超克の中(5)

文字数 5,245文字

 悲しさはなかった。別に哀れには思わなかった。ただ足元に横たわる、かつてのいじめっこが、何のためにこの世に生を受けたのか、考えさせられた。
 気分がふさぎ込んでいく。
 こんな所で、こんな惨めな死に方をして、あなたの人生に何の意味があったの?こんな死に方をするために、あなたは生きてきたの?あたしには分からない。たぶん、あなたにも分からない。
 あなたは幸せだったの?きっと、あたしは自分が死ぬ時、散々な人生だった、何の意味もない人生だった、って思うわ。おおいに、あなたのお蔭でね。
 背後から叫び声が聞こえた。視線を移すと最初に発砲した委員が、タミンたちに取り囲まれて、狼狽した表情を見せていた。
 ツグミはHKIー500を構えて、銃口をその委員に向けたままで近づいた。そしてその目の前に立ち、委員を見下ろした。上体を起こした姿勢の委員は銃口を向けられて更に狼狽した。相手は反逆者である。命の危険を感じた。
「あなたはなぜ、そんなに軽々しく引き金を引くことができたの?」
 その委員は、恐れから答えることができなかった。下手なことを口走って相手を刺激することは避けたかった。
「あなたは、目の前にいるあたしに向かって引き金を引いた。あたしが死ぬって考えなかったの?あたしなら死んでもいいって思ったの?」
 委員は恐れた。その自分を詰問する冷たい声を、その情けの欠片も見せない怒りを宿した目を、自分に向けられた銃口を。だからただ小刻みに首を横に振った。
「あなたはあたしの仲間を殺した。だからあたしが仇を討っても文句はないわよね」
 今にも引き金を引かれそうだった。委員は更なる命の危険を感じた。もう泣き出しそうだった。しかし状況から何か言わないと、弁明しないとそのまま自分が破裂させられるかもしれない。委員の頭の中は今までにないほど回転していた。
「仲間って、ケガレだろ。そうさ俺はケガレを撃っただけだ。君を殺そうとしたわけじゃない。突然、君たちの姿が現れて、驚いて、ケガレが見えたからとっさに撃っただけなんだ。ケガレを消そうとしただけなんだ。信じてくれ」
 ツグミの目は冷たい光を放ったままだった。委員は祈るような気持ちだった。お願いだからもう少し釈明する機会を与えてください。そんな委員の頭上から冷たい声が降ってきた。
「分かったわ。あなたを信じることにする。その代わり、このA地区の状況を教えて。特に塔の周辺や内部に関することを教えて」
 委員は、へっ?と思いつつツグミを見上げた。自分に向けられている視線はいまだ憐憫の欠片も見受けられない、冷え冷えとしたもののままだったが、委員はそこに光明を見出した気がした。だから自分が知っている限りのことを話した。武装した委員の大半は、他の地区からの進入路と白い塔に配置されていたこと、南側で戦闘が起こったために、他の進入路と白い塔を防衛していた委員の多くがそちらに救援に向かったこと、現在、白い塔はケガレの攻撃を受けていること、その内部には数名の賢人と三十名ほどの近衛委員がいること、塔周辺のケガレには委員と一部の兵士が配置され戦闘が行われていること等々を包み隠さず口に出した。
「ありがとう」
 委員が言い終わるとツグミはニコリともせずに言った。
「約束通りあなたを見逃してあげるわ。あたしは、あなたを、殺しはしない。でも銃口を人に向けたら、引き金を引いてしまったら、どうなるか。あなたに教えてあげるわ。報いなの、我慢してね」
 ツグミは言い終わると、タミンに、殺さない程度にね、と念じた。タミンとその分身が一斉に委員に襲い掛かった。委員の苦痛と恐怖から生じる叫び声が辺りにこだました。
 ツグミはケガレの消えた宙を見渡した。そして仲間に撃たれた委員を見た。やはり動かない・・・。自分が動いたから犠牲者が出てしまった・・・。
