混迷の中(4)

文字数 5,276文字

 それぞれ思い思いの方向、天井を、床を、壁を凝視した。そのすべての視線の先が振動しはじめた。そして、すぐさま立っているのも不可能なほどの、大きな揺れに襲われた。
 生まれて初めて体験する大きな地震にあらがう術もなく、ノスリはただ床にヒザを着いて揺れに身を任せていた。大きく、小さく、時に非常に大きく、揺れはやむ気配をみせない。どうしようもなく不安だった。このまま天井が崩落してこの地下空間が一瞬にして消滅してしまうのではないか、言い知れぬ恐れが体内にどんどん溜まって気分が悪くなりそうだった。
 もちろん、この地下世界は耐震には充分配慮されていた。またこの世界には、どれだけ時間を遡っても特筆すべき大地震など起きたことがない。しかしそんな配慮も過去もことごとく吹き飛んでしまいそうなほどの大きな揺れだ。不安しか感じさせない震動の連続。
 地面が軋み、擦れ、ぶつかり合う音が周囲を圧する。何かが倒れる音、兵士の叫び声、怒鳴る声、その他もろもろの音が混然一体となって周囲を飛び回り、全身に降り掛かってくる。
 頭上から埃や砂や小石が、ホール中に撒かれているように降ってくる。しばらくすると拳ほどの大きさの物体が落下してきた。天井が壊れかけてる、ノスリはそう思いながら天井を見上げた。砂埃が舞って視界が悪い。明かりも点滅をくり返し、やがて消えた。
「ノスリ!」かたわらからウトウの声が聞こえた。
「撤収するぞ。お前は確保した男を連れて外に出ろ」
 ウトウはかなり声を張っていた。すぐかたわらでも普通の会話は困難な状況だった。
「了解」
 ノスリは手探りで数歩先にいるはずのタカシを捜した。捜しながら自分が統率する班員の名前を一人ずつ呼んだ。指先に固い物質が当たった。指で探るとその物質は曲線を描いていた。手触りといい、形といい拘束帯で間違いないようだった。更に手探りでタカシの上着のえり首だろう部分を探り当てた。拘束帯は力を加えると逆に締まっていくように作られている。だから拘束帯を引くのは止めて、引っ張りやすい襟首をノスリはつかんだ。
「ミサゴ」ノスリが可能な限りの声を張り上げた。すぐ後方から力強い女性の声が返答した。
「ここだ」
「今すぐ撤退するぞ。他の班員は?」
「分からない」
「俺はこいつを連れて外に出る。お前も一緒に行くぞ」
「了解」
 この暗中で、揺れに見舞われながらの会話だったので、どこまで通じたか不安だったが、ノスリは意を決した。
「おいっ、脱出するぞ!立て!」
 ノスリはすぐ横で身体を縮めているタカシに、有無を言わせぬ語気で言った。
“こんな揺れの中で立てるかよ”と思いつつも、タカシもこのままこの場所にいない方が良い気がして、何とか立って歩き出そうとした。しかし襲い掛かる揺れにすぐに横倒しに倒された。
「早く来い!」そう言いながらノスリはタカシのえり首をつかみ直して、そのまま引きずりはじめた。揺れにあわせて右に左に蛇行しながらノスリは通路に向かって歩きつづける。タカシも何とかそれについて行こうと足を運んだ。
 ノスリは自分の膂力に絶対の自信があった。こんな状況下でも、男を一人引きずってでも、周囲の兵士に負けない速度で移動する自信があった。
 間もなく通路に達する地点まで到達した頃、背後から地震とは別の、衝撃をともなって周囲を圧する大きな音が聞こえた。振り返っても暗すぎて何の音かはっきりとは分からなかったが、おそらく天井に亀裂が走り、その一部が崩落してきたのだと推察された。益々この地下世界が崩壊していく気がして、ノスリの胸中にあふれ出さんばかりの不安が溜まっていく。それがタカシを引く手により一層力を込めさせた。その力のお蔭で、タカシは時々揺れに足を取られながらも、なんとか歩を進めることができた。
 やがて彼らは通路に達した。周囲にはいち早く逃げ出していた兵士たちの姿があった。まだ小刻みに揺れている状況に一様に不安気な顔つきをしていた。
 ノスリはホールを見渡した。暗い上に砂ぼこりが舞っており、視界はまったくないに等しい。天井の崩落によって多少の兵士が死傷したことが予想できた。しかしまだ多数の人々の蠢く気配が感じられた。やがて、ちょっと暴れて気が済んだと言わんばかりに、揺れが終息に向かっていった。
 この段になってもノスリは自分が統率する班の班員が、まだホールから出てこないことに不安を抱いた。みんな大丈夫だろうか?そう思いつつもかたわらに倒れている男を放っておくわけにもいかず、ただ班員たちが自力で脱出してくれることを願うばかりだった。
 揺れがほぼ収まった頃、電源が非常用に切り替わり、屋内の灯りが復旧した。中にいた兵士たちは、大きな揺れや落下物を何とかしのいでそこら中に存在していた。数名、足や肩を押さえながらうめき声を上げている。しかし命に関わるほどではないようだ。
 揺れが終息して、そこにいる者、全員が安堵の吐息を漏らした。これで外に出られる。何人かは被害状況を調査するために残されるかもしれないが、それでもそんなに時間は掛からないだろう。黙視できる範囲で報告して、後は工作部隊に引き継げばいいだけだ。
 負傷者をのぞき、みな立ち上がり班単位で集まって、まだ指令は出ていないものの退却の準備を何気なくはじめていた。そんな時だった。屋外から凄まじい衝撃音が聞こえたのは。彼らは何が起きたのかまったく分からなかった。分からないままに動揺した。そして強烈な衝撃波に見舞われた。

