感応の中(4)

文字数 5,301文字

“イカル、これからどうしたらいい?”
 ツグミは、ただ自分たちの立ち位置をかろうじて持ちこたえるだけで精一杯の、このあまりにも絶望的な状況に、どうするべきか逡巡していた。どこにも突破口なんてない。どこにも希望など残されていない、時間が経過すればするほど、そう誰の目にも映っていた。
 これまで彼女が問えば、彼女の潜在意識の中に存在するイカルが答えを返してくれていた。しかし今、応えがない。
“どうしたの、イカル?どうしたらいいの。あたしたちはいったいどうしたらいいの?教えて”
 何度か問い直して、やっとイカルの声が聞こえた。
“ツグミ”
 何?・・・・・・ん?それだけ?
“イカル、どうしたの”
“ツグミ”
 ・・・また声はそれだけでやんだ。答えをためらっている雰囲気が感じられた。彼女は、イカルの声が何をそんなにためらっているのか、いぶかしんだ。
 ツグミの潜在意識の中のイカルでなくても、この現状を打破する起死回生の手を思いつくことはできなかっただろう。もうそんな状況ではなくなっていた。お方様のことがなければ、全速での撤退を誰もが進言していただろう。しかし今、見捨ててこの場を逃れれば遅かれ早かれすべては滅亡してしまう。残された手は、一か八かすべてを賭して突撃すること、ただそれだけ。全員が死に物狂いに一直線に一点突破を志向していけば、わずかながらでも突破口が開けるかもしれない。もうそれを試してみるしかないように思われた。しかしそんなことをすれば、全員、命の保証はない。というより全滅する可能性の方が遥かに高い、と予想された。
 突撃をすれば、もちろんツグミも命の危険にさらされる。だから潜在意識の中のイカルは、そんなことを進言したくなかった、できなかった。そんなことを言えばツグミはすぐさまその指示に従うだろう。たとえ一人きりでも。だから明確な答えを発することを逡巡しつづけた。しかしそんな思いが自分の潜在意識の中に存在することなど思いもよらないツグミは、ただとまどい、寂しく思った。
 とはいえ状況はそんな感傷にひたっている暇を誰にも与えようとはしていなかった。次々にケガレは襲い掛かってくる。ノスリとともにエナガたちの救出に向かった班員が黒犬に噛みつかれて苦悶の表情とともに絶命した。ツグミの目前で同じ班の班員が円盤に殺された。このままだと更に犠牲者が増えるだろうことは火を見るより明らかだった。
 タカシは自分の不甲斐なさに歯がみをする思いを味わっていた。この兵士たちもケガレたちもリサの生み出したものだ。その全てを受け止めるって決めたのに、自分はただ兵士たちに守られて、漫然と犠牲者が倒れていく様を眺めているばかりだ。
 兵士たちは自分がいるために動きを制限されている。ノスリが前面に出て塔へ向けて前進しようともがいている。隊全体もそれに従って動こうとしている。しかし自分を護衛しながらなので、はっきりとした突撃の態勢が取れずにいるのではないか。周囲を見渡してそう察するとタカシは落ち着かない気持ちに胸の中が満たされた。それなら自分が覚悟を決めて動き出すしかない。
 タカシは一息大きく吸った。
「ツグミ、トビ、突撃するぞ!」
 タカシが唐突に腹の底から声を発した。即座にトビが反応した。
「何を言っているんですか。そんなの認められません。あなたの身を確実にお方様のもとまでお連れしないといけないんです。我々の手で必ず突破口を開きます。それまで・・・」
「俺は、君たちの足かせになるつもりはない。君たちを犠牲にするだけの存在なら俺は自分が許せない。選ばれし方の資格もない。だから俺のことは気にするな。自分のことは自分で守る。俺を信じてくれ。仲間を助けるんだ。突撃するぞ、いいな!」
 タカシの声も、目にも決意の色が濃く表わされていた。
「そんなわがまま言わないでください。絶対ダメです。絶対阻止します」
 トビもタカシの身を守ることが現状、一番大切な使命だと思っているので一歩もゆずる気はなかった。
「そんなこと言っていたら手遅れになる。俺を信じろ、俺はリサに会うまでは絶対に倒れない、だから・・」
 そんなタカシの声を聴いていると、ツグミはイカルの言葉を聴いている気になる。やっぱりこの人はイカルと魂を共有しているって言っていたけれど本当みたいね、そう思いつつ、さっきイカルが答えを与えてくれなかった理由が何となく分かった気がした。
