時間ばかりが過ぎていく事態にならないとも限らない。しかし今、この世界の人たちに敵対行為を見せるのは得策とは言えない。不安はあるけど、この少年なら我々を悪いようにはしないのではないか。そこまで考えてタカシは言った。
「分かった。君たちに同行しよう。ただし、君が担当としてこの先、必ず私たちに同行してくれ。いいな」
 タカシとイカルの視線が重なった。お互いに確かに何らかの繋がりのようなものを感じた。
「分かりました。私が責任を持ってお連れいたします。よろしくお願いします」
 なぜ目の前の男が自分を担当として指名したのか少しいぶかしみながらもイカルは右手を差し出した。タカシも同じく右手を差し出し二人は握手を交わした。
「俺は凪瀬タカシ。よろしく」
「治安部隊モズ分隊所属、イカルです」
 イカル?この少年がイカル??落ち着いて人を捜すような状況になかったために脳裏の隅に追いやっていたが、アトリが言っていた自分が捜すべき少年が労せずして目の前に存在している。偶然にも、出会えた。タカシは喜び、安堵した。いったいこの先どうなることかと思っていたが、これで多少なりとも道が開けそうな気がしていた。
「君が、君がイカル君なんだね」
 イカルの手を固くにぎり締めながら明るい顔つきをして、そう言葉を発しているタカシの姿を視界の端に見て、ノスリは混乱する頭の中を整理しようと努めた。しかしミサゴをはじめ、多数の仲間を失った現実を受け入れられない現状では、混乱は混乱のまま頭の中を渦巻きつづけるしかなかった。
 あいつが来たから?あいつがこの世界に来たからケガレがやって来たんじゃないか?全てあいつが悪いんじゃないのか?ミサゴも他の奴らもあいつが殺したようなもんじゃないのか?
 ノスリは精神的に疲弊していた。だから論理的思考が破綻していた。結果に対して原因を、自分の思いたいように思い描いて帰結させていた。ノスリの脳裏で、タカシが五十人近い兵士を殺した張本人として確定されていった。
“イカル、やめろ、そんな奴を信用するな”
 ノスリは応急治療をしていた衛生兵の手を払って、重い身体を引きずりながら二人の方へ近寄って行った。
 イカルとあの男が固い握手を交わしている。視線を交えながら心を通わせている。
“やめろ、そんなことをするな。奴に関わるな”
 ノスリは手を伸ばした。タカシの胸倉をつかんだ瞬間、締め上げた。
「お前が、お前がケガレを連れてきたんだろ。お前が連れてきたケガレのせいでたくさんの仲間が死んだ。お前のせいだ。お前が殺したんだ!」
 これほどの激情に満たされた視線を見るのは初めてだった。ごく純粋な憤怒の感情がタカシの双眸を貫いた。タカシは急な展開に何の反応もできなかった。
「お前は何だ。いったい何者なんだ!」
 あまりのノスリの剣幕に、一瞬あっけに取られたイカルは次の瞬間には止めに入ろうとした。ナミは仕方なさげに左の手のひらをノスリに向けて上げようとした。しかしその二人よりも早くツグミが動いていた。腰に付けた救急用品バックの中から鎮静剤が入った注射を出すとためらうことなくノスリの背中に突き立てた。
 パシュッという音とともにノスリの体内に薬剤が瞬間的に注入された。
「おいっ、どうした。ツグミ何やっているんだ?ノスリ大丈夫か?イカル、何がどうなってるんだよ?」
 気づくとエナガが自分の班員を二名ほど引き連れてすぐそばまで来ていた。
 ノスリはタカシをつかんでいた手を離し、見開かれた目をエナガに向けた。そして上体をふらつかせ、やがて後方に倒れていった。イカルは慌ててノスリの背後に回ってその背中を支えた。
「大丈夫だ。エナガ、お前の班の班員を半分、イスカ班とここに残して他の班が来るまでこの場所を警戒していてくれ。残りはノスリを連れて病院に行ってくれ。頼んだぞ」
 脱力したノスリの重い身体に押し潰されそうになりながらイカルは少し違和感を感じていた。ツグミが自分以外の人に関することで積極的に行動するなんて、ここ数年はなかったことだ。極めて珍しい。
 ツグミもとっさに動いた自分に少し驚いていた。このタカシという男の人を助けないといけない、と思うよりも先に感じて行動していた。
 このタカシという人にはイカルに対するのと同じような感覚を抱いてしまう。今日、初めて会ったはずなのに。なぜだか自分にとって大切に思える、そんな存在に感じてしまう。不思議に思えてしょうがない。
「ノスリのことは安心しろ。お前たち、その身元不明な二人を連行していくんだろ。途中でもし地上の話が聴けたら後で教えてくれ」
 エナガはイカルとの身内の話のつもりだったのだろうが、声が大きくて周囲にいる全員に内容が筒抜けだった。
 ノスリが連れて行かれる後ろ姿を見送ってから、イカルは改めてタカシの姿を眺めた。タカシはノスリに締め上げられた首回りを苦しそうにさすっていた。
 砂ぼこりと血と汗が混然となって全身を彩っていた。乱れた髪、疲れ切った顔つき、あちこち傷だらけでもあり、早めに処置と休息が必要なようだ、とイカルは思った。
 それにしてもこの人には何か懐かしさを感じる。初めて会った感じがしない。この顔も確かに知っている気がしてしょうがない・・・。
 近づいてジッと見てみた。見れば見るほど確実に知っている気がした。
 タカシは自分の顔をのぞき込んでいる少年の純粋な眼差しをいぶかしんだ。何をそんなに見つめているのだろうか?そんなに見つめられると少し居心地が悪く感じられる。思わず彼は目を逸らした。逸らしながら大切なことを思い出した。
「アトリ君から君に手紙を預かってきたんだ」
 唐突にそう言いながら、ズボンの尻ポケットから一片の紙切れを取り出してイカルに渡した。
「アトリに会ったんですか?」
 受け取りながらイカルが言った。その顔には驚きの表情が貼りついていた。アトリという名前に敏感に反応していた。
「ああ、地上でたまたま知り合ったんだ」
「地上で?アトリは地上にいたんですか?」
「ああ」
 なんだって地上なんかに、心当たりがないことはないが本当にアトリが地上に行ってしまうなんて、そう思いながらイカルは受け取った二つ折りの紙切れを開き、タカシに向けていた視線を紙の上に移動した。
 あっ、イカルは目を見張った。そんなに長くはない人生の中で、溜めこんだ記憶の山の中にあった、一人の男の似顔絵とすぐ目の前にある男の顔が、合致した。
「え、え、え、選ばれし方様だ!」
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