深層の中(7)

文字数 5,578文字

 ツグミは全身傷だらけのせいか、自分では全速で駆けていたつもりだったが、すぐにトビやエナガやその班員たちに追いつかれた。
 彼らは闇夜の中をHKI―500に付帯しているライトの明かりを頼りに進行し、連絡通路を抜けてB地区に入っていった。連絡通路にいた委員たちはきっとノスリたちがどこかに連行していったのだろう。多少警戒していたが、誰に会うこともなく静寂の中をただ進むことができた。
 ツグミは道すがら周囲に視線と明かりを向けて、コガレたちの姿がないか意識しないうちに捜していた。ウレンもコリンもタミンもまだ生きているとは思ったが、少し心配だった。自分のために戦闘に身を投じてくれた彼らが、著しく消耗してないか、命の危険にさらされていないか。ふと、思念を送ってみようかとも思った。しかしやめた。もし三人とも元気だった場合、彼らはすぐに駆けつけてくるだろう。それはとても心強かったが、タミンの消耗した姿、身体を欠損した姿が思い出されて、無理はさせられない気がした。三人とも激しすぎる戦いを経てきたのだ。もう少し休ませてあげたい。
 B3区画は、B地区の東側に、南北に細長い形状で広がっており、五つあるB地区の区画の中で最大の広さを有する地区だった。だから、彼女たちがいる区画の北側から、深層牢獄行きエレベーター乗降口のある南側外壁付近までは、けっこうな距離があった。
 ツグミはマヒワと一緒に朝方、同じ道を通ったことを、ふと思い出した。その時はまだケガもしておらず、疲労もなかったので、そこまで苦にならなかったが、今は正直、その道のりが途方もなく長く感じられた。だから、モズ隊長の手配によって、途中、工作輸送分隊の輸送車が迎えに来た時は、歓声を上げたいほどに嬉しかった。
 輸送車は、運転席と荷台があるだけで、屋根さえなかった。荷物を運ぶだけに特化したような作りで、基本的に、通常エスカレーター通路を走るため、小ぶりな形状をしていた。
 早速、三台の輸送車に分乗して、南下をつづけた。荷台の乗り心地はあまり良いとは言えなかったが、彼女たちはこの時間を利用して食事をした。
 全員、兵士の常備する非常食を携行していた。錠剤だったが、栄養価が高く、疲労回復物質も含まれていた。更に、呑み込んで水分を摂取するとその錠剤は胃の中でふくらむ。腹持ちもよく、空腹感も満たされるように作られていた。とは言え味気ないことは否めなかった。ツグミは腹中で錠剤がふくらんでいく感覚を覚えながらも、本部で食べそこねたケーキのことを思った。イカルが回復して、退院したらケーキを買ってもらおう。とびっきり甘くて、とびっきり高いケーキを買ってもらうの。そのくらいのわがままは聞いてくれるわよね。
 しばらく移動すると視線の先に地区南側外壁が見えてきた。更に進むと壁の下に設置されたエレベーター通路入り口であるコンクリート製の四角い建物とその周辺にいる兵士たちの姿が見えた。数名の見張りとノスリ以外はみな、思い思いの場所で仮眠をとっていた。
 ノスリは見張りからの報告で、ツグミたちの接近を予見しており、道路脇に寄せて停めていた救急車両にもたれながら彼女たちの到着を待っていた。
「先輩!」
 現れたツグミたちに向かって歩み寄ろうとしたノスリの背後から、アビの声が上がった。
「お疲れ様です。ご無事でなによりです」
 アビが走り寄り、敬礼をして言った。少し疲れが表れているようにも見えたが、いつもの花が咲いたような明るい笑顔をツグミに向けていた。
「あなたもお疲れ様。支障なく任務遂行できたみたいね」
 ツグミは、アビが嬉しそうに、ハイッと答える声を聞きながら、停めてある救急車両に視線を移した。エンジンは停止してあった。この救急車両も発光石のエネルギーで動く。現在その供給がストップしているので、節約するためにエンジンを停止させているのだろう。
「一緒に連れいってもらったコガレは仲間と合流した?」
 救急車両は全体赤地に白い線が描かれていたが、この闇の中ではただの黒い大きな塊にしか見えなかった。
「ええ、連絡通路で他の小さな黒い生き物たちと合流して、そのままどこかに去っていきました」
 そう、と言いながら少し安心したツグミに、アビの後方から声が掛けられた。
「ツグミ、待っていたぞ。疲れているだろうが、すぐに出発しようと思う。行けるか?」ノスリの声にツグミは即答した。
「もちろんよ」
「それじゃ、車両に乗り込む人員を選抜しよう。せっかくだが全員は乗れないからな」
