邂逅の中(6)

文字数 2,665文字

 タカシはイカルの顔を見た。口を真一文字に結んで厳しい顔つきをしていた。一見、あわてる様子は少しも見られない。まるで、日常茶飯事の出来事に接している風だ。しかし目が微妙に泳いでいた。
 イカルは左手首の通信機を少し操作した後に言った。
「ブレーン、異常の検知は誤作動だ。異常はない。遮蔽壁を開けて歩道を動かしてくれ」
 その声にシステムは応えることなく、ただ異常を検知しました、と繰り返すばかりだった。
「こうなったら班長が行かないと、ツグミ先輩は出てこられないんじゃないかと」
 アビがイカルの背中に抑え気味に声を掛けた。
「分かっている」
 イカルはじっと立ったまま動かずにいた。雑多に考え事をしている顔をしていた。あくまで職務に忠実な姿勢を崩したくない様子だった。しかしツグミのことが気になってしょうがない気持ちが全身からにじみ出てもいた。
 タカシは自分の存在がイカルの行動欲求を邪魔していることを察した。だからそれを解消するべく声を掛けようとした。と、突然イカルがタカシに視線を移すと言った。
「申し訳ございません。すぐに戻ってまいります」
 そしてアビに、警戒を怠るな、と言い残して後方へ向かって駆けて行った。
 イカルは遮蔽壁の前にたどり着くと、その内側に向かって呼び掛けた。
「ツグミ、俺だ、イカルだ。大丈夫か?」
 内側からの反応はなかった。
「ツグミ、おいっ大丈夫か?早く出てこい。おいっ、ツグミ」
 やはり反応はなかった。
「ツグミ、俺のサポート役に戻れ。いいな」
 急にアナウンスがやみ、遮蔽壁がすうっと開いた。歩道の真ん中に自分の足元を見つめたツグミがポツンと立っていた。
 ツグミは下を向いたまま黙っていたが、ただ一度、しっかりとうなずいた。

 再び平行式エスカレーターが動き出した。
 ツグミが戻ってきてタカシに、小さな声で、どうぞと言いつつライターを差し出した。タカシは申し訳ない気持ちを込めて、ありがとう、と言い、すまなかった、と言った。
 アビは後方へ下がり、ツグミが再びタカシの横に並んだ。
 イカルもツグミもただ黙っていた。でもその意識は互いに、ただ相手の方へ向けられていた。タカシは、先ほどの異変がなぜ起きたのか説明を聞きたい気がしていたが、そんな二人の邪魔にならないように、甘んじて静かに黙っていた。その横でナミは右手のひらに映像を浮かべ、それを左手で操作しながらジッと見つめていた。何かを調べている様子。
 何をそんなに熱心に調べているのか気になってタカシはそれとなくその映像をのぞいてみた。するとナミはその映像をタカシから遠ざけて、更に身体の位置を変えてその視線をさえぎった。
「これは個人情報の固まりだ。私には職業倫理の観点から守秘義務がある。勝手に見るのはよせ」
 ナミにそうぴしゃりと言われて、バツが悪くなったのでタカシは言った。
「すぐ横で、そんなに真剣に調べものされたら何を調べているのか気になるだろう、普通。で、何を調べてたんだ?」
 ナミはちょっと間を空けてから、アゴでタカシの横を指し示した。
「あのコのことよ」
 ツグミってコのこと?タカシはけげんに思った。
「その端末は、人が頭の中、というか自我?の中で作り上げた人物のことまで調べることができるのか?」
 ナミは静かに流し目でタカシに視線を送った。
「いいえ、私に与えられたデータは、山崎リサが持つ魂に関することだけ。その一部として、山崎リサの情報も載っているわ。ただ一部とはいえ、山崎リサのこれまでの人生に関するすべての情報が載っているからかなりな量よ。その自我についてもあらかた分かるけれど、その中の人物の情報までは些末すぎて載っていないわ」
「それじゃ、あのコの事は調べても分からないんじゃないか?」
「いいえ、あのコはただの山崎リサの想像の産物ではないの。あのコはれっきとした・・・」
 二人の会話をさえぎるように、急に周囲が光に包まれた。それまでは点在する照明の灯りに薄暗く照らされた地下道を延々と通っていたが、周囲が透明なチューブに切り替わり、その外には街の姿が照らし出されていた。その街は、地下都市とは思えないほどの明るさに包まれていた。タカシもナミもまぶしさに一瞬、目を細めた。
「先ほどいた場所が、B3区画の南端だったのですが、ここはその北側地域になります。この一帯にはこの都市全体の食糧を供給する生産拠点と食料をはじめあらゆるものを運ぶ物流拠点が集積しています」
 確かに大きな建物が多かった。デザイン性を排除した大きな箱といった形の建物が多かった。
 しかし食料や物流の拠点にしては静かだった。地震の影響だろうか、あまり人の動きが感じられなかった。
「ここを過ぎるとB1区画に到達します。B1区画はこの都市のちょうど中心に位置しており、首脳部本部をはじめ、この都市の中枢施設が集まっております。通称セントラルホールと呼ばれています」
 イカルの説明を聞きながら、タカシは先ほどのナミの言葉のつづきが気になっていた。ツグミってコはリサと何か関係があるのだろうか?だから笑顔があんなに似ていたのだろうか?気になる。しかし今、本人がすぐ横にいる状況で聞き直すのも気が引けた。後でこっそり訊こう。ナミは先ほど話が途中で終わったことなど気にならないように、また黙ったまま手のひら画像に視線を落としていた。
 彼らは進んでいく。イカルとツグミはただ大きな箱の並びを眺めていた。もうすぐ目的地に着く。そんなころ箱と箱の間から丸い建物が小さく見えた。それらの建物は頭頂部が細く、下に行くほど緩やかに太くなっていた。箱の陰になっていたので、全体は見えないが、見えていたらちょうど中ほどからまた緩やかに下に行くほど細くなっていたので、ちょうど卵を立てた姿に見えたことだろう。そんな建物が三棟並んで建っていた。
 イカルはその保育棟と呼ばれている建物を見つめた。
 そこは彼らの記憶の始発点、仲間と初めて会った場所、そしてツグミと初めて出会った場所だった。

 五年前、気づくと彼らはそこにいた。
 明るく暖かい、その巣の中に。
 どうやって生まれたのか、何のために生まれてきたのか、何一つ分からないままに。
 今、言葉と知識と多少の経験を得、分かったこともたくさんある。
 でも、肝心なことはまだ、分かっていない。
 自分がどう生きるべきなのか。
 自分の命に意味があるのか。
 自分が、本当に、人なのか。
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