混迷の中(8)

文字数 4,423文字

 誰もが、地上連絡通路入り口ホールの映像が映るモニターを眺めていた。
 黒く煙り視界は悪いが、戦闘がはじまっていることは分かる。丸く黒い物体があちこちに飛び回っている。そこにいる兵士が各自HKIー500を構えて、その丸く黒い物体を狙って撃ち、破裂させている。何かがこの地下世界に侵入して戦闘が生じている。
 そんな中、モズだけはしっかりとその丸く黒い物体がケガレであることを認めていた。目を見開き、口を開け、身体を小刻みに震わせながらモニターの中の場景を眺めていた。
 モズの脳裏に、鮮明なる過去の記憶が蘇ってきた。普段は極力思い出さないようにしている記憶、意思の力で記憶の扉の奥深くにカギを掛けて幽閉していた記憶だった。

 それはこの世界の住民が皆、地下へと潜る前の記憶。
 治安は決して良いとは言えない地上世界だった。普通に窃盗や詐欺や恐喝なんてことが起きる社会だった。でも、そんな中でも皆、何とか暮らしていた。自分と家族の生活を営んでいた。
 それが、ある日、突然吹いた一陣の風に壊滅させられた。
 その風によってそこに生きていた人々の半数が突然いなくなった。ある日突然、その存在が消滅した。周囲の人々もそれを止める手立てはなく、悲しむ余裕さえなく、愛する人、親しい人をほぼ瞬間的に失った。
 それまでは、いくら治安が悪くても人が死ぬことはあまりない世界だった。人々は裕福ではなくても親しい人々とともに生きていること、それを当然だと思っていた。しかしその日、すべてはくつがえされた。
 風が吹いた日から、街中にケガレがうろついた。その丸く黒い円盤状のケガレは、人を見つけると有無を言わせずに狩った。静かに、そして確実に。
 モズとウトウはその時、二人とも班長として自らの班員を率いて、街の外周警備に当たっていた。そのため風の襲来には遭わずに済んだ。しかしその後、街に戻ってから数えきれないほどの人の死を目の当たりにした。
 モズは、人々の避難を誘導しながら、自分の家族の安否が気になってしょうがなかった。
 モズには妻と二人の息子がいた。長男のクグイは彼と同じく治安部隊員になっており、その時はウトウの班に編入されていたので、生存を確認できた。しかしその他の家族は安否不明だった。
 家族の安否を確かめに行きたかった。しかしそんな余裕は毛の先ほども彼らには与えられていなかった。
 さっきまで横にいた人が急に存在を消した。さっき話をした兵士が苦悶の表情だけを残し、この世から消えた。死が限りなく身近に感じられた。
 相手が何者なのかも分からず、有効な武器もなく、ただ見つからないように身を隠すばかりの日々、自分の無力さを思い知らされる日々だった。死がひたすらに蔓延していく。
 街の東側にあるビルの地下に人々を誘導して身を隠した。いつ見つかるかも分からない。無闇に外部に出ることもできず、水や食料の調達もままならず、誰もが先への不安と死への恐怖にさいなまれ、神経をすり減らしていった。
 モズはなるべく動かないようにした。動いても大して意味がない状況だったし、体力をなるべく温存して、いざという時に脱出するつもりだった。
 それに対しウトウは、自分の部下を引き連れて率先して外部の偵察に向かった。その度に幾ばくかの水と食料と情報を調達してきた。
 モズは、班長自ら偵察に行くべきじゃないと進言したが、ウトウは暗い密閉空間にただ漫然としていることに我慢ができないようで、しきりに外に出たがった。
 この地下空間に通じる道は、二つの階段とエレベーターとエスカレーターだけだった。中心部分に広い空間があり、その両側についこの間まで営業していた店舗が並んでいた。大半が飲食店だった。
 その空間には最初、二十数名の人々が避難していた。
 ビル全体の電力が止まっているためにエレベーターとエスカレーターは使えない。モズたちは階段出入り口部分の非常扉を手動で閉鎖してケガレの侵入を阻止した。
 それから少人数ずつ、偵察を担当した兵士が、隠れていたり、行く当てもなくさまよっていた人々を連れ帰ってきた。やがて地下室の避難民は五十名ほどになっていた。そのうち兵士は十二名。モズの班、ウトウの班の生き残りがそれぞれ五名と四名、他は壊滅した班から合流した三名だった。
 食料も水も計画的に配分すればまだしばらくはもつ。だから今、無理をして兵士の数を減らすべきではない、しきりに偵察に行きたがるウトウをモズはそう説得した。いずれこの場所を放棄しなければならない事態が発生するかもしれない、他にもっと良い隠れ場所が見つかるかもしれない、その時のために兵士は温存するべきだ。今、犬死させるべきではない。
 クグイは父親の意見を知りながら、毎回外の探索行動に志願した。ウトウとしては毎回同じ者では良くないと、クグイに対し地下に残るよう説得することもあった。しかしクグイはその度に抵抗した。ウトウ班の班員としての職務をまっとうさせてくれと頼み込んだ。
 モズとウトウは同期入隊で身分は同じだった。しかしいつも、どちらかが指揮を執らなければならない場合、指揮権はモズに任命された。ウトウはそれを甘んじて受け入れていた。それは誰の目にも適材適所だったから。ウトウが一番その事を分かっていた。自分はあくまで前線にいるべきなのだ。後方で指揮を執るなんてもどかしくてしょうがない。自分が大部隊の指揮をしたら全滅しかねない。だから冷静に状況を判断できるモズの方が適任なのだ。
