深層の中(14)

文字数 5,564文字

 他の兵士たちと合流する頃には、ツグミはかなり高揚していた。何か無性に楽しい気分になっていた。その短い間に、アビに再度、重いですね、と言われたがすでに気にならなくなっていた。
 タカシとナミは、通路横の部屋の中で姿勢低く、床に直に座って、ノスリや各班長たちと打ち合わせ中だった。彼らはみな、床に置いたタブレットに映し出される地図に見入っていた。
「つまりここから外部に出るための通路は一本きりで、その通路は途中で二つに分かれているってことだね」
「ええ、この部分です。片方はそのまま真っ直ぐ伸びて、途中、二回折れ曲がりながらC地区に達します。もう一方はここから左に折れてB地区へと向かっています」
 トビが指で地図の通路に当たる部分を指さしながら説明した。
「君たちの移動手段は通路入り口にある救急車だけなんだね。ケガレたちに壊されてはいないのか?」
 タカシの問い掛けにノスリが答えた。
「私たちはここに来て以来、ずっとこの場所に釘付けにされていましたが、救急車両に看守たちが近寄ることも攻撃することもありませんでした。恐らく損傷していることはないと思います」
「もしかしたら逃亡手段をわざと残しておいて、俺たちがホールに出てくるのを待っているんじゃないかな」
 トビがたんたんとした口調で言った。
「そうかな。あいつらたいして頭良くなさそうだから、ただ単に気づいてないだけなんじゃないか」
 エナガだけはいつも通りに緊張感なく話している。
「あいつらもお前にだけは言われたくないだろうな」
 イスカのその言葉にその場にいた者はみな少し笑った。エナガだけは、どういう意味だよ、と言いつつ少し不満そうな顔つきをしていた。
「あの救急車にはここにいる全員が乗れるのかい?」
 センターホールで見た救急車両はタカシの知る救急車を少し細長くした形で、それほど人数が乗れるようには見えなかった。ここにいる全員を乗せるのは無理がありそうな気がしたので訊いた。兵士たちの間に一瞬沈黙がただよった後、ノスリが口を開いた。
「ここに来た時も定員ギリギリだったのですが、無理に乗り込んで来たんです。でも何とか詰めればここにいる全員も乗れるかと思います。ただこれから上りを行くので、乗れなかったり、動かないようなら・・・一番体重が重い私がここに残ります」
 再び兵士たちの間に沈黙がただよった。誰かを残して行くなんて、そんなことはできない。でも自分だけ残る選択も苦渋でしかない。
「それなら心配ない。俺とナミは二人で行く。君たちはあの救急車に乗って脱出してくれ。重量が問題なら、救急車にはいろいろ機材が乗っているだろうからそれを全部捨てていけばいい」
「そんな・・・」
 兵士たちはみんなタカシの顔を凝視した。
「いいか、作戦はこうだ。先ず俺たち二人がそこのホールに出て、ケガレたちを引き付ける。その間に君たちは救急車に乗り込んで脱出するんだ。相手も人数が多いみたいだからどこまで引き付けることができるか分からない。極力迅速に行動してくれ」
「無茶です」「いけません、そんなこと」「あなたを守ってお方様の所に連れていくために私たちはここに来たんです」「私たちがおとりになります」
 兵士たちは口々に反対意見を口にした。しかしタカシは話を続けた。
「君たちは途中で横道に逸れてB地区に向かってくれ。俺たちはC地区を目指す。それぞれ脱出したら、そこからA地区を目指して移動するんだ」
「それじゃケガレは選ばれし方様を追っていくんじゃないですか」「それは私たちを逃がすためですか」「選ばれし方様はおとりになるおつもりですか」
 更に兵士たちは口々に反対意見を出した。タカシはそんな兵士たちの思いをありがたく感じたが、意識して、厳しい顔つきをして一人ひとりの顔を順に見つめながら言った。
「いいか、よく聞いてくれ。これから俺はリサ、いやお方様のいる白い塔に向かう。たぶんそこはここよりも敵が多いだろう。君たちは俺を守るために戦うんじゃなく、自分の住んでいるこの世界を守るために、お方様を守って救ってほしい。だから今は俺たちを信用して脱出してくれ。大丈夫だって、何たって俺には無茶苦茶強い死神が憑いているんだから」
 なっ、というようにタカシがナミの顔を見た。ナミは、何を勝手なことを言ってんのよ、という顔つきをしていたが、ふんっ、という風に顔を背けた。
「タカシ様がそう言うんなら、それが一番いいんじゃない?」