 B1地区からここまでノスリ班の九名とイスカ、合わせて十名を乗せて救急車両は軽快に移動することができた。そのためノスリとアビはあと数名、計十二、三名くらいなら乗車が可能だと予想した。それ以上の人数は車内の広さ的にも乗車が困難だと思えた。
「イスカ班の班員は今、情報委員たちを拘置所に移送しているところだ。その後、この場に移動して、休息しながら俺たちの帰りを待つことになっている。だから俺の班とイスカとお前で深層牢獄に向かおう」
 ツグミは、なぜ班員と離れてイスカがこちらにいるのか少し不思議に思った。
 トビとエナガが、エナガ班副官のセッカと三人で打ち合わせをはじめた。やがて打ち合わせが終わるとトビが、会話の中に入ってきた。
「俺とエナガも一緒に行くぞ。俺とエナガの班は、これからセッカの指揮で、B地区に残る委員たちを掃討していく。委員たちの大多数はさっきお前たちが襲撃した連絡通路に固まっていたようだし、他にはそれほど人数はいないだろう。掃討が終わったら、各地区に向かい救急隊員と救急車両をかき集めてこの場に移動する予定だ。どちらもそれほど難しい任務ではないだろうから、俺たちは退屈しのぎにお前たちについて行く。いいな」
 珍しく強い口調のトビの声を聞いたとたんに、ツグミは察した。イスカにしてもトビにしてもエナガにしても、自分たちの住むこの世界の崩壊、滅亡の予兆が目の前に提示されているこの現状に、いても立ってもいられないのだろう。そして今までの短い人生の中で、物心ついてから常に一緒にいた仲間たち、イカルやノスリのことを心配しているのだろう。もしかしたら、あたしのことも。
 ノスリにもトビたちの気持ちが分かったのだろう、すぐに結論を出した。
「これで乗組員は決まったな。すぐに出発する。アビ行けるな?」
 はい、とアビは応えてそのまま救急車両に向かった。ノスリは自分の班員を起こすべく移動しようとした。その背にツグミが声を掛けた。
「ノスリ、あたしは謹慎中の身だから、こんなこと言えた立場じゃないかもしれないけど、あなたは全体の指揮を執らないといけないでしょ。だから、あなたの班員を返してもらえないかしら」
 ノスリは移動しながら少し振り返った。ツグミがその顔を見上げていた。
「そうだな。あいつらもお前に直接指示された方が慣れているだろうから、それがいいかもな。じゃ、ノスリ班々員は現時点よりツグミ班に移管することにしよう」
 ツグミは、これまで班員たちに指示を出した試しがほとんどなかった。だから、全然、彼らは慣れていないわよ、と思いつつも話をつづけた。
「いいえ、彼らはあくまでイカル班々員よ。あたしはただの副官。代理にすぎないわ。そこは間違えないでね」
 ノスリは苦笑した。

 アビは運転席に座って、目の前の操作パネルに手をかざした。するとパネルから光が発せられて一瞬、血管が透けて見えるほどその手を明るく照らした。
「認識番号060012、認識しました。始動します」
 運転席の計器の間からそう音声が発せられると同時に、ブーンというエンジン音が車内に響き渡った。
 アビは安心した。B1区画でも同じことをしたのだが、この救急車両の運転というものは、要は最初に認識されるかどうかで、あとは行く先を告げれば自動で目的地まで連れて行ってくれる。その手順で、先ほどの初めてとなる運転でも、まったく危なげなくここまで来ることができたのだった。
「行く先を・・・」
 救急車両からの問い掛けをさえぎってアビは言った。
「深層牢獄へ。全員が乗り込んだら向かって」
これで全員が乗り込み扉が閉まれば動き出すはず。あたしの役目はおしまい、アビはそう思った。
“その場所へは移動できません。エレベーターに乗り換えてください”
 無情にも無感情な声でそう答えられた。
「どうして?急いでいるのよ。どうにかして行くことはできないの?」
 答えはない。代わりに先ほどと同じ内容の音声が流れるばかりだった。困ったわね、アビはそう思いつつも、途中ほぼ真下に向かう牢獄への通路をまるでうつ伏せのような格好で進むなんて、やはり無理があるわよね、とも思った。そんなことをしてもシートベルトの強度を試すことには効果があるかもしれないけれど、果たして無理なく進むことができるのか、はなはだ疑問に思われた。
「アビ、これで全員だ。出発しろ」
 アビが振り返ると乗車する予定だった最後の一人が乗り込み、扉を閉めるところだった。
「アビ、早く発進しろ」
 ノスリがいつの間にか、運転席のすぐ後ろにいた。