 辺りに、何度も委員の叫び声が更新されながら響いていた。もういいわ、行くわよ、ツグミはそう念じながら歩きはじめた。タミンたちは委員から身体を離してツグミを追っていった。委員は全身傷だらけではあったが意識ははっきりしているようだった。その証に身体を縮こませて、間断なくうめき声を上げていた。
 ツグミは歯を食いしばりながら足早に歩きつづけた。自分の行動が正しいかどうかなんて分からない。でもイカルを助けるためなの、犠牲が出ようがどうしようが、あたしは行くしかないの。
 目を見開いた。瞳に意志の力を充填する。視線の先に塔がそびえている。しかしその塔は白く輝いてはいなかった。
 中ほどから上部分がケガレに取り囲まれていた。ケガレは、とぐろを巻いているかのように、ゆっくり反時計回りに渦巻いていた。だんだんゆっくりと層を重ね厚みを増しながら、下方向へ侵食を及ぼしながら。
 塔の姿が見えなくなればなるほど辺りは暗い闇に近づいていった。塔以外にも発光石は建築や灯り等、この地下空間の随所に使用されていたが、塔が隠れていくにつれて、それらすべての光も弱くなっているようだった。
 石畳の上を走る自分の足を見る。まだ足元は判別できる程度の明るさはあった。これからなるべく人に気づかれないように、塔内部に侵入しなければならないツグミにとってみれば、辺りが闇に近づいていくのは助かることこの上ないことではあった。しかし、そうはいっても次第々々に周囲が不自然に暗くなっていく状況に不穏な空気を感じてしょうがなかった。この都市全体が闇に閉ざされてしまう予感を抱いてしまう。元の地下の闇、そこに人の存在は不要でしかない。
 彼女はただイカルを助けたいだけだった。あくまで個人的な衝動でしかなかった。しかしその衝動によって、この世界全体の一大事が発生している中心地に向かおうとしている。否応なくこの世界全体の問題の渦中に足を踏み込んでいっている気がする。なぜ委員の人たちと敵対しているの?こんな状況なのに、なぜ協力することができないの?なぜケガレが塔を包んでしまっているの?塔をどうしようとしているの?この世界はどうなるの?誰かがどうにかしてくれるの?塔に近づけば近づくほど人が増えて、様相が複雑になって、訳が分からなくなってくる。状況を落ち着いて認識できなくなっている。
 この状況で、本当にお方様を塔の外に連れ出すことなんてできるの?そんなことをしたら今、この状況を立て直そうと、この世界を救おうとしている人たちの邪魔になるだけなんじゃないの?あたしが動けば誰かが犠牲になる、あたしは何もせずに、何も考えずに、じっとしていた方がいいんじゃないの?
 大きなホクロが脳裏に浮かんだ。次第に身体中の筋肉から力が抜けていく。さっきまでの自分が信じられなくなってきた。あたしのしていることは、間違っているの?
 ふと気づくと、またタミンが肩に乗っていた。その片手でツグミの後ろ髪を優しく撫でていた。視線を向けた。心なしか元気がないように見えた。そういえばさっきからタミンはずっと黙ったままだった。
「タミン、大丈夫?元気がないようだけど、疲れているの?」
 その言葉にタミンは微笑んでいた。
「大丈夫なの。疲れていないの。ただ・・・」
「ただ?」
「・・・あたしたちは発光石が苦手なの。その光が怖いの」
 タミンは申し訳なさそうな表情をしているように見えた。ああ、そうなんだ。あたしタミンに無理させているのね、と思いつつツグミも同じような表情をした。
「そんな顔しないでほしいの。きっと大丈夫なの。これもいい機会なの。苦手意識を克服するの」
 タミンは矢継ぎ早に思念を送ってきた。ツグミには、自分の気持ちをおもんばかってくれていることがひしひしと伝わって、ただ有難く思う気持ちに包まれていた。
 タミンのこの思いに報いるためにも、ちゃんと正しい行動をしないといけないんじゃないのかしら。あたしは本当に今、正しい行動をしているの?感情の命ずるままに軽々しく動いていない?立ち止まってよく考えた方が良くない?
