廃墟の中(7)

文字数 4,020文字

 お方様は、黒色に包まれた部屋にいました。

 その真っ黒い色はとても強く、とてもたくさんあったので、お方様でものぞくことができませんでした。

 そこから出て行くこともできなかったので仕方なく、お方様はその部屋に住み続けていました。

 黒色は、どんな色よりも濃いので、他の色を染めてしまいます。

 だから誰も、お方様に近づけません。

 染まってしまうのが、怖かったのです。

 だからお方様は、いつもひとりぼっちでした。いつも話し相手もおらず、ただそこにいるだけでした。

 誰かに助けを求めることはできません。なぜならその人が、黒く染まってしまうのを見るのがつらかったから。

 だから、いつも、ひとりぼっち。

 今日も、明日も、明後日も。

 そんなある日、お方様は自分に近づこうとしている人に気づきました。

 お方様はいつも通り、自分に近づいて、傷ついてしまうことがないように、いくら近づいてきても、いくら呼ばれても、答えようとしませんでした。

 そうすればそのうち、その人はどこかに消えてしまいます。黒い色をおそれ、その闇にくっして逃げ去るのです。

 でもその男は、逃げることはありませんでした。お方様の名前を、力強く呼びながら、黒色にあらがいながら、お方様に会うために、近づいてきます。

 お方様は怖くなりました。その人が染まってしまう、死んでしまう。

 でも、その男は止まりませんでした。

 黒色に染まりながらも、身体をあちこち損ないながらも、一心不乱にお方様にただ会うために、歩き続けました。

 そしてお方様のいる街の外まで、やっとのことで、たどり着きました。

 その街は、何層もの黒色に囲まれていました。

 一番外側を黒い円盤がまもっていました。

 黒い円盤は言いました。

「僕はこんな見た目だから、いつもみんなにバカにされる。だからバカにされないように、君の今までの人生で得た地位や名誉を、僕にくれたら通してあげるよ」

 男は、円盤に自分の地位と名誉を与えました。

 そのために、男は人から軽蔑され、バカにされました。

 男は先に進みました。

 次に黒い四つ足の生き物が、行く手をはばみました。

「僕は腹ペコだから食べ物を買うために、君の持っているお金を全部僕にくれよ。そしたらここを通してあげる」

 男は持っているお金を全部、四つ足の生き物にあげました。

 そのため男の周りから人が消え、お腹は空き、乞食だと言われて、ますますバカにされるようになりました。

 男は、また先に進みました。

 次に黒蛇がいました。黒蛇は先に進むためには必ず通らなければならない扉の前に、長い胴体でとぐろを巻き、上に伸ばした首をもたげて、辺りをにらんでいました。

「僕は、いつも、この扉が誰かに壊されるんじゃないかとビクビクして、朝も昼も夜中でも、こうして警戒していないととても不安なんだ。だから不安にならなくても済むように、君の平穏な生活を僕にくれたら、ここを通してあげるよ」

 男は、自分の平穏な生活を、黒蛇に与えました。

 そのために男は、地位や名誉やお金もないのに、人に襲われ、事故や事件に巻きこまれ、いつも警戒して気が休まるヒマがなくなってしまいました。

 男は、また先に進みました。

 次に黒い服を着た人がいました。

「僕はいつも頭がおかしいとみんなから言われるんだ。だから君の正常な精神と僕のおかしな精神を交換してくれないか。そしたらここを通してあげるよ」

 男は、自分の正常な精神を、黒い服の人に与えました。

 男は、人にバカにされ、軽蔑され、お金もなく、いつも不安だらけで、心安らかに眠ることすらできず、おまけに頭までおかしくなって、誰からも相手にされず、たとえ誰かに会ったとしても、恐怖を感じることしかできなくなって、何の役にも立たず、人目をはばかれればいい方で、人目についてしまえばけなされ、ののしられ、いつかあっただろう人としての誇りのかけらも、もう失くしてしまいました。

