混迷の中(6)

文字数 3,600文字

 ウトウの前にいた兵士が、黒衣の者にエネルギー弾を放った。
 右肩から先が吹き飛んだが、その黒衣の者は意に介さず、再生しながら尚も進んできた。
 兵士は充填を待って、更にエネルギー弾を放った。次は黒衣の者の股間辺りで破裂し、両足を吹き飛ばした。その黒衣の者はうつ伏せに上体を倒した。撃った兵士は歓喜の雄叫びを短く上げた。
 黒衣の者がフードの下から生気のない視線をその兵士に向けた、と同時に両腕を使って兵士に向かって跳躍した。そのまま黒い霧の固まりとなり、兵士に襲い掛かった。黒い霧が兵士の口から体内に侵入し、兵士はとっさに吐き出そうとする。しかしその兵士は、すぐさまよだれを垂らしながら胸を掻きむしりはじめた。やがて立ったまま力尽きたように首を垂らし、腕を下した。
 周囲の兵士はその兵士が死んだと思った。しかし悲しむ余裕はない。悔しさを噛みしめて、ただ黒い集団に対抗した。
 しかし、その死んだと思った兵士がふと目覚めたように顔を上げてHKIー500を持ち直した。その兵士は周囲を見渡して他の兵士がHKIー500でエネルギー弾を放っている様子を観察した。そしてそれと同じようにHKIー500を構えた。
「おい、大丈夫か」隣にいた兵士が訊いた。黒衣の者に襲われた兵士はHKIー500を構えたまま声を掛けた兵士に向きを変えた。
 銃口を向けられた兵士が、その行動をとがめる間もなく引き金が引かれた。周囲に、撃たれた兵士の粉々になった肉片や体液が飛び散った。
 人の身体を乗っ取りやがった!ウトウがそう思う間にその兵士は銃のエネルギーを充填し、終わると、また一人兵士の身体を粉々にして周囲にいる兵士の全身を血に染めた。周囲の兵士はとまどった。事態がうまく呑み込めなかった。裏切り?撃つ?仲間を?
 ウトウがとっさにHKIー500を構えた。次の瞬間、黒衣の者に襲われた兵士の頭が吹き飛んだ。
「全員集合しろ!各自敵を撃破しつつ集まって円形に展開。周囲に、ケガレに身体を乗っ取られた奴がいたらためらわずに撃て。乗っ取られたらもう助からん。躊躇することなく撃て」
 大多数の兵士が集まった時点で強行突破するつもりだった。
 兵士はざっと見てもう半分近くに減っていた。全滅を防ぐにはそうするしかないと思った。
「分隊長!」
 ウトウは後方にHKIー500の射撃音を聞いて右肩越しに振り返ろうとした。と同時に足元で爆発音がして、爆風に飛ばされた。何が起こったのか分からなかった。横向きに倒れた状態から顔を上げると、周囲の兵士が自分を撃ったのであろう兵士の頭を破裂させるところが見えた。
「分隊長、大丈夫ですか」隣にいた兵士がおおい被さるようにして言った。
「大袈裟に騒ぐな。転んだだけだ。起こしてくれ」
 そう言われた兵士は一瞬動きを止めたが、すぐに言った。
「応急処置をします。しばらくそのままで」
 その兵士は腰ベルトに付けていた救急用品バックを探った。
「大丈夫だ。傷など負っておらん」
 ウトウはそう言って自力で立とうとした。しかし下半身の動きに違和感を抱いた。どうもバランスがおかしい。動くべき箇所の動きが感じられない。ウトウは自分の下半身を見た。左足の太ももの半ばから下がなくなっていた。そう認めた瞬間、激痛が全身を走破した。歯を食いしばって耐えた。気が遠くなりかけた。
「止血します」
 ウトウの看護をしていた兵士が言うが早いか上官のわずかに残っている左足に止血帯を巻いて縛り上げた。更なる激痛がウトウを襲った。
「ノスリ、ノスリは生きてるか。ノスリはどこにいる」
 ウトウは遠のく意識を必死に引きとめながら叫んだ。兵士のうめき声、叫び声、苦悶の声がいたる所に響いていた。若い兵士たちが次々に死んでいく。自分の無力さにいくら歯がみしても足りない思いだった。
「ノスリ、早く来い!」
 気力を振り絞って叫んだ。
「ここにいます」ノスリがウトウの元に駆け寄って答えた。
 ウトウは自分の横にひざまずいたノスリの胸倉をつかんで言った。
「ノスリ、この分隊の全権をお前に引き継ぐ。隊員が集まり次第、出口を目指せ。負傷者は置いていけ。いいか自分たちが助かることだけを考えて出口に向かって突撃させろ。一人でも多くの兵士を助けるんだ。頼んだぞ」
 この時のウトウの目ほど力の籠った目をかつて見たことがなかった。自分の思いを引き継がせようという意志の籠った目だった。
