邂逅の中(13)

文字数 3,667文字

 僕は男の大人の人に、自分の住むべき部屋に案内されました。
 ベットと机とクローゼットがあるきりの狭い部屋でした。そこに住む実感はまだなく、不安が濃く胸の内にありました。だけど自分の部屋ができたと思うと、少し嬉しくも思いました。
 案内してくれた男の人は、この部屋での暮らし方と毎日の過ごし方をほほえみまじりに優しく教えてくれました。もちろんエレベーターの乗り方も必要な各場所に行く方法も教えてくれました。分かりづらそうなことは紙に書いて渡してもくれました。お蔭で新生活に向けた不安はあらかた払拭された気がしました。最後に男の人は僕の目をジッと見ながら言いました。
「君の身体はお方様からいただいた、とっても大事ものなんだ。だから少しでも体調がすぐれないと思ったら、すぐに病院に行くんだよ。さっきも言ったけれどエレベーターに乗って病院って言ったら、移動の間に君の悪いところをちゃんとスキャンして、即座に一番適した病院の一番適した科に連れてってくれるから。遠慮なく行くんだよ」
 男の人は軽く僕の肩を叩きました。
「はい、分かりました」
「君の未来が幸福に包まれたものであるように祈っている。新生活を楽しみな」
「はい、ありがとうございました」
 男の人がエレベーターに乗り込み、扉が閉まった後、僕は一人部屋に戻りました。殺風景な部屋、今までいつでも、何をする時でも、仲間がいたけれど、これから一人暮らしがはじまります。少しだけ胸がしめつけられた気がしました。
 明日は、新しい部屋に慣れるためでしょう、一日休息日が設けられていました。明後日の朝、全員がB1区画の公会堂に集合するように言われていました。そこで改めて、各人これからどのような生活を送らなければならないか、通達があるようでした。
「あいつの部屋、どこら辺だろう」
 ツグミのほほえみが脳裏に浮かんでいました。普段、当然ようにすぐそばにあるほほえみでした。最近は何か不機嫌そうでしたが、その理由も訊かないままに離れてしまいました。どうせ一緒に治安部隊に入隊できないことが原因だと思います。もちろん生活の場が変われば、今までのように、つねに一緒にいることはできないでしょうし、互いに会うという意思がないと、なかなか会えなくなるのかもしれません。でも、その時の僕は、不思議とあまりその点に関しての不安はありませんでした。きっと僕たちは大丈夫、そう根拠のない自信がありました。考えているわけでも、思っているわけでもなく、ただそう感じていました。とにかく明後日会えるだろうし、その時、少しこれからのことについて話そう、そう思いながら少ししかない荷物を片付けて、何もすることがないので、その夜は早々に眠りにつきました。