 ツグミの胸内に不安が生まれて、彼女を呼んでいる気がした。彼女は下を向いた。足が止まり掛けた。
“ダメッ!”ツグミは弱気になる自分に、これからの行動に逡巡しようとする自分自身に対して胸の中で激しく叱責した。
 イカルの横たわった姿を思い起こした。彼を助けられるのはあたしだけなの。彼のためなら、他の何を引き換えにしてもいい。彼のためなら他の誰に批難されても構わない。反逆者としてつるし上げられたとしてもかまわない。あたしは彼のためにお方様を塔から連れ出す、それだけ。
 身体中に、力を無理矢理に込めた。進む速度を上げた。視線を上げた。今、思考は必要ない。ただするべきことをする、それだけ。
 この先も敵対する人たちばかりかもしれない。誰もあたしの味方をしてくれないかもしれない。でもそんなことは関係ない。あたしがするの、するのはあたし、他の誰でもない。他の人のことなんて考えない、ただ自分のすることだけを目指して進む、それだけ。
 別動隊のコガレたちは予想以上によく警備の委員たちを引き付けてくれているみたいだった。周囲に委員たちの姿は見えない。
 石畳の道の両側には等間隔に中高木が植えられていた。しかしそれももう途絶える。警備の関係上、塔の周辺は一定の距離から内側には何もなかった。誰かが近づいても塔側から一目瞭然だった。しかも塔の周囲は、彼女を二人縦に並べるより高い塀で囲まれている。唯一、正面の門から中に入ることができる。彼女も仕方なく、その門を目指した。
 遠目からも、白い塔の周囲には無数の円盤が飛んでいることが見て取れた。そして上部から中ほどまで、渦巻きながら取りついている濃く巨大なケガレの層。円盤の群れはその周囲に蚊柱のように飛び回っている。ケガレの進行は思っていたよりも激しく、速やかなようだった。
 塔の下辺りから破裂音が何度も後から後から聞こえてくる。どうやらケガレの進行に対して抵抗を試みている一団がいるようだった。
 ツグミは途中から門に続く道を外れて、その脇を進んだ。門の横にある壁にたどり着くと中の様子をうかがった。
 門に扉はなく、中の様子はすぐに見渡せた。門から塔の入り口まではけっこうな距離がある。全速力で駆け抜けるにはちょっと長すぎる程度の距離だ。その入り口に固まって円盤に向かって発砲している兵士たちの姿が見えた。中心にいて他の兵士たちに指示を出しているトビの姿も見える。どうやら彼の班の一団のようだ。
 ツグミは迷うより先に彼らの前に姿を現した。知り合いと戦闘する意思はない。ただ説得するしかない。そのためにはまず自分の姿を、存在を認めてもらわないといけない。
 どの兵士たちの顔にも悲壮感がただよっていた。死の予感を痛いほど肌に感じていた。つい先ほどまで大量の委員たちがいたはずだった。しかし気づくと自分たちだけになっていた。置いてけぼりを喰らった。取り残された。兵士たちは時とともに戦闘意欲を失っていく。どうやって自分の命を守るか、そればかりを考えていた。
「班長、ぐずぐずしてたら全員死ぬぞ。さっさと退却しよう」
 レンカクの声が破裂音に混ざって響いた。声を掛けられたトビは黙って射撃を続けている。
「おい、聞いているのか?判断が遅すぎる。すぐに退却するぞ、他の班と合流するんだ。こんな所にいたら全員無駄死にするだけだ」
 そこまで言われてトビは射撃を中断して、人のよさそうな顔をレンカクに向けた。
「俺たちの任務はここを死守することだ」
 こいつは過ぎるほどに生真面目だと思っていたが、ただのバカだったか。レンカクは内心無性にイラついて、顔にも遠慮なく表しながら舌打ちをした。
 そんな時に、兵士たちの目前にツグミは姿を現した。
 こんな状況の中、右手にHKIー500をぶら下げて、視線を自分たちに向けたまま、真っ直ぐにためらいの欠片もなく歩いてくる。その周りに三十匹ほどの黒く小さな生き物を引き連れて歩いてくる。
「ツグミか?」トビがつぶやくように言った。
「トビ、元気そうね」彼らの目前で立ち止まり、微笑みながらツグミが言った。
「ツグミ、どうしたんだ?それにその黒い生き物は何なんだ?」
 いつもと雰囲気が違うツグミとその周りのコガレたちに、トビは不信感を抱いた。ただよく知っている仲だった。話したことはほとんどないが、イカルと仲が良かったトビは、ツグミと毎日のように会っていた。普段と様子が違うなら不審にも思うが、心配にも思う。
「おいっ、それ以上、近づくな。お前は反逆者だ。抵抗するならここで撃ち殺す」
 レンカクの声がツグミに向かって鋭く投げつけられた。ツグミは少しの間、首をかしげて思い出そうとしている素振りを見せた、が、すぐにあきらめた。
「あなた、誰だっけ?」
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