超克の中(2)

文字数 5,346文字

“飛んで”
 ツグミは目を閉じて思念を飛ばした。そのとたん、二羽のケガレが飛翔した。彼らは天井すれすれまで飛び上がり、委員たちの頭上に達すると一羽がピロロロー、ピロロローと甲高い声で鳴いた。
 委員たちは驚いた。見知らぬ黒い生き物が、頭の上を飛び回りながら、聞き知らぬ声で鳴いている、委員たちはあわてて銃口をそちらに向けた。
“側面攻撃開始”
 迂回して、建物の屋上から委員たちを見下ろしていたコガレたちが、一斉に襲い掛かった。
 委員たちは更に驚いた。見知らぬ黒い小さな生き物が、まったく警戒していなかった場所から襲撃してきたのだ。状況が分からずに混乱が増していく。
“さぁ、総攻撃よ!”
 ツグミは目を見開いて走り出した。ツグミの後ろからタミンとその分身たちが走ってきて、すぐさまツグミを追い越して、委員たちに一斉に襲い掛かった。空中を飛んでいた二羽のケガレも降下して、くちばしや爪で委員を攻撃した。
 委員たちはなすすべもなく、逃げる間もなく、その場に倒れるか、転げまわるかしかできなかった。
 コガレたちは委員たちの腕に噛みつき、顔をかきむしって相手の戦闘能力を奪った。何匹か捕まった者もいたが、彼らは必ず複数で攻撃していたので、すぐに仲間の支援を受けて逃れていた。ケガレたちも同じく攻撃を行い、相手が抵抗できない状態に追い込んだ。彼らはツグミの言うことをよく聞いて、委員の一人として死ぬことがないように攻撃をしていた。ツグミは戦場の手前で足を止めて、その場の様子を眺めた。もう彼女が出る幕もないようだった。
「反逆を犯した兵士に襲撃されました。兵士は正体不明の生き物を引き連れており、こちらはほぼ全滅です。救援を、至急救援を」
 突然、一人の委員がツグミに背を向けて走り出した。走りながら懐から取り出した通信機器に叫ぶように声を上げていた。
 よく見ると、それは先ほどツグミと話していた指揮官らしき委員のようだった。
 ツグミにとって、委員が仲間に通報することは想定内だった。しかし指揮官に逃げられることは考えていなかった。貴重な情報源でもあるので、指揮官は必ず捕まえたい。
 ツグミはとっさに走り出した。状況を把握するため、捕まえて問いただす。
“その人を捕まえて”
 走りながら念じた。すると数匹の分身が、指揮官を追って飛び掛かった。指揮官の腕に、足に分身が飛びついた。指揮官はとっさに手に持ったHKIー500でその一匹を叩き落した。
 ツグミは転がり回る委員たちの間を走り抜け、指揮官のもとにたどり着くとHKIー500の銃床部分で思い切りその顔を殴りつけた。指揮官はもんどりうってうつぶせに倒れ込んだ。
 ツグミはその背中を片足で押さえつけ、銃口をその頭に向けた。
「これからあたしが訊くことに答えなさい。もちろん嘘を言うことは許さない。それに時間もないから答えをためらうことも許さない。あたしはあなたを殺さない。でも、今のあたしは情緒不安定だから、もしあなたが答えを躊躇するようなら腕や足の三本や四本は覚悟しておいて。いいわね?」
 指揮官はうめきながらうなずいた。
 それからツグミは武装した委員たちの人数や配置を訊いた。指揮官はすでに戦意を喪失しており、抵抗する気はもとからなく、知っている範囲で答えているようだった。
「なぜ、あなたたち委員が警備をしているの?何か異変があるなら、兵士に指令を出すだけで事足りたんじゃない?」
 指揮官は更にうめいた。ツグミの硬いブーツの厚底が背中に食い込んでいた。
「詳しいことは分からない。しかし噂では、首脳部は、治安部隊の反乱を危惧しているようだ。だから非常事態に乗じて反乱を起こされないように、お方様を奪取されないように、治安部隊を中心部の警備から外した。それでA地区とその周辺地域は俺たちが警備しないといけなくなった」
「治安部隊が反乱?そんなバカな。どうして反乱なんて。反乱を起こす理由もないわ」
「いや、現にお前たちの部隊長は、反社会的勢力に対するほう助の容疑で拘束された。部隊本部も今では首脳部が占拠している」
 モズ隊長が拘束された?部隊は首脳部が指揮を執っているの?今の話からすると、この先も委員たちが待ち構えていそう。状況的にはかなり好ましくない。
 ツグミは指揮官の背中に乗せていた足を移動した。
