邂逅の中(8)

文字数 4,280文字

 女の子たちの中ではセリンが一番目立っていた。一番いけている集団の、いつも中心にいるコだった。ウェーブがかった茶色く長い髪を、いつもこれ見よがしにかきあげていた。キレイで豊かな髪、でも長さではあたしの方が勝っていた。
 あたしの黒い髪は、背中をおおうほどに長かった。特別自分ではキレイだとは思わなかったけど、人より長いことだけは自覚していた。特に大事にしていたわけでも、人に自慢していたわけでもなかった。でも今考えると、たぶんセリンにとってはそれが気に食わなかったのだろう。ある日、セリンの取り巻きのコに呼び出された。あたしはどうせ一人だったから断る理由もなく、彼女たちについていった。
 トイレの中にはセリンとその仲間が五人ほどいた。みんな気が強そうで、むやみに明るかった。正直言うと、あたしは遠慮なく明るく騒ぎ、意見が違えば人を口撃することもためらわない、そのコたちのような人が苦手だった。だからその時はすごく居心地が悪かった。
「このコがね。髪を切りたいって、切る練習をしたいんだって。みんなの中であなた、一番髪が長いんだから少しだけ切る練習させてあげてよ。ほんの少しだけだからさ」
 セリンが肩を押したコの存在を、あたしは知らなかった。おとなしそうなコだった。おとなしすぎてセリンが言葉を発するまで、その存在に気づいていなかった。その手には、ただハサミだけが握られていた。
「え?ああ・・・いいけど」
 本当はすごくイヤだった。今まで髪を切ったことはある。不定期に大人たちが切ってくれた。でもそれは女の子の場合、その子どもが望むだけしか切らないし、望まなければ痛んだ毛先を少し切るくらいだった。目の前のハサミを握りしめておどおどしているコ、名前も知らないそのコが、ちゃんと切ってくれるのか不安でしょうがなかった。
「本当?あなたなら髪の毛無駄に長いから、切らせてくれるって思ってたのよね。良かったわ」
 セリンと周りのコたちがニヤニヤと笑っていた。ハサミを持ったコだけが泣きそうな顔をしていた。あたしの心の不安は、後から後から湧き出してたまっていくいっぽうだった。
「じゃ、後ろを向いて。すぐ済むから」
 あたしはためらいながらも言う通りにした。さあ、と取り巻きのコが、ハサミを持ったコをうながしている声が、聞こえた。
 その時、あたしの心臓は高鳴っていた。その心臓の鼓動にまじっていきなりジャリジャリジャキンというハサミの裁断音が、鋭く鳴り響いた。急に頭が軽くなった気がした。
「動かないで。危ないわよ」
 とっさに振り返ろうとしたあたしにセリンが言った。再びハサミの裁断音が聞こえた。また頭が軽くなった。え、え、え?
 背中や肩に風を感じる。首が寒い。
「いいじゃん、似合うわよ」
 断続的に響いていた裁断音がやんで、取り巻きの一人が、あたしの前に回り込んできて、大きな声で、笑いながら言った。そしてあたしの肩をつかんで後ろに振り返らせた。突然、集団の笑い声が辺りに響き渡った。セリンも楽しそうに笑っていた。その首の左側つけ根部分、ちょうど髪で隠れて普段は見えないような場所に、親指の先ほどの大きなホクロがあって、笑い声と合わせて細かくゆれていた。ハサミを持ったコだけが笑わずに床に視線を落としていた。
「ダメじゃない、切るのは少しだけって言ったでしょ。なんでこんなにばっさり切ったの。もう、ごめんね。あなた、許してあげて」
 どれだけ切られたのか、鏡を見なくても、床に山のように積まれている髪を見れば、すぐに分かった。
「ちゃんと片づけなさいよ」
 そう言ってセリンたちは出ていった。出ていきながら、ああ、面白かった、とか、あのコにあの髪はもったいなかったからね、とか、いい気味だわ、とか言う声が聞こえた。
「ごめんなさい。許して」
 ハサミを持ったまま目の前のコが、震える声でつぶやいた。あたしは何も言えなかった。ただむなしかった。むなしすぎて悲しんでいいのか、怒っていいのかも分からなかった。ただ涙が流れ落ちた。目の裏にセリンの首筋にあったホクロの残像がくっきりと残っていた。あのボタンを押したら、爆発してくれないかしら・・・。
 それからも時々、その集団に取り込まれることがあった。その集団は中心となる五人の他に、日によってそれ以外の人たちが加わった。とにかくセリンたちの周りには人がよく集まっていた。あたしは自分からは近づかなかったけど、決まってセリンたちが退屈している時に、呼び出された。そして何かにつけてからかわれて、笑われた。
 髪型がおかしい、笑い顔がおかしい、声がおかしい、話し方がおかしい。そんなことを言われつづけた。あたしは人の目が怖くなった。話すことがもともと苦手だったけど、もっと人と話をするのが怖くなった。
 それから男の子に話し掛けるように言われたこともある。その相手も話す内容もセリンたちが決めた。みんながあたしを見ていた。あたしが従うことを期待する目がたくさんあった。あたしは、イヤと言えなかった。反抗してもっと責められることが怖かったから。言われた通りにすればつらいけど、楽だったから。
 セリンたちが指定した男の子を呼び出す。
「あなたは、あたしの事、どう思っている?」
 そんなことを言わされたと思う。どう思っている?はじめて話した、こんな暗い女の子にそんなことを言われても、とまどうことしかできないと思う。
 当然、その男の子は困っていた。それに人目につかないところではなく、わざわざ人目につくような場所で言わされていたので、その男の子はますますとまどっていた。彼は当然、その後、仲間からからかわれることだろう。でもあたしは恥ずかしさと情けなさでその男の子の心情など考える余裕はなかった。
「別に、何とも・・・」
 そう、とあたしは言ってその男の子の前から離れていく。セリンたちの笑い声がどこからか聞こえてきた。
 それから大人たちの備品を盗むように言われて、気づかれて失敗してこっぴどく叱られたこともあった。
 また他の男の子に話をしてきて、と言われた。最初と同じような結果だった。次にまた同じことをさせられた。その時も、同じ。更に数日後、また同じように。
 その時、指定された相手は、特別目立つ男の子だった。ひときわ身体が大きく、力が強そうな男の子だった。怒らせてしまったらどうしよう、そうあたしは恐れを感じた。でも言われた通りに従った。
 その男の子の名前はノスリというらしかった。あたしはノスリを呼び止めた。あたしはノスリの前に進んだ。周りに他の男の子がいた。あたしはその男の子たちの中から特別な視線を感じて、その方に目を向けた。
 すぐに先日、教室で見た男の子だと気がついた。初めて視線が重なった。そのとたん、自分のしていることが急に恥ずかしくてたまらなくなった。顔から火が出ているような気がした。
「ごめんなさい」ノスリにそう言ってあたしは駆け出した。もうここではないどこかに走って逃げたい気分だった。
 それからあたしは、セリンたちの言うことをいっさい聞かなくなった。必死にその声を自分からさえぎった。ただ自分の中に閉じこもって、どれだけ呼び掛けられても、けっして応えない。彼女たちは、最初のうち、いろいろちょっかいを掛けてきたけど、そのうちそれも飽きてきたのだろう、逆に無視をするようになった。たぶん他のコたちにもそうするように仕向けたのだろう。前にも増して、あたしの周りは静かになった。
 そんなある時、あたしの横に座りながらあたしの名前を呼ぶコがいた。
「ツグミちゃん。ここ座ってもいい?わたしメジロ。あなたと話をしてみたいって思ってたの」
“もちろん、いいわよ”とあたしは言いたかった。久しぶりに自分の名前を呼ばれた気がしていた。でも、
「あたし・・と一緒に・・いると、あなたまで、無視される、わよ。あたしと・・話していると、いじめられる・・わ」
 あたしが言うことを、メジロちゃんは、あまり気にしていないようだった。
「セリンたちでしょ。あのコたちひどいわよね。あんなコたち大嫌い。どうぜあんなコたちと仲良くなんてなりたくないからちょうどいいわよ」
「あたし・・なんかと・・・一緒に、いない方が」
「あたしはツグミちゃんとお話したいの。いいでしょ」
 そう言ってメジロちゃんはほほえんだ。あたしは本当は、涙が出るくらいに嬉しかった。でも素直に喜べなかった。またすぐにこのコもあたしのことなんか嫌いになる。あたしの姿や声は人を不快にさせる。たぶん、あたしの存在自体が人を嫌な気分にさせるから・・・