 その場にいた全員が声のした方向を見た。そこには部屋の入り口に平然と微笑をたたえながら立っているツグミの姿があった。そのかたわらでは姿勢を低くして、ツグミの袖を引っ張っているアビがいた。ツグミはその手を払ってから続けた。
「みんなタカシ様を信用しなさい。この世界をどうやって救うか、もうすでに考えてくれているはずよ。あたしたちはそれに従っていればいいの」
 何を言ってるんだこのコは、とタカシは思った。
 ノスリはツグミが無事に戻って来てくれたことを喜んだが、その体勢がこの場では危険だと思った。
「ツグミ姿勢を低くしろ。狙い撃ちされるぞ」
 ツグミはノスリに視線と笑顔を向けた。
「大丈夫よ。なんたってタカシ様がいるもの」
 ますます、何を言っているんだこのコは、とタカシは思った。
 ツグミは基本的に愛想笑いをしない。イカル以外の人に笑い掛けることがない。だから他の兵士たちは何となく朗らかで、愛想が良く饒舌な目の前のツグミが、本当に本人なのかいまいち確信が持てなかった。
 アビは一人、ツグミの変調が鎮痛剤のせいだと知っていたが、みんなのあっけにとられた表情を見てちょっと面白くなって、後で説明しようと思い、その場では黙っていた。
 更に、ツグミの口からは高揚する気分が言葉となってほとばしり出ていた。
「さぁ、みんなこの世界を救いに行くわよ。ここにいるみんなが伝説になるの、みんなで英雄になるのよ!」

 ノスリは窓の下に座り、壁を背にして近くにいる数人の兵士の顔を見渡した。みなノスリを見つめてうなずいた。ノスリはすでに枠だけになっている窓からHKIー500を構えてなるべく看守たちが密集していそうな所を目掛けてエネルギー弾を発射した。それを合図に他の兵士たちも次々に撃ちはじめた。撃ち終わると全員充填してくり返し射撃した。相手側からも呼応するようにエネルギー弾が飛来してきた。
 ナミがどこからかサングラスを取り出して装着した。細身のスタイリッシュに見えるサングラスだった。
「目を守るためかい?」
 タカシの問い掛けにナミは事もなげに答えた。
「いいえ、ただのおしゃれよ」
 彼は笑いつつ言った。
「さあ、行こうか」
 そして通路から一人走り出た。
 兵士たちの中には負傷して戦闘のできない者も数名いた。そんな兵士の持っていたHKIー500を借りて、付帯している紐を肩に掛けて両手で銃身を抱えながら走った。かなり軽量化されて作られているらしかったが、それでもズッシリと肩に、両手に重みを感じた。ノスリから持っていくように勧められた時、動きづらくなるから、と断ろうかとも思ったが、この物を破壊する能力も必要になるかもしれないと思い、一丁借りることにした。
 彼はそのままホールを一直線に突っ切ろうと全速力で走った。ナミがそのすぐかたわらを飛んだ状態でついていった。飛びながら彼に向かって放たれたエネルギー弾がないか凝視しつづけた。
 ケガレたちの視線が一気に彼に向かった。自分たちの目標がすぐそこに自ら現れてきたのだ。銃口がタカシを追った。
「よし、行くぞ!」
 ノスリの合図に全員が立ち上がり通路を出て、一気に救急車両に向かって走った。途中から、アビが先頭を走り、救急車両に到着すると素早く乗り込みエンジンを始動した。つづいてイカル班の班員が乗り込んで機材等、中の荷物を乗り込んできたのとは逆の扉から外に捨てた。ツグミはエナガとトビにつづいて救急車両に向かった。痛みがなくなったせいか身体が軽く感じられた。だから救急車両の近くにまで達するとタカシたちへの援護射撃をはじめたエナガとトビに交じって、銃口を看守たちの方へ向けて発砲した。充填しては発砲を繰り返す。今の身体の状態ならまだどれだけでも戦えそうだった。
 ケガレたち側の銃口は、ツグミたちにはいっさい向かわず、タカシに向けていくつもの弾が発射された。
 ナミはその中でタカシの身体に的中しそうないくつかに向けて手をかざし、一瞬収縮させてから腕の動きだけで、来た方向をそのまま引き返すように投げつけた。破裂音が辺りに鳴り響いた。
 タカシはホールを挟んで出てきた通路とは反対側の通路に到達した。ナミもほぼ同時に通路内に侵入した。通路入り口で何発かの弾が破裂した。その頃になってようやくタカシの耳にも救急車両のエンジン音が聞こえてきた。
 ツグミたちは、タカシがホールを横切った様子を見届けると救急車両に乗り込んだ。ノスリとイスカは最後尾で銃口をケガレたちに向けたまま警戒していたが、ツグミたちが乗り込む姿を確認すると急いで自分たちも救急車両に乗り込んだ。