 男は、お方様を目前に、そんな自分をとてもはずかしく思いました。

 こんな自分はお方様に好かれるはずがない。こんな自分をお方様が選ぶはずがない。お方様にはもっとお似合いの人がいるはずだ。こんな自分では・・・。

 そのころ、お方様はというと、自分の変化にとまどっていました。

 身体の奥底で、次第に強く輝く光の存在に気がついたのです。

 その光は、お方様がその男ことを知ったとたん、光りはじめました。

 そして男が近づくほどに、強く輝いて、やがてお方様の身体を包み込むほどに大きく強く光るようになりました。

 お方様は、はっきりと分かりました。

 私は、あのひとを、選んだんだ。

 数えきれないほどいる人々の中で、あのひとを。

 お方様は、閉じこもっていた部屋から出て、選ばれし方様のところに向かいました。

 あまりに強く輝く光に、黒色はすぐに溶けて消えていきました。

 そしてお二人は出会いました。

 お方様の光は、すべてをおおうほどに大きく強く輝いて、黒色はすっかり消えてしまいました。

 黒色が消えたので、選ばれし方様が与えていた、地位や名誉や平穏な生活や正常な精神がもどってきました。

 お金だけは使ってしまったのか、もどってきませんでした。でもそんなことはどうでもいいことでした。一人の人としての誇りがしっかりと胸の中にありましたから。

 選ばれし方様は、地位も名誉もお金も平穏な生活も持たない、頭のおかしかった自分を受け入れてくれたお方様に言いました。

「私は、あなたの言葉を受け止める。私は、あなたの過去を受け止める。私は、あなたのすべてを受け止める。約束する」

 お二人が一緒にいると、常に明るく晴れやかな世界がお二人を包み、そしてあたためました。

 そしてお二人から発せられる優しい光は天へとのぼり、人々を希望あふれる新世界へと導いていきました。

   ~~~~~

「五年前、お方様から僕たちに、この物語が贈られました」
 アトリは語り終えた後に、そう付け加えた。
 五年前、リサと出会った頃だ。
 物語を聴き終えて、自分とリサとの間に起きた出来事に照らし合わせてみる。
 その内容に心当たりがある箇所もあるにはあるが、自分たちの間の話とはとても思えなかった。脚色が強すぎる所為もあったが、そもそも符合する内容も、五年前リサに初めて会ってから今までの間に起きた出来事であって、この物語が五年前に語られた物だとしたら時系列がおかしくなる。もしかしたら予言的に発せられたものが、たまたま的中したということだろうか。
「もし本当に、俺がその選ばれし方様だとしたら、俺は、金もない、地位も名誉もない、災いだらけの頭のおかしいヤツってことだろ。そんなヤツがきたらみんな敬遠するんじゃないかな」
「いえ、逆です。我々にとってお方様は何よりも尊い、何よりも崇めるべき存在なのです。そんな大切な存在をすべてを投げ打って救い、そしてケガレを除去して我々を地上世界に導いてくれる、それがあなたなのです。みんな、あなたが来るのを心待ちにしています」
 そうなのか、タカシはつぶやきながら空を見上げた。アトリの言うことをそのまま信用するわけにもいかないが、かといって満更否定する理由もない。ただあまり人からの大きな期待を受けると何かと動きづらくなりそうなのが懸念された。
 空は静かに曇っていた。
 宙に浮かんでいた黒い鳥はどこに行ったのだろうか。もうその姿は見えなかった。本当にあれが鳥だったのかどうか分からない。そういえば、他に鳥の姿を見ていない。街中に身を置いているにしても、カラスやスズメの姿さえ目にしていない。
「どうしたんですか」アトリが言った。
「いや、ここには鳥が全然いないな、と思ってね」
「トリ?トリってなんですか?」
 鳥を知らないのだろうか?もしかしたらこの世界では違う呼称で呼ばれているのかもしれない。
「鳥っていうのは翼があって空を飛ぶ生き物だよ」
「空を飛ぶですって?そんな生き物がいるんですか?先ほどの女性のように飛ぶんですか?大きさは?あまり大きいと質量の問題で飛ぶなんて無理でしょうから、ごく小さい生き物ですよね?いったいどんな形状なんでしょうか?やはり空気抵抗の少ない細身の体つきでしょうか?そもそもツバサってどんなものなんですか?」
 アトリは、あからさまに好奇心の塊になっていた。前傾姿勢になって、目を輝かせている。その姿から、この世界には本当に鳥がいないことを察した。そういえば彼は今日、初めて地上に出たと言っていた。それまでは地下世界にいたのだ。もしこの地上に鳥がいたとしても知らないのも無理はない。
「翼は身体の横に広げて羽ばたいたり、風を受けたりして飛ぶものだよ。翼がないと鳥は飛べない。さっきの女性は特別だ。俺にもなぜ飛んでいるのか分からない。それから鳥にもいろいろ種類があって大きさも手の平サイズのものから翼の端から端まで二、三メートルになる大型のものもいる。みんな羽毛っていう軽くてあたたかい毛におおわれていて、だいたいずんぐりとした体形をしているかな。そういえば君と同じ名前の鳥もいたはずだよ、たしか」
 言いながらタカシは、あまり生き物に興味を示すことがなかったリサが、意外にも鳥の名前に詳しかったことを思い出した。小さい頃に、確か伯母さんにもらった鳥の図鑑がお気に入りで、よく観ていたお蔭、と言っていたように記憶している。
 アトリの表情は感激一色に染まっていた。放っておいたら、いつまでもこの場を動きそうにない雰囲気だった。
「それより、先を急ごう。いつまた襲われるかもしれない」
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