 ある時、僕がアトリやノスリたちと一緒にいると、一人の女の子がノスリの前にやってきた。あの教室で座っていたコだった。ある日突然、あれほど長かった髪の毛が肩の上にまで短くなっていた。だからずっと、何かあったのかと少し心配していた。あの教室で姿を見かけて以来、遠目に姿を見つけることはあったけど、こんなに近くで見るのは初めてだった。
 そのコはノスリに何か言いたそうにしていた。何を言うのか気になって僕はジッと彼女のことを見つめていた。すると彼女もこちらを見た。初めて目が合った。鼓動が激しく鳴った。その時、また意識が吸い込まれる気がした。世界が変化した気がした。ものすごく大切なものが目の前にある気がした。
 彼女は急に顔を真っ赤にして、ごめんなさい、とノスリに言ってどこかに走って行った。
「かわいいコだな」
 走り去っていく女の子の後ろ姿を眺めながら、唐突にノスリが言った。みんな驚いた。ノスリは女の子に興味などなさそうだったし、個別の女の子の話などすることもないと思っていたから。
「あのコは確かツグミってコだな。なんかいろんな男に声を掛けまくっているって、あんまり評判の良くないコだったと思うぞ」
 アトリは本当にどこからそんな話を聞いてきたのか、と思うことがよくある。ふらりと一人でどこかに行ってしまうこともけっこうあったけれど基本、僕たちと一緒にいたのに。とにかく、ありがたいことに、アトリのおかげで僕たちは他の子どもたちと比べて格段の情報量を有していたと思う。
 ただ、その時、僕は、ノスリとアトリに対してちょっと不快な気持ちを抱いていた。
 ツグミってコはノスリになんて言おうとしたのだろう?アトリは何でもひけらかす。知らなくていい情報まで。
 そんな風に思いながら。
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