廃墟の中(2)

文字数 2,977文字

 やや太い風が吹くたびに、砂ぼこりが軽いゴミと一緒に舞い上がる。言いようもなく乾燥した世界。干からびた地面の上には人の気配は感じられず、それどころか命らしい命の存在さえ見当たらない。
 街の入り口には特に塀や壁もなく、五、六階建ての石造りやコンクリート製の建物が奥に向かって並んでいた。
 殺風景な荒野の中に、そこだけが人工物の密集地になっていた。
 さっと見た限り、その範囲はかなり広いようだった。彼らの足元から一本、正面に奥まで広い道が伸びていたが、その先がかすんではっきりと見渡すことができなかった。そして道の両側に整列している建物たちには、長年放置された感が色濃く染みついていた。
 とりあえず彼らは目の前の大通りを進んだ。
 しばらく行っても建物と瓦礫しかない。人の気配も生きて動くものの影もない。彼らはためしにいくつかの建物の中に入って探索した。
 外からの細く薄い光が、室内に降り積もったほこりを、かすかに照らしていた。人が生活していた痕跡はある。住居だっただろう家屋もあれば、飲食店だっただろう建物、雑貨を扱っていただろう店舗もあった。しかしすべては廃屋でしかなかった。
 ここにいた人たちはいったいどこに、そう思いながら彼らは五軒目の建物に入った。そこはテーブルとイスが散乱した、どうやらパブだったのだろう店の中だった。
 薄暗い店内、いろんなものが床に放置されていた。それを避けながら奥に進むと何か硬いものを踏んだ。足を上げてみるとそこにはビンテージ感ただよう金属製のガスライター。彼は手に取り火を点けてみた。
 ボウッ、と辺りがほのかに明るくなった。部屋中が破損していた。壁やカウンターや床に大きく荒い傷がついている。カウンターの中には大量の瓶が割れて破片が散乱していた。他にもいたるところに破壊、争いの跡が見て取れた。どう見てもここの店主は後継者難や経営難で店を閉めたわけではなさそうだった。
「この世界では誰も住めなくなるくらいの争い事があったみたいね」
 建物入り口付近にたたずんでいたナミが、静かに口を開いた。
「ここにいた人たちはどこに行ったんだろう?他の街に移住した?それともみんな死んだ?もし死んだのなら遺体はどこに?生活の痕跡はあるけど、人そのものが見あたらない」
 彼は言いながらナミの方へ振り返った。そして目を見張った。建物入り口の木製扉の横、ナミが立っている場所のすぐそばの貼り紙に目が釘づけになっていた。
 その貼り紙には、精緻な筆づかいで、一目でそれと分かる彼の似顔絵が描かれてあった。そしてその下には力強い筆跡で、
“選ばれし方様 地下で待ってます!”と大きく書かれていた。
 自分の知らないところで自分とこの世界とのつながりができている?
 正面から描かれた無表情な男の顔、間違えようがないくらい彼の顔だった。より一層ここで何があったのか知りたくなった。更に自分のことを知っているのだろう、この街の住民たちの行方、そして何よりこの世界のリサが今どこにいるのか、現時点では知りたいことだらけの状況だった。
 突然、人の走る音が聞こえた。砂におおわれた硬い地面の上を走る音、行く手にある障害物にあたり、除き、倒れ、起き上がり更に走る、そんな音が通りの方から続けざまに聞こえた。
 彼らは即座に屋外に出た。通りに出るとすぐに音の主を見つけた。その人物は息も絶え絶えに通りを横切っていた。
 彼はこの世界で初めて会った生物に接触しようと、すぐさま走り出そうとした。
「待ちなさい、隠れて」
 ナミが彼の腕をつかんで再度、屋内に引き入れた。彼らは扉の陰から外の様子をうかがった。通りを走る人間の背後から、彼らが街の外で見た小さな黒い円盤が音もなく迫っていた。
 その人間は、走り方や体形からかなり若い男性に見える。少年と呼べるくらいに。
 その少年は走りながら一瞬振り返った。その目が円盤の存在をとらえた。恐怖に瞳孔が開いた。離れていてもはっきりとそれと分かるくらいの表情だった。
 彼はその目を見た瞬間、ナミの目をしっかりと見て言った。
「助けてくる。俺に何かあったら助けてくれ、頼む」
 ナミはとっさに二の句が継げなかった。制止する間もなく彼は走り出していた。
 自分がこんな行動を取るなんて彼は思ってもいなかった。ただこの世界ではそうしないといけない気が無性にしていた。
 彼が屋外に出て四段ほどのアプローチの階段を一息に飛び越えた時、少年は通りの反対側に建つビルの壁を背にして振り返っていた。もう走ることを観念したように。
 円盤は少年の顔の前、その温度さえ感じられそうな近さに達していた。
 絶望の眼差し、声にならない声、恐怖に身体が小刻みに震えている。円盤がいきなりふくらんだ。実際には細かく分裂していた。小さな綿毛のような浮遊物の集合体となっていた。その浮遊物は一瞬、空中にただよった後、少年の口や眼や鼻や耳、あらゆる場所から体内に侵入した。
 そこにある空気を脇へ押しやりながら、極自然なていでそれらは少年の体内に入っていった。
 彼が少年のもとにたどり着いた時には、すでに浮遊物の影も形もなかった。少年は投げ出した足の上に首を垂れた状態で、力なく座り込んでいた。
「おい、大丈夫か?」
 少年に声を掛けた。どうやら外傷はないようだったが、意識があるかどうか確かめるためにも呼び掛けてみた。応えはない。肩をつかんで少し揺すってみた。少年はそのまま何の抵抗もなく横に倒れていった。
 タカシは思わず後ずさった。
 眼下に少年の表情があった。それは千辛万苦を圧縮して貼り付けたような表情だった。その身体はすでにピクリとも動かなくなっていたが、その口元から今にも呻吟の声が聞こえてきそうな顔つきだった。
 どんな苦痛を味わえばこんな表情になるのだろうか。ただの恐怖だけではない。ただ苦しんだだけではない。憂い、悲哀、怒り、恐れ、そんな雑多な感情をない交ぜに交ぜ合わせて顔面の各部位に丁寧に貼り合わせたようだった。とにかくこれまでの人生で人の死に顔など数えるほどしか見たことはないが、こんな安眠とは真逆の死に顔を見るのは初めてだった。
 そんな表情を終焉時に浮かべている少年に最上級の哀れを感じた。そして極自然に嫌悪の情がどうしようもなく彼の顔からにじみ出てきた。
「見ていたって生き返らないわ。先を急ぐわよ」
 背後からそう声を掛けられて、彼は一瞬身体をビクンと震わせ、そして我に返った。
 少年の前にヒザをつき、手を差し出してその見開かれた目を閉じた。そしてその頬にそっと手を置いた。心なしかこわばっていた少年の表情が和らいだ気がした。
 二人はまた移動を始めた。
 足取りが重かった。タカシは人の死を目の当たりにして、気が落ち込んでいた。まだこの世界に来て間もないにも関わらず人の最期に遭遇してしまうなんて、先が思いやられてしょうがなかった。
「逃げなさい!」
 突如、静謐とした周囲にナミの張りつめた声が響いた。振り返った彼の目には、彼の方に滑るように飛んでくる円盤が、瞬時に感知できる範囲だけでも三体ほど認められた。その音もなく近づいてくる姿は、闇夜に集団で狩りをするサバンナの獣を連想させた。
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