秘匿の中(1)

文字数 3,106文字

 E地区入り口の扉前に辿り着いた。
 エスカレーターを使用する場合も、乗降口が隣接するB5地区にしかなかったので、E地区からは必ずこの扉を通過する必要があった。もちろん徒歩の場合もこの扉からしか出入り出来ない。それは同時にその扉を封鎖すれば、完全に地区全体を他から隔離することが出来る、ということを意味していた。
 四人はその扉の前に並び立っていた。誰の背よりも高く、両手を広げるより幅広い程度の扉だった。その操作パネルにナミが左手をかざした。バキバキと凄まじい音がしてパネル部分が粉砕された。イカルが常備しているサバイバルナイフを手にもって両開きの扉の中央境目に刺し込んで片方に引いた。すると隙間が少し開いた。そこにタカシが指を入れて横に引いた。イカルも反対側に対称になるように引いた。案外と簡単に扉は開いた。
 そこにいる誰もが初めて来た場所だった。
 この地区は、この地下都市のどの地区、区画よりも狭く、人口も少ない地区だった。そして明確に他とは分けられた場所でもあった。
 他の地区に住んでいる者たちにとって、そこはただの吹き溜まりの地、用がなければ立ち寄ろうとはけっして思わない、そんな土地。
 兵士の中にも治安維持のため、この地区でパトロールや事件捜査を行う任に就く者もいる。しかしイカルもツグミも宮殿周辺が主な任地だったので、今までE地区に来たことはなかった。
 初めて足を踏み入れたその土地は、想像していたよりも荒れ果てた感じではなかった。ゴミだらけで足の踏み場もない混沌とした場所を想像していたが、小さなゴミはそこかしこに転がっているものの大型のゴミは見当たらず、逆に閑散とした印象を抱いた。とにかくまだ慣れていないせいもあってか、そこにいて気持ちの良い場所とは多少なりとも思えなかった。
 それにしても薄暗い、薄ら寒い場所だ。天井が低い。二階建ての建物を建てれば屋根は平面にするしかないほどの高さ。電力の供給が不十分なのか、今まで自分たちがいた場所に比べて全体的にぼやけた影に包まれているような、不明瞭な空間だった。
 空気が湿っている。どこか生臭い。淀んだような使い古された空気が辺りを漂っている。
 天井の岩肌から、水滴がそこかしこで落ちている。淀んだ水溜まりが見渡せる範囲でも点在している。
 前と左右の三方に、人が二人並んで歩ける程度の狭い通路がある。通路の両脇には土壁や石組でできた、見るからに安普請な建物が並ぶ。どの建物も黒カビなのか空気の汚れが付着しているのか、壁に黒い筋が何本も伸びていた。
 軒先や道端に、雑多な物を並べた商店らしき場所も見える。整然と並べる気がないのか、どの店のどの商品も雑全と吊るされ、置かれ、重なり合ったままホコリを被っていた。
 とにかくドクターカラカラの居場所を捜さないと。セキレイ先生はこの地点のちょうど反対側に位置する、どの道を通っても辿り着けるって言っていたけど、それなら一番距離が短くなりそうな、前方に伸びる道を進むべきなのだろうか、それともなるべく人目につかないように横の道を行くべきか。
 イカルは物陰に移動して、背負っていたバックパックを地面に下ろし、中から隊服を取り出して着替えはじめた。
 初めて来た場所だったし、決して治安の点でも他の点でも評判の芳しくない場所だったし、自分たちの置かれた状況からもなるべく人目を避けたいと思う反面、容易く襲撃しようという気を起こさせないため、交渉するような場面があればその交渉を有利に進められるように、示威行為としてあえて隊服を着て、HKIー500を抱えていくことにした。
 周囲には、動く存在の姿は見えなかった。しかしイカルは誰かがいる気配を感じていた。何より視線を感じる。後方以外の至る所から自分たちに注がれている気がする。視線の主の姿が見えないこともあり、好意的な視線には到底思えなかった。