 イカルは本当に心配性なんだから、ツグミは少し苦笑した。
 トビは力づくでもタカシを制止しようとその正面に立ちはだかっていた。
「トビ」
 ツグミの呼び掛けにトビはチラッと視線を向けながら、何だ?と答えた。
「突撃しましょう」
 ツグミの目にごくごく覚悟の色が濃く見て取れた。
「お前まで何を?」
「たぶんイカルがここにいたら同じことを言うわ。状況は絶望的よ。もう突撃するしか手はないのよ」
 ツグミの目にブレは一切なかった。もう何を言ってもそうすることに決めてしまっているようだった。トビは周囲を見渡して、一息長く吐いた。自分も覚悟を決めるしかないようだった。
「トビ」
 ツグミの決心を促す声にトビは答えた。
「分かった、ツグミ、お前が指令を出せ」
 トビも覚悟を決めた。現状で光明を見出せないのなら見つかるまで動き回るしかない。
「全員、突撃用意!前方の隊員を救出の後、そのまま白い塔に突入する。全速で前進する。いいか、用意・・・総員、突撃!」ツグミはそれまでの短い人生の中でも間違いなく最も大きな声を発した。
 発砲して、エネルギーの充填をする、その繰り返しを自分の可能な限りの速さで行いながら、兵士たちは駆けた。全員が発する声が辺りにこだましたが、黒犬たちはそんなことは一切関知せずに襲撃をくり返した。
“やっと突撃したわね”そう思いつつナミは援護する意味でも、兵士たちに襲い掛かろうと走り出す黒犬に向かって円盤のなれの果てを投げつけた。
 ナミのコントロールはかなり良く、何頭かの黒犬は頭部や背中に黒い球を投げつけられ、ギャワンと声を発しながら次第々々に後退した。
 兵士たちは全速で駆けながら黒犬を次々に撃ち倒した。そしてたちまちノスリやエナガのいる場所に到達した。
「ノスリ、エナガ、動ける?このまま塔に突入するわよ、動けるならついてきて」
 ツグミが駆け寄りながら叫ぶように言った。ノスリやエナガは身体のあちこちから痛みを感じていたがこの勢いに置いて行かれるわけにはいかないと、とっさに立ち上がりツグミたちの後を追った。
 ナミは、空中の円盤をあらかた駆逐していた。あと数体残っていたが、もう向かってくる意志はないようで、四方に逃げまどうように飛び回っていた。
 ナミは尚もその円盤たちを追いつめ、丸めていった。残った一体が、塔を包む黒い渦に向かって一直線に撤退していった。ナミは少し追ってすぐに追いつき、たちまち球体にした。そのとたん、黒い渦の一部が開いて、真っ赤な目が見開かれた。
 ナミはぞっとした。ただの大きな赤い点でしかなかったが、確実にこちらを見ていると全身で感じられた。黒い渦の赤い目はぎょろりと動いて走る兵士たちの姿を捕らえた。ナミはとっさに左手を赤い目に向かって差し出した。
 そのナミの行動と同時に、赤い目の下の渦が横一線に割れて大きな口が出現し、そのまま大きく上下に開かれて、地の底から聞こえてくるような咆哮を、大気と大地を震わせながら長く、とても長く発した。
 空気が燃える、ナミは瞬間的に黒渦から飛び去り距離をとった。それでも全身が熱に襲われる感覚を持った。離れて、離れて、離れてやっと熱から逃れることができた。
 咆哮とともに熱が黒渦から発せられている。ナミはタカシたちを見た。突撃が止まっていた。どの兵士も身体を縮めて自らを熱から守ろうとしていた。守りながら気味の悪い音の響きと熱の放出がやむ時を、ただじっと待つしかなかった。
 リサは大丈夫だろうか、タカシは熱に耐えながらそう思った。自分たちと黒渦との間にはまだ距離がある。それでもこれだけ高温なのだ。きっと黒渦に囲まれている塔の中は灼熱と形容しても差し支えないほどに熱せられているのではないだろうか。しかし黒渦の下に、まだわずかに見える地面と接する塔の壁部分は、かろうじてまだ白く光っていた。おそらくまだリサは生きている。そしてこの熱に耐えている。
 タカシは背筋を伸ばして立ち上がった。両腕で顔に降りかかってくる熱を避けながらその場に立った。ここで逃げるわけにはいかない。リサはもう目の前だ。