「もういいわ。ありがとう。あと一つだけお願い。あなたたちが持っている武器と通信機器を一か所に集めて。それであなたたちを解放するから」
 そう言ってから鳥型のケガレたちに向かって、
“監視しといて”
 と念じてから、すぐ近くで集まっているコガレたちの方へ向かった。
 コガレたちは、先ほど指揮官に叩き落されて倒れている分身を、心配そうな顔つきをして囲んでいた。ツグミは倒れているコリンの分身を両手のひらに乗せて持ち上げた。すると目をつむっていた分身が薄く目を開いてツグミを見上げた。そして、その小さな震える手をツグミに向けて差し出した。
「ごめんね。あたしがもっとちゃんと指示を出せていたら、状況をちゃんと把握して適格に指示を出せていたら、あなたをこんな目に遭わせずに済んだのに」
 声に出して言った。コリンが彼女の肩にするすると上ってきた。手のひらの分身は少しだけ力なく笑った気がした。そしてゆっくり霧状になって消えていった。
 その黒い霧は発生する先からコリンのもとに集まっていき、その身体に吸収されていった。コリンの身体が少し大きくなったように感じた。
「次に生まれてくる時は、もっと明るい世界に生まれてくるのよ」
 ツグミは何も無くなった手をゆっくり握りしめ、少しの間、目をつむった。そして立ち上がり、目を開いて辺りを見渡した。何か所かで哀しみの気配を感じた。コガレたちの発しているその気配で、あと数匹の分身が消えたことが察せられた。
“あたしが動いたから犠牲が生じてしまったのね”
 ツグミはつらい思いを抱いた。心の奥の暗い場所から、本当にあたしは正しいことをしているのかしら?すごくバカげたことをしているんじゃない?ここで立ち止まるべきなんじゃない?そういう声が聞こえる。
「あのさ、分身が消えて悲しんでくれてるところを申し訳ないが、あいつらは分身だから。また俺の身体に戻って俺の身体の中で生きつづけるだけだ。こんなことで後悔なんてするなよ」
 コリンの突き放すような口調の声が聞こえた。
「うん、分かったわ。ありがとう」
 ツグミはそう念じながら微笑をコリンに向けた。
 二十人分の武器と通信機器が道の真ん中に山積みにされた。
「これで全部だ」
 ケガレやコガレたちの監視の視線に耐えながら指揮官が言った。
「ご苦労様」
 HKIー500の充填をしながらツグミは言った。そして充填が済むとその機械類の山に銃口を向けて弾を放った。
 エネルギー弾が破裂した。HKIー500や通信機器が粉砕された。HKIー500の内部にあったエネルギーが誘発されて次々に弾けた。委員たちは破片や流れ弾が自分たちの方へ向かって飛んでこないか心配で身を縮めながらその様子を眺めていた。
「これから十数えるわ。その間に、みんなあっちの方向へ走って。数え終わって姿が見えてたら遠慮なく撃つわよ。いいわね」
 ツグミが再度エネルギーの充填をしながら委員たちに向かって言った。そして容赦なく数えはじめた。
「一、二、三・・・」
 委員たちは、ツグミのことを得体が知れない、と感じていた。正体不明の生き物を使役していることも、情け容赦なく自分たちに攻撃してくることも、たちまち自分たちを鎮圧してしまったことも、普通の女の子とは到底思えなかった。薄っすら怖れを感じていた。だからぐずぐずしていると本当に撃たれそうな予感に襲われていた。
 委員たちはすぐさま走り出した。ツグミの指し示した、A地区とは逆方向、ツグミたちが来た方向へ一心不乱に走り出した。普段、走ることはおろか歩くこともほとんどない者たちばかりだった。全員が息も絶え絶えにつまずきながら走っていった。
「さぁみんな行くわよ」
 八まで数えた後、ツグミが言いながらA地区に向かって歩きはじめた。ケガレとコガレたちを引き連れて。
 しばらく走って、物陰に隠れてツグミたちが遠く去っていったことを確認してから、指揮官は懐に隠し持った通信機器を取り出した。台数の確認もせず、人のことを信用するとは間抜けだな。やはりまだ子どもだ。そう思いながら指揮官は通信をはじめた。
「反逆者がB4区画西側通りをA地区に向けて徒歩で進んでいます。反逆者は一名ですが、武器を所持しています。また正体不明の生き物、おそらくケガレと思われる生き物の集団を引き連れており、その生き物を使って攻撃してきます。かなり危険です。ご注意ください」