 ウトウは最低限必要だと思われる定期的な偵察以外は自重するようになった。
 何日も暗い地下空間で身動きもとれずに隠れ潜む生活は、退屈以外の何ものでもなかった。だんだんと気も萎えてきて物事をいい方向へ考えることが難しくなっていった。
 何とか現状を打破しなければ、クグイはその思いを胸に、ウトウに対して進言した。
「このままここにいても何の解決にもなりません。街は正体不明の敵だらけです。ならいっそ街の外に出ましょう。私が偵察に行ってきます。すぐに戻ってきます。許可してください」そういったことを何度も。
 このままの状況では兵士の士気に関わる、とウトウは心配していたが、そのウトウでもクグイの意見は軽率に聞こえた。向こう見ずな、ただの思いつきにしか聞こえない。
 だからウトウはいつも首を縦に振らなかった。しかし頭ごなしに意見を否定しもしなかったので、度々クグイは食い下がって意見した。時に、あまりにも熱を込めすぎている様で。そんなある時、横合いから見兼ねたモズが口を挟んだ。
「お前の意見はあまりにも浅はかだ。焦って動いても現状が好転する保障はない。逆にへたに動いたことで、状況が悪くなってしまうかもしれない。極力慎重に考え、行動しなければならない。軽挙妄動は慎め、いいな」 
 クグイは大きな不満を抱えていた。また父が自分のするべきだと思うこと、したいと思うことに口を出した、そう思っていた。
 いつもそうだ。いつも親父は満足なんてしない。どれだけ良い成績を上げても、何かの賞を獲ったとしても、もっと上を目指せと言う。自分のことは自分で考えて決めろと言うくせに、必ず人の決定には口を出す。俺はもう一人前の兵士なんだ。いい加減、ほっといてほしい。
 そんなクグイの鬱屈が、暗い地下生活の閉塞感に相まって、胸の底でドロドロと練り合わされ、溜まり続けて、今にも吐き出されそうになった頃、連絡が入った。
「只今より、移住計画を決行する。宮殿北側、希望ケ丘麓にある連絡通路より、地下へと移動するように。その際、けっして敵である黒い物体を引き連れないように。黒い物体を引き連れてきた者は移住を拒否される。必ず敵に見つからないように移動せよ。また明日、午後五時を持って移住計画は終了する。午後五時に連絡通路入り口は破壊され、今後一切地下への移住はできなくなる。くれぐれも午後五時までに移住を終了するように」
 その連絡を受けて、兵士たちは話し合った。その結果、明朝、日の出とともに移動することにした。彼らの現在地は街の中心にある宮殿から南東方向に位置していた。普通に歩いて希望ケ丘までは三時間掛からない程度の距離だったが、ケガレから身を隠しながら移動し、しかも希望ケ丘に着いてからその入り口を捜さないといけない。その時間を勘案しても日の出とともに出立すれば余裕を持ってたどり着くことができるだろう。間もなくたそがれ時だった。電力を喪失した現状、急がないと深い闇におおわれてしまう。その避難場所にいた全員は、急いでこの場を引き払う準備をした。
 兵士を含めて総勢四十八名は翌朝、日の出とともに地上に出た。日の出と言ってもこの街では、常時曇っているので日が昇る様を見られることはまずなかった。しかし空が薄っすらと明るくなっていく様子で、それを察することはできた。
 建物から建物に身を隠しながら全員が移動していった。彼らは極力軽装であるようにとモズから指示されていた。大切なものだからと荷物を余分に持っていこうとする者には容赦なく捨てさせた。一日分の水と一回分の食糧以外は基本的に認めなかった。
 兵士数人を前方に偵察に向かわせ、安全を確認してから少しずつ少しずつ彼らは進んだ。正午少し前に彼らは宮殿付近まで到達した。視線の先に主を失って寂しげにたたずむ白亜の尖塔が見えた。お方様はいったいどこに行ってしまわれたのだろうか。モズは思わずにはいられなかった。我々は見捨てられてしまったのだろうか。
 彼らは緊張感を持続させながら進みつづけた。移動と停止を繰り返していたが、ゆっくり休むわけにもいかず、幼児連れや高齢者には困難な道のりだった。モズは歩けなくなる者がいたらそのまま置いていくつもりだった。一人二人のために全員を危険にさらすわけにいかない。そんな父親の思いと反するようにクグイは幼児を背負い、老人の肩を支えながら移動した。そんなことより兵士としての職務をまっとうしろと言いたかったが直属の上司であるウトウが黙っていたので、口に出すのは控えていた。
 日が傾き出した頃、彼らは間もなく希望ケ丘に到達する地点まで移動していた。ビルの一階のエントランスホールに小休止しながら偵察の兵士たちが帰ってくるのを待っていた。
 偵察の兵士たちは戻ってから報告をはじめた。
 希望ケ丘の麓には確かに入り口らしきものがある。しかしその周囲には無数の、例えようのないほどの苦悶の表情を浮かべた人々の死体が転がっている。そしてその上空に円盤型の黒い物体が多数浮遊している。丘周辺には、まだ多くの移住集団が残っている。
 そう報告を受けたモズは、現状を鑑みて、あくまで冷静沈着に覚悟を決めた。そして兵士たちを一画に集めて話しはじめた。
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