秘匿の中(5)

文字数 4,464文字

 わしはずっとお方様のお側でお仕えしてまいりました。そのためにこの世に生を受けたようなものです。
 昔のお方様はとても朗らかで、優しくて、よく笑う、ほとんど手の掛からない良いお子様でした。それが十年前、突然おかしくなられたのです。体調を崩されずっと寝込まれるようになりました。そしてそれと同時に、ケガレが発生したのです。彼方の空から不穏な空気を引き連れてやってきて、我々の頭上を覆ったのです。
 我々はお方様にすがるしかありませんでした。しかしお方様は突然、お姿を隠されたのです。文字通り我々は光を見失いました。
 ケガレに対し、我々は抵抗する術を知りませんでした。大勢の住民が苦悶の表情を浮かべながら死んでいきました。そして誰もが世界の滅亡を覚悟した頃、お方様の声が聞こえたのです。お方様の近くにいつも控えていた者たちにその声は聞こえました。そしてお方様のお導きによってこの地下世界に辿り着いたのです。
 その時、もうこの地下世界の形は出来上がっていました。最低限人が暮らせるようにはなっておりました。お方様はお一人で我々のために、そこまで用意してくれたのです。わしはすぐにでも地上の人々を移住させようとしました。しかし、生き残った人々のすべてを収容するにはこの都市はあまりにも狭すぎた。他の賢人たちの反対によって移住は延期されました。その間も、この国の整備は一部の者たちの手によって進められました。
 やがて地上に残った人々の数が、一定数まで減っただろう頃合いになって、ようやく移住が開始されました。他の賢人たちの見立て通り丁度良い程度の人数が移住してきました。地上にいた頃の十分の一にも満たぬ人口となったのですが、我々は何とか生き延びたのです。
 お方様はそれ以来、ずっと白い塔に閉じ籠っておられます。
 この都市を創ることで力を使い果たしてしまったのか、ケガレのあまりの恐ろしさに身を隠されてしまったのか、恐らくどちらもだと思いますが、それ以来、あの塔から出られることはなくなったのです。
 わしは、自分の力が至らなかったせいで、お方様をこんな状態にしてしまい、しかも多くの人々を見殺しにしなければならなかった。これ以上、生き恥を晒す必要もなかったのですが、ただ伝説の選ばれし方様が現れる時を待っていたのです。選ばれし方様が現れて、お方様が塔の中から出て来られる、本当の意味でこの世界が救われる、その時、何かお役に立てることがあるかもしれないと生き長らえておったのです。
 本当に、本当によくお越しくださいました・・・・