 タカシはHKIー500を脇に構えた。もう充填は済んでいる。熱に耐えるために目を細めている。細めているが、しっかりと黒渦の赤い目を凝視していた。そしておもむろにエネルギー弾を放った。すぐに充填をはじめた。充填しながら歩いた。一歩々々前に、確実に進む。
 タカシの放ったエネルギー弾は、黒渦の発する咆哮が震わせる大気の中を一直線に赤い目に向かって伸びていった。
 咆哮に比べてごく軽い破裂音が辺りに微かに鳴り響いた。赤い目のすぐ脇が小さく弾けた。赤い目はギロリとタカシを睨みつけた。ピタリと咆哮がやんだ。
 タカシはその邪視とも見える睥睨にも屈せずゆっくりと、だが止まることなく進みつづけた。周囲の兵士たちも、そんなタカシの姿に気づいて立ち上がり歩を進めはじめた。
 ノスリも即座に立ち上がり、タカシのあとを追った。
「全員、エネルギー充填しろ。また大量のケガレが襲ってくるぞ!」
 ノスリだけでなく他の兵士たちも、先ほどの黒渦が一気に崩れ落ちるように、襲い掛かってくる様子を予想した。また大量の犠牲者が出る、そんな予感がしてしょうがなかった。
 しかし黒渦はすぐには動かなかった。何かためらっているようにも見えた。
“これ以上、塔の包囲を薄くしたくないのかしら”
 ツグミは黒渦を眺めながら思った。どうやらお方様もまだ頑張っているみたい。まだ突破口はあるのかもしれない。
「タカシ様、急ぎましょう」
 ツグミが少し離れた場所にいたタカシに近づきながら声を掛けたとたん、二人の間に空からナミが降ってきた。
 軽やかに地に足を着けながら、ナミが二人のどちらかに言うでもなく口を開いた。
「この塔の包囲はケガレにとってもけっこう大変みたいね。今でこそ圧倒しているけど、これ以上こちらに勢力を割くと包囲自体にほころびが生じるのかもしれないわ」
「それなら立ち止まっている場合じゃないわね」
 ツグミがそう言うとナミの視線がツグミに向けられた。二人の視線が重なった。
「バカね。死ぬわよ。私が行くからあなたは大人しく待っていなさい」
「手柄の横取りはさせないわよ。あなたこそ危ないからあたしの後ろに隠れていたら」
 お互いにニヤリと笑い合った。いつの間にか仲が良くなっている二人の女性の姿を見て、タカシは微笑ましく思ったが、今は笑う余裕もなかった。ただ目の前にある塔に行く、それだけに集中した。
 黒渦に浮かぶ赤い目が細かく動きながら周囲の様子を確認した。そして自分の分身に対して音もなく指令を発した。
 黒渦の下で、モズたちは生きていた。
 足元で固まっているケガレや周囲に漂うケガレたちに、他のケガレからの襲撃や熱から守られていた。そんな彼らに急に、それまで彼らを守っていた周囲のケガレが襲い掛かってきた。そこにいた六人の兵士たちの口や鼻や耳や穴という穴からケガレは各人の体内に侵入した。
 最後に見たクグイの表情、地上に残してきた家族や友人の笑顔、殺された仲間たち、救えなかった人々、数えきれない人たちの顔が脳裏に次々に浮かび上がってくる。
 怒り、悲しみ、悔恨、妬み等々の感情にさいなまれながらモズは自分の最期を悟った。そして負の感情に呑み込まれていく意識の中で、モズはウエストバックに入れていたものを取り出した。
 本部から塔へと向かう直前、モズは武器庫から銃を手にして次々に出てくる兵士や本部職員を眺めながら、ふと武器庫に保管していた爆弾の存在を思い出した。そのとたん、アントの連中が所持していた、この都市と地上を分断したものと同型のその爆弾にエネルギーを充填して持ってくるよう職員に命じた。モズは充填が済んだそれを受け取り、使う機会がなければよいが、と思いつつ身に帯びて塔に向かった。
 足元のケガレがふっと消えた。拘束が解かれて、足が軽くなった。周囲の兵士たちのうめき声が無遠慮に辺りに響いている。
 モズは自分の精神に襲い掛かってくる苦悩の波、激しい精神的苦痛に耐えながら爆弾に付帯している時限装置のタイマーをセットして、起動ボタンを押した。これで一分後にはHKIー500のエネルギー弾が起こす破裂の何十倍もの爆発が起こるはずだった。これで、みんなの仇がとれる、もうすぐそっちに逝くからな、モズは手の中の爆弾を見つめながら、ただそう思った。
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