蠢動の中(10)

文字数 4,663文字

 ツグミとマヒワはB1区画からB3区画に移動した。
 南西の方向へ歩きながら、マヒワは通信器から聞こえる内容に耳を傾けていた。
 その通信器はアントの団員が使用するもので、委員たちや兵士たちの通信を傍受することが出来た。今、彼女は委員たちの連絡網を受信している。ツグミはそのかたわらで、銃口をマヒワに向けたまま並んで歩いていた。
 ここまではマヒワがいたお蔭で道に迷うことなく、すんなり来ることが出来た。少しずつでもイカルに近づいている気がして彼女は少し気が楽になっていた。そんな彼女にマヒワが顔を上げて言った。
「どうやらイカル君は、選ばれし方様を奪還したみたいよ」
 ツグミは、えっ、という驚きの表情を示した後、すぐに笑った。イカルは生きている、イカルは捕まっていない、それどころか選ばれし方様を委員たちから奪還するなんて、さすがはイカルだわ、本当にイカルってすごいわ。ツグミは小躍りしそうな表情をして歩き続けた。
「どうやら空を飛ぶ選ばれし方様の連れの女と一緒に、委員たちを襲撃して奪還したみたい。それにしても、あなたには何度も会っているけど、そんな笑顔を見るのは初めてね」
 そう言われて、ツグミは自分のことは棚に上げて、あの不愛想な女とイカルは一緒にいるのね、と思い、すぐに笑顔を引っ込めた。引っ込めたが、イカルがまだ生きている情報、無謀とも思える計画を完遂させた情報を反芻して、無意識に笑顔が漏れてきた。しかしその高揚を遮るようにマヒワの言葉が彼女の耳に響いてきた。
「きっと彼らはE地区に行くはずよ。ドクターカラカラの所にいくはず。だから私たちは先回りするわよ。間に合えばいいけど」
 B1区画から真っ直ぐ南下すると、B2区画とB5区画を経てE地区に達する。ただしB1区画の南隣にあるB2区画は、大岩崩落のために全体が封鎖されており、B地区西側にあるB4区画は、選ばれし方移送のためにエスカレーター通路は完全に封鎖されていた。だから彼女たちは迂回して、地区東側に位置するB3区画をエスカレーターを使用して南下していった。
 彼女たちはB3区画南側からB5区画に向かうエスカレーターに乗り換える予定だったが、そこも可動を停止していたので、仕方なく住宅地の広がる街中を歩いて移動した。
 かなりな距離を歩いてきていた。すでにB5区画に達していた。その南側にE地区は存在した。その境界に間もなく辿り着く。
 この地下都市は発光石の層の中にあるが、都市内部にはそれほど発光石は見られない。都市の外周にあたる壁も発光石ではないただの岩石で覆われている。B5区画とE地区の境もそんな固い岩石の壁によって区切られている。その壁が家々の間から見えるようになった頃、突然マヒワが口を開いた。
「私はここまで。他の通路は完全に閉鎖されているから、この通路からしかE地区には行けないはず。私はここで戻るから。あとは自分でどうにかして」
 ツグミは唐突に一人にする宣告をされて少し狼狽えた。一人でここからどうしたらいいの。
「そうね、この通路の先、B4区画との境界辺りで待っていたらいいわ。心配しなくても大丈夫よ。イカル君たちはそのうちやってくるわ」
 そうは言われてもツグミはこの女医を心から信用はしていない。ただ病院でちょくちょく会ってあたしを繰り返し調べていた、くらいしか印象がない。だからその言葉をそのまま受け取ってもいいのか分からない。ただ単に、置き去りにされるだけにならないとも限らない。
「ちょっと・・・待・・・ってよ・・・あたしを・・・イカルの・・・所に・・・連れてい・・・・って」
 その言葉に、マヒワの目が険しさを濃厚に表した。
