邂逅の中(12)

文字数 4,929文字

 僕たちが目覚めてから丸二年が過ぎようとしていました。
 ある日、僕たちは全員、ホールに集められました。大人たちが改まって話をはじめました。
 もうすぐ僕たちが、ここを巣立っていくことが決まった、とのことでした。
 その少し前から、大人たちの僕たちに対する態度が急に変わっていました。
 この保育棟の外に出ると、周りは君たちより目上の人たちばかりである。君たちは礼儀と節度を身に着けなければならない。そういって外の世界の常識とマナーと敬語を徹底的に僕たちに教え込もうとしました。
 今までは大人たちとある程度フランクに付き合うことができたのですが、もうそれは許されません。ちゃんと大人を敬い、敬語を使うようにと厳しくたしなめられました。
 さて、僕たちは巣立った後、男の子は全員、治安部隊に入隊することに決まっていました。一部の成績優秀者に限っては委員会の要請により、入隊が免除され、委員会に入会することになるそうで、該当者には追って伝達されるとのことでした。そして女の子はそれぞれの希望により、看護、保育、被服、調理等々の各職に就くために学校に入ることが決まっていて、こちらも成績優秀者に限って委員会に入会することになる、という話でした。
 僕たちはいつまでもこの保育棟での生活が続くものだと思っていました。それ以外の世界を知らなかったのですから、それ以外の世界に出ていくなんて考えたこともなかったのです。おまけに僕たちはD地区という所で一人ひとり別々の部屋に暮らすというのです。
 治安部隊?一人暮らし?胸の中に湧き出す酸っぱい不安に僕たちはとまどうことしかできませんでした。