「了解しました」ノスリはそう言う他なかった。
 ノスリは改めて視界の悪い周囲を見渡した。いたる所で戦闘が行われ、いたる所で死傷者が発生していた。しかしある程度、彼の周りに兵士は集まっているようだった。
「全員一斉に退却するぞ。固まったまま一気に出口を目指す。自力で動けない者は捨てていけ。これは命令だ。負傷者を助けてはならない。自分が脱出することだけを考えろ」
「ノスリ、分隊長はどうすんだ」ミサゴが言った。
 ウトウは口は悪いが部下の面倒見は良い方だ。部下の落ち度をすべて一身に背負う気概があった。そのため上からの評価は決して高いとは言えなかったが、部下からの信頼は当然厚かった。
 ノスリは応えなかった。応えないことで苦渋の決断をしなければならないことを暗にミサゴに伝えた。ミサゴは出しかけた言葉をぐっと呑み込んだ。
 ウトウは自分を看護する若い兵士の手をつかんだ。
「もうよい。もう俺は助からない。俺を置いて逃げろ。お前たちはこの世界の未来を造らんといかんのだ。絶対に生き残れ。死ぬな。いいな」
「隊長、しかし」
「いいから行け」
 ウトウは力の限りその兵士を突き放した。
「これは命令だ。恐らく俺の最期の命令だ。退却せよ。必ず生き残れ。いいな」
 突き放されて尻もちをついていた兵士は立ち上がり思いを断ち切るように敬礼した。
「了解しました。失礼します」
 自分から離れていく兵士を見ながらウトウはHKIー500を手に取った。少しは時間稼ぎになればいいが、と思いつつ。
「退却!出口を目指せ。全員退却!」
 ノスリの最大限の声が辺りに響いた。兵士たちが一斉に出口に向かって走り出した。しかし黒衣の者や黒犬や円盤が大量に待ち構えている。そして背後からも数限りなく迫ってくる。意識を一方に集中すると、他方から襲われた。防御することばかりに気を取られていると、いつまでも逃げることがかなわない。各班の班長も倒れたり負傷したりで、指揮系統は完全にマヒしていた。とにかくみんなノスリの声を頼りに、逃げるしかなかった。目の前の数メートルがあまりにも遠く感じられた。
「班長」
 ノスリが声のした方を向くと、キビタキというノスリほどではないが背が高く筋骨たくましい体躯の班員が通路入り口から、ケガレに攻撃を加えながら近づいていた。先ほど退却路の確保を指示された班員の一人だった。
「出口の扉が開きません。ロックされています」
 キビタキの早口な口調が否が応でも緊張感を更に高めた。
「どういうことだ、なぜ開かない」
「どうやら、この地域にA級厳戒警備体制が布かれています」
 そういうことか、ノスリは合点がいった。
 A級警備体制はこの国の最上級の厳戒態勢だった。そしてそれはケガレの発生が感知された時点で、有無を言わせず自動で発動されることになっていた。
 A級警備体制が布かれた地域は、他の地域とは隔絶される。扉も閉め切りになる。いっさいのケガレが消滅するまで、一片の欠片も感知されなくなるまで、それは続くことになっていた。ノスリは背筋が寒くなった。
 この警備体制を解除してもらわないと確実に、俺たちは全滅する。
 こんな所で、こんなに突然に自らの死を濃厚な予感として意識することになるとは。冗談じゃない、ノスリは左手首の通信器に触れた。
「本部、本部!応答願います。こちらウトウ分隊ノスリ班々長ノスリ。応答願います」
「無駄です。電波障害が発生しています」キビタキはすでに通信を試したのだろう、冷静にそう言った。
「くそっ」ノスリは吐き捨てるように言った。
「とりあえず何とかして通路に向かおう。ここは広すぎて守りが多方面になり、こっちに不利だ」ミサゴがエネルギー弾を放ちながら言った。
「よし、俺たちで全員が退却するまで支援するぞ、持ちこたえろ」
 近くにいる班員がみな、オッシャとか、ハイッとか、オリャーとか口々に叫んで応えた。逃げ道が閉ざされ、弾は残り少なく、勝機の見出せないこの状況ではそうしないと自分を保っていられなかった。
 もはや残りの弾数も考えずにエネルギー弾を放ちながら、兵士たちは、ただ出口を目指して駆けた。すぐ横で仲間が黒犬に噛みつかれていても、黒衣の者に身体を乗っ取られていても、とにかく出口を目指すことだけを志向した。
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