 これでかなりの人数があいつらを待ち受けることだろう。指揮官は踏みつけられた恨みをこれで晴らせると思って、少しだけ溜飲を下げた。
 A地区にはエレベーターやエスカレーターで移動する以外に、徒歩でも行くことができる。ただ治安警備の関係上、道自体が地区同士の境界地点で東西南の三方向、それぞれ一本ずつに集約されていた。
 A地区の南側にあるB地区からも、何本かA地区に向かって道が伸びているが、どの道も途中で合流して最終的に大通りの一本になっていた。その大通りのA地区との接点に人数を集めれば容易く待ち受けることができる。そしてその南大通りに、委員たちは連絡を受けてから更に増員を図り総勢五十人近い人数で警備網を張った。あとは反逆者の到着を待つばかり。
 南大通りの警備網の配置が完了する頃、ツグミたちはもう、そこに向かう通りにはいなかった。
 ツグミにとって逃がした委員たちが、他の仲間に連絡を取るのは想定内だった。所持品を確認しなかったのも通信機器を隠し持っているかもしれない、という予想のもとあえてしなかった。
“敵の居場所を確かに知る。自分たちの居場所は知られないようにする。そのために策を弄して相手を自分の定めた場所に集め、自分たちは敵の裏をかいて移動する”
 イカルが戦闘時によく使う行動原理だった。ツグミはそれに則って行動していた。何の迷いも、ためらいもなく。
 今、彼女たちがいるのは平行式エスカレーター通路の中だった。
 路上を駆けている最中、ツグミは、ケガレにエスカレーター入り口を頭上から探させていた。B地区のエスカレーターは足下を走っている。入り口は地表に立つ奥行の長い建物の前方にぽっかりと開いた穴だった。その穴を入るとすぐにエスカレーターがはじまり、そのまま斜めに下りて本線に合流する造りだった。
 ケガレたちはすぐに穴を見つけた。
 非常事態宣言が発令されているためか、ケガレが発生したためか、予想通りエスカレーターは停止していた。
 ツグミたちは、またしても暗い穴の中を移動していく。
 暗いトンネルの中を、タミンとその分身たちの集団が全速力で駆けていく。
 集団の勢いを殺すことなく走り続ける。途中、等間隔に遮蔽壁が閉まっていたが先行した分身が壁や周囲の機器に飛びつき、霧状になって内部に入り込み、次々に開扉していった。
“本当にあなたたちがいて助かるわ。もう少しでA地区よ。頑張って”
 彼女はそう念じながら、別動隊の状況を心配していた。
 トンネルに入る前、彼女は自分たちを大通りで待ち受けているであろう委員たちの集団を、そのままにしてはいけないような気がしていた。自分たちがその方面にまったく姿を見せないと、不信に思って、捜索して、見つからないとせっかく集まった人数を再度、分散させるかもしれない。こちらの動きを察知して人数を送り込んでくるかもしれない。別動隊を向かわせる必要がある。そこまで彼女が考えるとコガレたちが自然と二組に分かれていた。
 コリンとウレンとそれぞれの分身がまとまって立っていた。
「あなたたち大通りに行ってくれるの?」
 ツグミが訊くとコガレたちは一斉にうなづいた。
「あちらは我々にお任せいただき、ツグミ殿は安心してお方様の所に向かわれてください」
「ありがとう。でも無理してはダメよ。あなたたちは、こちらが大通りを進行する意思があるってことだけ示せればいいから。戦闘は極力回避するのよ。正面は避けて、なるべく可能な限り迂回してね」
「分かっております。相手を殺さず、こちらも犠牲を出さず、ですね」
「そう、頼むわね」
「了解です。タミン、しっかりとツグミ殿をお守りするように」
「分かっているの。ウレンこそ、コリンが暴走しないように、しっかり見張っておくの」
「暴走なんてするかよ。お前こそツグミが無茶しないようにしっかり見張っておけよ」
「大丈夫なの。あたしたちは最強のコンビなの。すぐに終わらせて帰ってくるから二人とものんびりしているの」
「おう、期待しているぞ」
「では、そろそろ私たちは出発いたします」
「気をつけてね」そう言うツグミに背を向けて、ウレンとコリンとその分身たちは一斉に駆けだした。
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