 そこまでカラカラはジッとタカシを凝視しながら語った。
 先ほどの書斎兼研究室兼物置だった部屋の横に、カラカラの生活空間があった。広さにして八畳ほどの空間に、木製のテーブルと長イスとパイプイスが置かれ、奥の隅に、小さなキッチンが据え付けられていた。タカシとナミは長椅子に座り、カラカラはパイプ椅子に座っていた。長椅子はどうやらベットとして使用されているようで片隅に薄い掛布団と枕が積まれていた。イカルとツグミはキッチンでお茶を淹れているところだった。ツグミはご機嫌だった。イカルといつもしないようなことを一緒にするのは、どのような状況でも楽しいことだった。
 キッチンには安っぽい紅茶葉と四つのカップしかなく、それぞれのカップに紅茶を注いで、ツグミが机の上に並べた。
「私はリサに、お方様に会いに行きたい。行かなきゃならない。どうしたらよいのかお知恵をお借りしたい」タカシもカラカラを凝視して言った。
「もちろんですとも。そのためにわしの命はあるのですから」
「具体的にどうすれば良いのでしょうか」
 ツグミが給仕し終えて、イカルとツグミが、タカシたちとカラカラの間に並び立とうとすると、カラカラが、書斎から椅子を持ってくるように、とイカルに指示した。
 イカルが隣の部屋から大振りな椅子を抱えて持ってきて、机から少し離れた場所に置いた。ツグミはずっと後ろをついて回った。
「ここから西に行った場所に廃棄物処理場があるのですが、そこにはアントの連中が使用していた隠し通路があります。そこを通れば誰にも知られずにB4区画南端の高台広場に出られます。そこからは、そうですね、治安部隊に協力してもらいますか。ここにも二人おることですし、選ばれし方様をお連れすれば、きっとモズ隊長も協力してくれることでしょう。彼は以前からアントの活動に対して寛容なところがあり、情報によればかなりお方様寄りの思想をもっているらしいですから。どうにか本部と連絡をとって治安部隊の協力を仰ぎましょう」
 イカルが先に片側に寄って椅子に座った。そして動こうとしないツグミに自分の横、椅子の空いた片側を指さした。ツグミは少し照れくさそうな表情をしながらイカルに背を向けて黙って腰を掛けた。自分の背中が何やらほてっている。
「イカル君、治安部隊は協力してくれるだろうか」
 タカシの言葉に、イカルは少し考えを整理するように間を空けてから言った。
「大丈夫だと思います。モズ隊長は選ばれし方様の身柄さえ確保していれば、きっと協力してくれると思います」
 カラカラがカップに手を伸ばして、中身を飲んだ。それに続いてタカシもカップに手を伸ばし、続いてイカルも手を伸ばした。イカルは少し中身を飲むと、ほら、と言いつつカップをツグミに渡した。
「では、すぐにでも行動を開始した方が良いですな。実際、お方様と選ばれし方様を会わせるということは、お方様のご意思を再び発動させることに繋がる。それは引いてはブレーンの意思の制限を意味し、首脳部の活動の制限に繋がる。それは首脳部の連中にとっては死活問題です。現在の特権を守るために彼らは即座に動き出すでしょう」
 そう言うカラカラの言葉に、イカルは真剣な顔をして耳を傾けている。アトリの日々繰り返された講義のお蔭で今までの話はおおよそ見当のついていたことだった。ただ自分の内なる思考の裏付けのためにも一言も漏らさず聴いておきたかった。
 ツグミはそんなイカルの表情とカップとを何か言いたげに交互に見比べた後、そっとカップに口をつけた。暖かい紅茶が喉を通過していく。同時に胸の辺りに暖かい気持ちがほわんと広がった。ツグミは顔を赤らめてうつむいて、そしてちょっとだけ微笑んだ。
 彼らはそれから少しの間、打ち合わせを続けた後、揃って外に出た。
 彼らは、どのように白い塔まで行くか、案を出し合った。しかしこの地区外の状況が不明な分、不確定要素が多く、憶説の域を出ない案しか出てこない。だからイカルはまず、自分が斥候に出向いて現在の状況を確認してきます、と提案した。そしてツグミには自分たちが入ってきたB5区画とE地区の間にある扉を監視しておくように命じた。 
 イカルは自分の後方にいて、ふてくされているツグミに視線を向けた。
「ツグミ、扉をちゃんと見張ってろよ。何かあったらすぐにドクターカラカラに連絡するんだぞ」
 もちろんツグミは反対した。イカルの上着の裾を、体重を掛けて下に引っ張り続けた。それでもイカルは聞かないので何度も何度も、あたしも一緒に連れて行って、と懇願した。しかし警備が手薄になることを危惧してイカルは決して承諾しなかった。
 ツグミは上目づかいにイカルを睨み、口を尖らせたまま黙っていた。
「ツグミ、すぐ戻ってくるから、しっかり監視しておいてくれ。捜索隊が入って来るとしたらあの扉しかないんだ。何か異変があれば絶対に交戦せず、すぐにドクターたちに知らせて廃棄物処理場に向かうんだ。頼んだぞ」
 そう言われて仕方なくツグミはコガレたちを引き連れてB5区画に通ずる扉に向かった。
 何なの、何なのよ、昨日から何度も何度もイカルと離れる。ただ一緒にいたいだけなのに、なんで別々になっちゃうの・・・もしかして、嫌われてる?もしかして、昨日抱きしめられた時、におった?確かに審判の場でちょっと暴れちゃったし、イカルの部屋に行くまで時間も経ってたし、でも今までもそんなこと言われたことないけど・・・もしかしてずっとイカル、我慢してたのかしら。確かにイカルってそういうこと面と向かっては言わなそう。抱きしめて、やっぱりこいつくせえ、って思われちゃったのかしら?
 そんな不安に苛まれながら。
「大丈夫なの、イカルはきっとあなたのことが好きなの。好きだから一緒にいられない時もあるの」
 丸いコガレがまたツグミの肩まで登りながら言った。
「あ、あり、がとう」
 ツグミは少し微笑んで言った。このコとはいい友達になれそうだ、と思った。
「お前、なに分かったようなこと言ってんだ。しょせんお前は“ねたみ”の塊だ。幸せに疎いお前のアドバイスなんてただの願望でしかないんだよ、そうだったらいいな、そういう風になりたいな、ってなんでもかんでも思うばっかりの願望だ。適当なこと言ってそいつが信じたら後のショックが大きいぞ」
 小さいコガレが二人の後方から言った。何か怒っているような口調だった。
「あたし、ちゃんと分かるの。あなたこそそんな風に怒ってばっかり、文句言ってばっかりだときっと楽しくないの」
「しょうがないだろ、元からこんな口調なんだから」
 集団の先頭を進んでいた背の高いコガレが、たまらず振り向いて口を開いた。
「やめなさい二人とも。いつもすぐにケンカばかりして本当に嘆かわしい」
「あなたは同じ年なのにおじいさんみたいなの。いっつも眉間にシワを寄せているの」
「なんでもかんでも悲観的になるんじゃねえよ。こいつが愛する男に捨てられて寂しいって泣きそうだから、気を紛らわせてやってんじゃないかよ」
「す、す、す、捨てられて、ないから」
 ツグミが慌ててツッコんだ。
「そうなの。ツグミちゃんは捨てられてなんてないの。きっと大丈夫なの」
「また適当なことを。だいたいこんな怠け者を誰が好きになるってんだよ」
 このコとは友達になれないし、なりたくもないとツグミは思った。
「ツグミちゃんは怠け者じゃないの。頑張っているの」
「何が頑張っているだ。あの男がいればべったりくっついて、その言いなり。いなくなった途端に落ち込んで、やる気をなくす。あの男に依存してるだけじゃねえか。なんでもかんでも他人に依存している奴のことを怠け者って言うんだよ」
「依存じゃないの。ツグミちゃんはただイカルが好きなだけなの」
「いや、私もそれは感じていたのだが、ツグミ殿はもっと自分を信じて、自分の思うように自分で行動するべきだと思う。そうでないとあまりに集中的に依存しているとその対象に何かあった場合が・・・大変嘆かわしくも心配で」
「縁起でもないの。ジジイは黙っているの」
「誰がジジイなのかね。君までそんな汚い言葉を使って、本当に嘆かわしい」
 そんな会話を繰り広げている内にB5区画に通ずる扉に辿り着いた。
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