「どこまで甘えるつもり。ここからはあなたのターンよ。正直、嫌だったけど、私はここまであなたを連れてきた。それだけで充分でしょ。私は今日、仲間を裏切って、仲間を死なせて、自分だけ生き残って、まるっきりどん底なのよ。あなたのわがままなんてどうでもいいの。自分の望みくらい自分で叶えなさいよ。私は自分が幸せになりたいだけ、それだけなのに、それがいけないの?自分の幸せを望んじゃいけないの?」
 マヒワは、自分の胸中にこんこんと湧き出る自戒の念を扱いかねていた。どう言い訳してもセキレイを、仲間を殺してしまったことは変わらない。ただ自分の欲求のためだけに、今まで仲間として長い時間を共有してきた人たちを死に至らしめてしまった。自分は、自分は、何て、醜い生き物なの・・・。
「分から、ない」唐突にツグミが言った。「あたしは・・・イカルに・・・あ・・・会いたい・・だけ・・・それ・・だけなの」
 本当にこのコは腹が立つ。他人のことなんて何も考えていない。自分の思いだけ。思い切り殴りたい。思い切り罵ってやりたい。なぜそれほど周囲のことも考えずに大切な人のことが考えられるの?もうやめて、本当にもう、やめて・・・。
「私はE地区出身よ。十年前のケガレ襲撃の時、孤児になった子どもはみんなE地区に送られたわ。私はその中の一人。E地区はひどい所よ。厄介者がみんな押し込められた。そして、移住の混乱があったにせよ、そのまま放置された。あなたたちみたいに周囲に守られている子どもとは全然違う環境よ。もう思い出したくないことばかりの日常よ。私はそこから抜け出すためにそれこそ睡眠時間も惜しんで努力したし、嫌いなヤツでも力を持っていれば取り入ったわ。そして今の地位を手にしたの。そしてやっと安息の場所を見つけたのよ。もう二度とあそこには戻らないわ。自分の大切なものを守ろうとするのが悪い?私は自分のささやかな幸せを守りたいだけなのよ」
 どれだけ言葉を尽くそうとしても、このコを変えることは出来ない。いつも俯き加減に上目づかいにこっちを見てくる。その澄んだ瞳に自分の醜さが映っている。それを見るのが苦痛で堪らない。
「分かった・・・ここから・・・あたし一人で・・行く・・ありがとう・・・・幸せに・・・なって・・・」
 マヒワの目尻から涙が一筋流れ落ちた。その脳裏には、セキレイをはじめ仲間だった者たちの姿が、自分に語り掛けてくる姿が、次々に浮かび上がった。
 ごめん、ごめん、みんな、ごめん・・・。マヒワはその場で崩れ落ちるようにヒザを着いた。微かに吹く風にマヒワのしゃくり上げるような泣き声が溶け込んでいった。
 しばらく掛ける言葉もなく、ただマヒワの横で立ち尽くしていた。マヒワは自分に比べれば格段に世間の評価は高いだろう。ちゃんと世の中の役に立ち、ちゃんと自分で自分を律して社会に適応して生きてきた、表面的には。そんな大の大人が今、目の前で泣き崩れている。
 ツグミは動揺もしたが寂寥感も感じていた。もう、この人には頼ってはいけない。ここからは自分一人で行かなくてはならない。他に頼る人もいない。イカルに会いたい。ひとりでいたくない。
「じゃ・・・あたし・・行くから」
 ツグミは一人で歩きはじめようとした。するとその背中にマヒワの声が投げ掛けられた。
「ツグミちゃん、私はもうあなたと会うことはないと思うわ。だから最後に言っておくわ。あなたは、純粋過ぎる。だから時々感情に振り回される。感情は、その存在をちゃんと認めて、受け止めてあげないといけないわ。でも受け止めた上で、ちゃんとコントロールするのよ。感情に行動を任せてはダメ。どう動くか、どうするか、それを決めるのはあなた。私たちはいろいろとあなたを調べたわ。でもあなたの特殊な能力の原因は分からなかった。たぶん、それは、あなたの感情が原因だからだと思うの。だからあたしたちには分からなかった。これから、あなたがちゃんと自分のことを自分で決めることができれば、あなたの感情は、きっとあなたの力になるわ」