「アビ、出発しろ」
 ノスリの声に、アビは出力を上げるべくレバーを倒した。エンジン音が大きくなった。しかし救急車両は動き出さない。アビは更にレバーを倒した。ブーン、ブーン、ブーン、ブーンというエンジン音が大きくなるばかりだった。
“動かないのか?”みんながそう思った矢先、アビが一気にレバーを倒した。ガクンと車体が動いた。そしてキュイーンと鼓膜を突き刺すような音を発しながら通路に沿って上りはじめた。
 いったん動きはじめたら後はスムーズだった。
 アビはほっとした。ノスリもほっとした。みんながほっとした。ほっとしつつタカシとナミの身を案じた。どうかご無事で、とつぶやいた。
 どうやら救急車両が動き出したようなので、タカシもほっとした。これでこの陰気な底冷えする場所から脱出することができる。そう思った矢先、通路の奥から凄まじい速さで接近してくる気配に気づいた。黒犬が一匹一直線に彼に向かって走ってきた。
 ナミが黒犬に手のひらを向けて構えた。
「任せろ」
 身体の前で両の拳を握り、前傾姿勢に構えながら彼は言った。ナミにばかり負担を掛けるのも悪い、たまには働かないと。彼は走って来る黒犬の速度に合わせて右ストレートを繰り出した。
 黒犬は彼の拳に触れる寸前に、はかなくも霧状になって消える、はずだった。今までの経緯からするとそうなるはずだった。しかし彼の拳に激痛が走った。実体化していた黒犬は霧散せず、彼の右ストレートは黒犬の鼻っ面にまともにヒットした。
 黒犬は実体化したまま仰向けに床に打ち付けられた。が、すぐさま立ち上がり再びタカシを襲うべく身構えた。タカシはあまりの痛みに右こぶしを握りしめたまま耐えていた。ナミがとっさに目の前の黒犬に手をかざして、球体にした。
「どういうこと?あなたの力は?あなた何かしたの?」
 ナミが詰問するような口調で訊いた。しかし彼にも予想外のことだったので答えようがなかった。
「あなたの力が弱まっているということは、あなたに力を与えている山崎リサに何かあったんじゃないの?心当たりは?」
 通路の奥から再び気配がした。いくつもの赤い目が動いていた。更にホールの方からも何かが動いているような音や気配。二人の包囲網は着実に狭まっているようだった。
「そういえば、今、リサのいる白い塔は黒い霧、ケガレに取り囲まれているってツグミが言っていた。白い塔が真っ黒になるくらいに包まれているって。だからリサは力が発揮できないんじゃないだろうか?」
 黒犬たちが少しずつ近寄ってきていた。様子をうかがいつつ襲うタイミングを計っているようだった。
「考えられることね。いや、それしか原因は考えられないわね。まったくこんな時に。あなたの唯一の取柄だったのに。これからは本当に、あなた命懸けになるわよ」
 唯一の取柄、という箇所は気になったが、現状では返す言葉もなかった。とりあえずこの場を乗り切らなければならない。しかしナミ一人の力でそれが可能なのか、心もとない気がした。ナミは気を取り直すように一息吐いた。
「とにかくここから脱出しましょう。私はホール側の脱出経路を確保するわ。あなたは黒犬をお願い」
 分かった、と言いつつ彼は手に抱えたHKIー500を構えた。そしてノスリに聞いた操作方法を思い出しながら操作していく。先ず安全装置を解除して、エネルギーを充填して、構える。弾を放った時に反動があるので銃床を肩に当て、腰を落として、狙って撃つ。
 彼の射撃準備が済むか済まないかのうちに黒犬たちが動きはじめた。動きはじめると早かった。瞬く間に彼の目の前に複数の獰猛な黒い口が、牙を黒光りさせながら迫ってきた。
 ナミはホールのあちこちから黒霧が吹き出している状況を確認して、まずいわね、と独り言ちた。タカシ目当てにケガレが集まり出している。これは一刻の猶予もないわ、すぐに脱出を・・・、そう思った瞬間、後方で破裂音がした。
 タカシが放ったエネルギー弾が先頭を走っていた黒犬に当たり、霧散させた。しかしその後ろから次々と黒犬が襲い掛かってきた。
 充填を、そう思う間もなく目の前に黒犬の姿があった。身構える間はなかった。しかし彼は逃げようとしなかった。腰を引かせることもなかった。ただ迎え撃つ姿勢を堅持しているように見えた。そしてそのまま左腕と右足の脛に牙を立てられた。
「凪瀬タカシ!」
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