「ダメです。この車両では牢獄には行けません」
「なぜだ。重量オーバーか?このくらい大丈夫だろう。早く出せ」
「無理です。自動運転が起動してくれません」
「なら手動で動かしたらいいだろう」
「それこそ無理です。手動で運転したことなんてありません」
 アビにしては珍しく語気を強めて言った
 正直、アビにとってノスリのことは怖かった。しかしその、人に対する恐れよりも自分が運転を誤って人にケガをさせたり、最悪、命に関わる事態になる、そんな重大な責任を背負うストレスに対する拒否反応の方が勝っていた。
「大丈夫だ、お前資格持っているんだろ」
「何が大丈夫なんですか。これだけ人が乗っている上に、垂直に降下するような場所を一度もまともに運転したことがないあたしが運転して行くんですよ。もしかしたらブレーキが利かなくなって、みんなで深層まで落ちて行くことになるかもしれないんです。衛生兵として、人を助ける役目の者として絶対に看過できません」
 ノスリは二の句が継げなくなった。そのまま考えを巡らせた。本当に牢獄までの通路を、この運転手でこの車両が行けるのかどうか。試している余裕はないし、試して、もしだめなら移動手段を失ってしまう。指揮官として、兵士たちの命を預かっている身としては作戦の遂行も大事だが、むやみやたらと兵士たちを死地に送るわけにもいかない。
「大岩が落ちてから救急車両は、シティからセントラルホールにかなりの回数往復していたけど、今の俺たちより大人数を乗せて、ぎゅうぎゅう詰めにして移動していたぞ」
 後方からトビの声が聞こえた。
「そういえば、この救急車両は、六の賢人が開発した時、大規模災害の救出作業などにも使えるようにかなりの悪路でも、かなりの急勾配や道なき道でも、ある程度走行できるような構造にしたって話を聞いたことがある。最大出力も実際の数字は分かんないけど、かなり高めのはずだ。それから車両前面は障害物を排除しながら走行できるように堅固な装甲になっているはずだ」
 同じく後方からエナガの声が聞こえた。二人の声にノスリは決断した。深層牢獄ではどんな困難が待ち受けているか分からない。トビたちの話ではケガレも大量に発生しているようだ。それなら一人でも多くの兵士を連れていきたい。
「アビ、この中でこの車両を運転できるのはお前だけだ。負担を掛けてすまないが、何かあっても責任は指揮官の俺にある。だから行ってくれ」
 ノスリが助手席に移動して、目線をアビに合わせながら言った。
 アビは振り返って後方を見渡した。みんなの視線が自分に向けられていた。この人たちの命をあたしが預かるなんて・・・そんなことあたしには無理。やっぱりここは断ろう。怒られてもいいから。何かあって後で後悔するよりよっぽどその方がいいから。アビはエンジンを停止させるために前に向き直ろうとした。その時、たくさんの自分に向けられた視線の中にツグミの視線を見つけた。
 ツグミは、他の兵士たちと同じように事の成り行きを、ただ眺めていた。眺めながら、救急車両で行けないとなると、いったいどう行ったらいいんだろう?と考えた。その顔は、考える時のクセで眉間にシワを寄せて、無意識に少し険しい表情をしていた。
“本当に、この人の視線には抵抗できないわ・・・もう!”
 アビは目を閉じて大きくため息を吐いた。そしてもう一度、ツグミの方を向いた。やはりツグミは考え事の表情をしてアビを見ていた。
「分かりました。行きます。行けばいいんですよね。どうなってもあたし知りませんからね」
 ツグミをはじめ全員が、アビの変調を喜ぶと同時に、いよいよ戦場におもむく緊張感を全身にまとった。
「頼むぞ、アビ」
 そういうノスリの声をアビは聞いてはいなかった。
 アビは前方奥にある手動と自動を切り替えるツマミに手を掛けて入れ替えた。さて、運転の仕方は・・・、アビは計器類やレバーやボタンの類を眺めながら研修の時の記憶を蘇らせた。しかし基本的に自動で運転することが前提だったので、研修でも手動運転の仕方は一通り簡単な講義を受けただけで、実地演習もなかった。そのため薄っすらとしか記憶には残っていない。そのはかなげな記憶の断片の一つ一つを拾い上げて自分の中で運転のイメージとして築き上げていく。よし、これで大丈夫、たぶん。そうひとりごちてからアビは車内全体に向けて告げた。
「出発します」
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