 涙声がツグミの耳に優しく吹いてきた。あたしはこの人のこと、特に考えたこともなかったけれど、この人はあたしのことをちゃんと考えてくれてたんだ、そう思うとありがたかったし、申し訳なかった。
「分かっ・・・た」
 ツグミは静かに言って、再び歩き出した。

 イカルたち三人は、委員たちを拘束した後、非常用出口から地下通路を脱した。そのまま、イカルの先導で歩いて移動した。
 イカルはこれからどうするか、歩きながら思案した。すでに選ばれし方様を奪還したことは首脳部や委員たちには知られていることだろう。もうすぐ追手が差し向けられるはずだ。選ばれし方様を連行してきた委員たちも、全体で六名のみであったはずがない。各所に警戒網を張っているはず。その委員たちが異常を察知してこちらに向かっていることだろう。どっちにしてもB地区にはもういられない。目指すはやはり・・・。
 イカルはとりあえず、委員たちの配置が薄そうな南方向に向けて歩きはじめた。はじめのうちは周囲を警戒しながら慎重に進んでいたが、ほとんど委員には遭遇することはなかった。そのため時間が経つにつれて、歩く速度は増していく一方だった。やがてB5区画との境界に辿り着いた。
 イカルの視線の先で何かが動いた。イカルはすぐさま銃を構えて狙いをつけた。その銃口の先に、ツグミの姿があった。
 眉間にシワを寄せ、口をへの字に固く結んだツグミが立っていた。
 ツグミはそのまま一直線に、イカルのいる方向へずんずんと歩いてきた。その目には、今にも溢れ出さんばかりの涙を湛えていた。
「ツグミ、泣くなよ」
 イカルは機先を制すべく言った。たぶん一度泣き出したら、ツグミは感情の表出を抑えられなくなる、そう危惧しての言葉だった。
 イカルの目の前に立って、かろうじてツグミは言った。
「あたしから、離れないで。あなたを、守れなく、なるから・・・」
 イカルは優しく微笑んだ。ツグミはその笑顔にほだされそうになったが、ここで甘い顔を見せてはいけないと思い、厳しい顔つきのまま、イカルの背中に回って、その上着の裾を片手でぐっと握り締めた。イカルは上着の背を引っ張られて少しのけ反った。
「選ばれし方様、申し訳ございません。状況は芳しくありません。恐らく、A地区は厳戒態勢が敷かれ、我々に向けて追手が差し向けられていることと思います。このまま直接お方様のもとに行くことは困難かと思われます。体勢を整え、状況を把握するためにも、いったんE地区に移動したいと思います」
 イカルの言葉にタカシが了承した旨、発言しようとするとナミが先に声を出していた。
「あなたの言うことに従っても大丈夫なのかしら?最初に会った時も大丈夫みたいなことを言っていたけど、実際は全然大丈夫じゃなかったわ。とにかく私たちには時間の余裕がないんだけど」
 タカシはイカルを信用していたし、この都市に不案内でもあった。だから今はその言葉に従うつもりだった。そして再度、その旨、発言しようとすると、今度はツグミがイカルの肩越しに顔を半分だけ出して言った。
「あんたに、イカルの、何が、分かるって・・いうのよ。イカルに、任せていたら・・大丈夫よ。すべてが、うまく、行く。何も、分から、ないの・・えらそうに、口を、出さ、ないで」
 ナミが分厚い鉄板でも射抜きそうな鋭い視線をツグミに向けた。確認しなくても二人の女性は互いを敵対視して睨み合っているだろうことが察せられた。
「とにかくそのE地区に行こう。すべてはそこからだ」
 タカシは二人の隙をみて発言した。
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