 女の子たちは保育棟から巣立った後、どんな仕事に就きたいか、希望を出さなければなりませんでした。みんな、いろいろと職について大人たちに訊いたり、仲間たちと話したりして迷い、悩み、考えていました。あたしとミサゴ以外は。
 あたしとミサゴは最初っから治安部隊への入隊を希望しました。希望は三つまで出せたのですが、あたしたちは第一希望しか記入せずに希望調査票を提出しました。
 たぶん治安部隊に入隊する女の子は、あたしとミサゴだけ。そんなことは分かっていたし、それが他の女の子にしてみれば、信じられない、何を考えているのか分からない選択だということも分かっていました。でもあたしはイカルと離れるなんて考えることさえできなかったので、女の子でも治安部隊に入隊できる、とミサゴから聞いた瞬間、入隊を決意しました。
 その調査票を提出した時、受け取った女の人はあまり良い顔はしませんでした。保育や看護や他に人や世の中に役立つ職がいっぱいあるのよ、治安部隊の訓練は厳しくて、ケガなんて日常茶飯事だし、もしケガレが侵入してきたら真っ先に対峙しなければならないのよ、なんて言ってあたしを翻意させようとしました。でもあたしが聞かないと分かると仕方なく受理してくれました。
 それから数日後、突然、大人たちが、後輩との交流会の開催をあたしたちに告げました。
 あたしたちは、自分たちに後輩がいるなんて初耳だったので、みんな驚きました。あたしたちが目覚めた次の年に目覚めた子どもたち。
 交流会が開催されるまでの数日間、あたしは特に何も考えなかったし、何も感じてはいませんでしたが、他のみんなはどこか浮ついた期待感に満たされているようでした。
 この二年、同じ空間を同じメンバーで過ごしてきたのです。全く新しい人の存在、それが何か新しい息吹をもたらしてくれる、そんな淡い期待が空気中にただよっているようでした。
 交流会当日、あたしたちは集団で初めて保育棟を出ていきました。といっても隣に建っている保育棟に移動するだけだったのですが。その保育棟はあたしたちが生活している棟とほぼ同じ造りでした。だからあまり場としての新鮮味はありませんでしたが、みんな初めての外出だったので、言い知れぬ高揚感を抱いて、今にも飛び上がりそうな顔をしていました。
 後で聞いた話ですが、三棟ある保育棟の真ん中があたしたちの生活している棟。その横に後輩たちの棟。更にもう一つの棟に、間もなく新しい後輩が入居することになっているらしく、あたしたちは更に次の年の後輩を迎える準備のために塔を明け渡す、つまり追い出されることになったらしいのです。後輩ができるなんて自分の行動が制限されることばかり多くなって、良いことなんて、ほんの数えるくらいだけですね。
 でも、その交流会の時、実際に後輩に会うまでは、みんなそんなことは知りませんでした。だからみんなワクワクとした顔つきで後輩たちと初めて対面しました。
 何か変な感じでした。着ている服は同じですが、少し自分たちより幼い感じがする人々の集団。こちら側のみんなの雰囲気が変わりました。いつもより背伸びをして、なるべく上から見下ろしたい、そんな気持ちがただよっているような。
 簡単な式典が行われました。大人たちが訓示を垂れ、両側の子どもの中から代表者が言葉をのべました。あたしたちの代表はアトリでした。彼は前に進み出て、堂々とした態度で、自分の人生を豊かに、有意義なものにするためによく学び、大人たちの言うことをよく聴いて、人の役に立てるように益々自分を磨いてください、というようなことを言いました。
 答辞のために後輩たちから一人の女の子が進み出ました。あたしたち、特に男の子たちの視線が釘づけになりました。そのコは一言で言えばゴージャス、という感じでした。茶色掛かって少しウェーブした豊かな髪がととのった顔立ちを包み、穏やかな表情を輝かせながら歩いている。人目を惹きやすい、何とも女性らしい女の子でした。
 そう、これがアビを見た最初です。まったくその頃からこのコは目立ちすぎなんです。その後、アビとは長く付き合いが続くのですが、今もほぼ変わらず目立っています。少しは自重というものを知らないといけないと思います。この意見に賛同してもらえることは、まずありませんが、あたしはそう思います。
 とにかくその時も、朗々と先輩たちに会えた喜び、来ていただいたお礼をのべるアビの姿は輝いていました。男の子だけではなく女の子もみんな見惚れていました。見惚れないまでもみんなが好印象を抱きました。あたしとミサゴ以外は。
 その時、イカルの横でその表情を見上げると、イカルもアビのことを見つめていました。それ自体はごく自然なことだったのですが、アビの話が終わったようなので、その方に視線を移すと、アビがこちらを見てニッコリとほほえみました。
 あたしに向けた笑みだったようにも見えましたが、そんなはずはなく、その時はとっさにイカルに向けての何かの意思表示だったのでは、と思いました。だからまたすぐにイカルの表情を見ました。イカルもこちらを見ていました。
「すごいね、あのコ」
 その、すごい、が何を指すのか、いまいち不明でしたが、とっさにあたしは不快に思いました。再度、自分の立ち位置に戻るアビに視線を移すと、またちらりとこちらを見てそしてほほえみました。更なる不快感が胸の中に渦巻きました。
 みんな気疲れした様子で、自分たちの生活空間のある棟に帰りました。みんな初めての外出だったこともあり、その話に盛り上がっていましたが、どこか今朝までと比べておとなしくなっていました。後輩と会って、ただの子どもであった今までとは、自分が少し変化していることを、みんな察したのだと思います。頭の片隅で無意識に、落ち着け、と声を掛ける自分を初めて発見した、そんな感じでしょうか。
 そして数日後、それはあたしたちが、この棟を巣立つ日まであと一週間を残すだけとなった日のことでした。あたしは女の大人の人に呼び出されました。女の人は言いました。
「あなたの治安部隊への入隊は認められないの。他の職に就いてもらうわ」
 あたしはとまどいました。それって、イカルと、一緒にいられなくなるってこと?その理由を問いただしました。すると治安部隊の入隊に関わる身体の規定により、身長があと二センチ足りないとのことでした。
 二センチ?たった二センチのために、あたしはイカルと何百、何千メートルも離れないといけないの?
 もちろんあたしは抗議しました。治安部隊なんてどうでもいいことでしたが、イカルのそばにいられないなんて、考えただけでゾッとする。
「ごめんなさいね。でもブレーンが決めたことだから、今更どうすることもできないの。あなたには被服科にいってもらうことになったわ。他に希望があるかもしれないけど、これも決定事項なのよ。とりあえず学校に行ってみてどうしても自分に合わないと思ったら、また変更の希望を出してちょうだい」
 女の人はそう言いました。
 ブレーン、そう、学習の時間に習いました。お方様の意志をもとに、この世界のすべての情報を集めて、細部にわたり最良の判断をくだす人工知能。首脳部の叡智を結集して作り上げられた、この世界のすべてを制御、運営する存在。その判断に間違いはない、みんなそう思っていました。だから仕方がない、みんなそう思うでしょう。でもあたしはそんなこと思えるはずがありませんでした。そもそも被服とは何か、そんなことすら当時のあたしは知りませんでした。どうにかしないと。でもあたしの知能では、何も良い案は浮かんできませんでした。とにかくイカルにその話をしました。もしこの決定がどうしようもなく、くつがえらなくても、イカルがその規定に憤慨してくれさえすれば、もしかしたらあたしもその状況を耐え忍ぶことができたのかもしれません。でもイカルはその時、ただ、
「それじゃ、仕方ないな」と言っただけでした。
 何てそっけない。あたしは生まれて初めてイカルに対して怒りを覚えました。あたしがこんなに苦しんで、こんなに悩んでいるのに、何で、そんなに、そっけないの?二人で一緒にいられないことが、そんなに、気に、ならないの?
 だから、その日からあたしはイカルに話し掛けないようにしました。距離も少し間を空けて、上着のすそなんて誰が引っ張ってやるもんですか。
 それから何回も大人の人に、決定をくつがえすことができないか訊いてみました。でもあたしの下手な話し方では内容を伝えることさえ心もとなく、話し半分の状態でいつもあたしの望みは否定されました。
 エナガに後から聞いた話では、イカルも何度か委員の人たちに、規定の再考と決定の撤回を頼んだらしいのですが、元からそれは難しい話で、しかもあたしはそのことに気づいていなかったので、ますますイカルに対して冷たい態度で接していました。
 そしてほとんど話さない日々が過ぎて、巣立ちの日がやってきました。
 あたしは正直、後悔していました。もう二人離れ離れになってしまうのに、これからの話を何もしていませんでした。
 もしかしたら、もう二度と会えなくなってしまうのでは?もしかしたらこんな気むずかしい自分を、イカルは嫌いになってしまったのでは?
 元から決定がくつがえらないことは分かっていたのに、あたしが勝手にそれを忘れて不機嫌になっていた。そんな、わがままなあたしにあきれて、もう一緒にいたくないと思っていたら?言い知れぬ不安にさいなまれている間に、その時はやってきたのです。
 大部屋に集められた子どもたちは、迎えを待ちます。
 大人たちが子どもを一人ひとり、それぞれの新しい住居へと連れて行きます。
 あたしはイカルのそばにいました。でも、なかなか話し掛けられませんでした。話し掛けようと何度も試みるのですが、その度に緊張してしまって、声がのどから出てきません。やがてちょっと気分が悪くなってきました。
 あたしは黙ってトイレに行きました。少しもどしました。手と口を洗いながらあたしは決心しました。絶対に話す。このまま別れるのはいやだ。何がなんでも話す。あたしはトイレを出てイカルがいた場所に戻りました。
 でも、もうそこに、イカルの姿はありませんでした。
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