「視線の数から言うと比較的、左側の道が手薄なようね」
 唐突にナミの声が聞こえた。イカルは無遠慮な視線を感じてはいたが、その場所や方向によっての多寡は判別出来ていなかったので、ナミの感覚の鋭さに少し驚いた。
「誰かいるのか。誰もいないように見えるけど」
 タカシの普段と変わらない、さほど緊張しているようには感じられない声が聞こえた。
「あなた鈍感なの?こんなにしっかり見張られているのに」
 ナミが冷たい視線と声をタカシに注いだ。
「俺は都会育ちだからね。都会で人目を気にしていたら生きていけないよ」
 フンッ、とナミが鼻で笑った。
 イカルはツグミを見た。きょとんとした顔つきをしているところを見るとツグミも気配の欠片も感じていないようだった。
「では、左の道を行きましょう。選ばれし方様、よろしいですね」
「それでいいよ。あと、ちょっと選ばれし方様って呼び方は仰々しすぎる。タカシって呼んでくれないか。頼むから」
「いえ、そういう訳には・・・」
「いいから、タカシって呼んでくれ」
 今までの人生、様付けで呼ばれることなどほとんどない。たまに飲食店やホテルなんかでお客様、と呼ばれるくらいのものだ。あまり仰々しく呼ばれ続けると、あまりに身の丈に合わない気がして落ち着かない。
「いえ、そういう訳には・・・」
「いいから、そう呼んでくれ」
「そうですか・・・、ならせめてタカシ様とお呼びします」
 タカシは微笑んだ。少しまだ引っ掛かるが多少は進歩した気がした。
「よし、じゃ行こうか」
 一行は左側の道を進みはじめた。
 微かに雑多な音が入り混じって聞こえてくる。しかし人の姿は見えない。
 次第に道が狭くなってきた。やがて二人並んで歩くと肩が当たるようになってきた。彼らはイカルを先頭に一列になって、しばらく進んだ。
「誰だ!」
 突然イカルの声が辺りに響いた。手に抱えているHKIー500の銃口は、左側の建物の屋根に向いている。
 動きはない。
「出て来い!姿を見せろ。出て来なければ発砲する。撃たれたくなければ、今すぐ姿を見せろ」
 イカルが警告して、しばらく待ったが周囲に動きはなかった。しょうがないので警戒したまま一行は再び歩きはじめた。すると前方に、家の壁が一面崩れて、瓦礫が積み上がって山になっている場所があった。
 その場所に一行が差し掛かった時、おもむろにナミがその瓦礫から、ちょうど片手で握れるくらいの、オレンジ大の石状の瓦礫を左手で持ち上げ、周囲を見渡し、突然左腕を後方に大きく振り上げて、下手投げに手にした瓦礫を投げた。
 瓦礫は、左側前方にある家屋の屋根部分までうなりを上げるように一直線に飛び、ちょうど屋根と天井の間に飛び込み、激しい衝突音を上げた。と同時に、キキッ、という生き物の声がその方向から発せられた。続けて、イカルの発砲したエネルギー弾が、瓦礫が飛び込んでいった屋根の少し右側下方に当たって破裂した。
 安普請なその家屋は、大きく屋根を損傷し、その一部が崩れて通路に落ちてきた。その崩落した屋根が地面で砕けて崩れる音に交じって再度、キキッという生き物の声が聞こえた。
 イカルは、HKIー500のエネルギーを充填しながら、崩落してきた屋根だった瓦礫にその銃口を向けた。そこには一匹の小さな黒い生き物がいた。
 それは、母親の周りを駆け回る、やんちゃ盛りの子猫くらいの大きさだった。その姿形は、小さな子猿のようにタカシには見えた。しかしこの地下世界に猿はいない。だからイカルやツグミにはその生き物は、ただの黒い、見たこともない生き物にしか認識出来なかった。
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