 あたしと一緒に残っていた最後の一人に迎えがきました。
 若い女性でした。あたしに笑い掛けながら、
「もうすぐ迎えがくるから、ちょっと待っててね」と言った後、自分の連れていくべき女の子を連れて、エレベーター乗降口の中に入っていきました。
 それから少しの間、おとなしく座って待っていました。どんな人が迎えにくるんだろう。みんな男の子には男の人、女の子には女の人という風に同性のお迎えがきていました。だからあたしにも若くてきれいな女の人が迎えにくるはず、そんなことを考えながら。
 どれだけ待ったことでしょう。誰もいなくなった大広間の中で、あたしはなるべく明るく見つけやすい場所に移動して待っていました。時々、首を巡らせてエレベーターホールに視線を向けてみます。迎えはそこからしか来ません。エレベーターホールは大広間のすぐ横にありました。いつもは間の扉が閉まっていて中の様子を見ることはできなかったのですが、今日はずっと開け放たれていました。
 何度エレベーター乗降口を見てみても、迎えが来る様子はありません。それどころかエレベーターが動いている気配さえありませんでした。
 心細かったです。この大部屋はいつも子どもたちでいっぱいでこんなに静かなことなど初めてでした。それに久しぶりの一人。最近はどんな時もイカルがそばにいました。イカルがどこかに一人で行ったとしても、必ず自分の所に戻ってきてくれる、という確信がありましたから、つまらない思いはありましたが、寂しいわけではありませんでした。でも今、イカルはいません。また、あたしはひとりぼっちになってしまうのではないか、という不安がじわりじわりと全身に染み込んでくるように思われました。
 別れ際に話し掛けることもできなかった。最後にちゃんと話をするべきだったのに。濃く淀んだ後悔。こんな思いを抱く羽目になったのも、イカルが悪いわけでもないのに、意固地になって不機嫌になっていたあたしが悪いのです。
 本当に、あたしは、こんなあたしが嫌いです。
 言い知れぬ不安はあたしの体内だけではなく、背後にあって更にあたしを包み込もうと周囲に広がりはじめている気がしました。早く迎えがきてほしい、祈るような気持ちであたしは待ちつづけました。
 だけど、どれだけ待っても誰も迎えにきませんでした。胸の中にゴソゴソと心細さが動き回っている。どんどんその数を増やしていくばかりでした。忘れられてる?あたしは立ち上がり、エレベーターホールまで歩いて乗降口に向かって声を出しました。
「誰か、誰か、いませんか・・・誰か」
 応えはありません。その気配すらありません。
「誰かーっ!あたし、まだ、ここに、いるよ」
 腹の底から叫びました。そのとたん、エレベーターホールと大広間の間の扉が静かに閉まり、すぐに灯りが消えました。今まで聞こえていた機械音がすべて止まりました。驚いて周囲を見回す自分の動きから生じる音がやけに大きく聞こえました。自分以外には何も音を発するものがないのです。純度の高い無音。心細さが急速にふくらんでいきました。体の隅々に、その先の先まで冷たい孤独が染み込んでいく感じでした。
 この施設は一定時間、人がいなければ自動的に照明や空調設備などの電源が切れる設定になっていました。でも、子どもでも誰かがいれば切れることはないはずでした。だから混乱しました。あたしがここにいるのに?何かの間違い?誰か気づいてくれるの?迎えはこないの?とにかく混乱していました。
 あたしは暗闇の中、手探りで乗降口の扉を捜しました。少しずつ前進していると宙を探っていた指先が壁と扉の間の境目を探し当てました。
「誰か、誰かーっ!」
 あたしは声の限りに叫びました。叫びつづけました。手で扉を打ちつづけました。何度も何度も。でも何の応答もありませんでした。
 やがて手は痛み、声は枯れました。
 どれだけ時間が経ったのでしょう。時計を見ることもできない暗闇の中でははっきりと分かりませんでした。でもあたしがいないことに誰かが気づいて捜しにくるには充分なほどの時間が経っているように思われました。
 もう泣くしかありませんでした。自分が哀れで泣きました。そして泣きつかれて、いつしか眠りに落ちました。

 翌朝、僕は身支度をととのえると、自分に関わりがありそうな場所に行ってみました。
 先ず、B1区画のセントラルホールに行きました。そこには翌日行われる式典の会場である公会堂や各種手続きをしてくれる役所等々、いろんな機関のいろんな建物がありました。そのため朝早かったにも関わらずたくさんの人が行き来していました。
 本格的に初めて見る外の世界。僕はちょっと興奮していました。そしてホールの奥にある白く輝く建物、センタービルを見た時、何か身体中に力が湧いてくる気がしました。今ではそれはセンタービルを構成する発光石からの影響だと自分では思っていますが、その時は、ただ新しい生活への希望が、僕の身体に満ちた瞬間のように感じられました。とにかく今までにない感覚に、僕の気分が否が応でも高揚していったのを覚えています。
 一通り思いついた場所を回り、行く先がなくなるとつづいて仲間の部屋を訪問しました。行き方は簡単です。エレベータ―に乗って行きたい相手の名前を言えば連れて行ってくれます。行き先住人の名前を唱えると同時に、相手には何秒後に誰それが到着する旨の連絡がいきます。訪問を迎え入れる気があればそのままでいればよく、訪問を拒絶したい場合は、その旨を言えばエレベーターの扉は開かず、一律に不在として訪問者に伝えられて素通りします。
 エレベータ―は素通りすることなくノスリやトビや他何人かの住居の前で扉を開きました。その後、アトリの部屋に行きました。
 そこでアトリと僕が交わした会話は今でも鮮明に覚えています。内容が衝撃的だったこともありましたが、地上へ行こうとする意志を、初めてアトリが僕に対して表明した時でもあったからです。もちろんその内容の全てを一言一句間違いなく覚えているわけではありませんが、おおよそ次の通りで間違いないと思います。
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