 治安本部の建物自体は、外見とは違って、最先端の建築技術を駆使して建てられており、どんな状況でも崩壊を免れる作りになっていた。だからその点では心配はなかったが、屋内に設置してある機器がいたる所からいたる所へ飛び回り、屋内にいる者たちは皆、それから身を守ることで精一杯だった。ただこれだけの揺れだったのにも関わらず、モニターや集積回路などの固定された機器は無傷で、そのまま稼働を続けていた。
 何度か照明が切れたが、その都度すぐに予備電源に切り替わって復旧した。果てしなく続く強い揺れの中で、誰しもが、いつまでつづくのか、と不安を抱えながら、その末尾を待っていた。やがて人々の願いが極まった頃、揺れがやんだ。
 この治安本部は、普段は警備の中枢施設として存在し、何らかの変事があった場合にはその対策のための活動拠点になる位置づけの建物だった。この地下都市では何を差し置いても塔内部を守ることが第一に優先されたので、自然と塔に一番近いこの場所に建設されていた。
 イカルは揺れの終息とともに、すぐ横にいるツグミを見た。放心状態といった様子で座り込み、ただ呆然とした視線を前に向けていた。どうやらケガもなく大丈夫なようだ。つづけてモニターを見上げた。周囲にいる者たちも、外の状況を確認するために、双眸をモニターに向けた。主要地点の状況を映している三十ばかりのモニターはすべて稼働していた。二、三のモニターはカメラ自体が壊れているのか何も映っていなかったが、その他はカメラも無事なようだった。ただ、その半数以上が、砂煙が舞っているのか至極視界が不明瞭だった。それはノスリたちのいるB3区画地上連絡通路入り口ホールの画像も同じだった。照明が消えている上に、砂煙がただよっていて人の存在の有無さえ分からなかった。
「速やかに被害状況を報告せよ」
 モズが部屋の奥に向かって声を上げた。その声をきっかけに次々に被害状況が報告された。
「C3区画で天井が崩落。死傷者不明」
「D1区画でエレベーター停止。二名内部に取り残されています」
「B5地区でビル倒壊。死傷者不明」
 後から後から被害状況がもたらされた。それは時間が経てば経つほど数を増し、もはや誰もがそのすべてを把握できなくなっていた。
「各地区の警備班を至急現場に向かわせろ。各地区詰め所に地区毎の被害状況を知らせておけ。被害の大きな現場から急行することはもちろんだが、どこから手をつけるかは現場指揮官に一任する」
 モズが指示を出している間にも報告は続いていた。確認しなくてもこの都市はじまって以来の大惨事だろうことは誰にでも分かった。イカルは塔を映し出しているモニターを確認した。最上部中央のモニターだった。そこには普段と変わらぬ白い塔の姿があった。それは少しも揺るぎなく見えた。イカルはホッと安堵した。
「オイッ!B2区画の様子が変だぞ」
 誰かが叫んだ。みんなそのモニターに視線を向けた。
 B2区画は、シティと呼ばれる、この地下都市で一番建物が密集している街でほぼその全域を構成していた。シティには、商業施設や裕福な者たちの家屋、各種の集会施設、オフィス街などがひしめき合い、その中心部分には天井に届きそうなほど背を伸ばしたビル群がそびえ立っていた。
 そんな街に天井から小さな固まりがパラパラと落ちているのが見えた。もちろん画面上は小さくてもモニター上で見えているということは実際はかなりの大きさだろうことは誰にでも分かった。そしてかすかではあったが、小刻みに画面が揺れていた。
 誰もが次第に成長していく悪い予感を抱えながらその画像を眺めている間に、彼らの足元にも振動が伝わってきた。それは次第に強まっていく。
「オイッ、オイッ!やばい、やばいぞ」誰かがまた叫んだ。
 B2区画を映した画像の上部分、天井部分に動きがあった。大きなひび割れが走り、徐々にその一部の岩石が重力にあらがうことをあきらめたように他から分離して下がってきていた。そしてある瞬間、糸が切れたかのように、その巨大な岩は重力に身を任せて、街の上に落下した。
 ビル群があまりにももろく崩れ、粉砕された。地上にあった生命や生活や仕事やそんな種々雑多な物事すべてが一瞬にして破砕された。凄まじい衝撃音、それに続いて直接、岩石に当たらず無傷だった建造物をも巻き込みながら、衝撃波が瞬間的に、地面を広がっていった。
 警護本部にもその衝撃波はすぐに到達した。
 先ほどの地震よりも強い縦揺れに、屋内にいたすべての者が床に倒れた。固定されていないあらゆる機器が、重量関係なく再度空中に飛んだ。
 また一瞬、照明が消えてすぐに復旧した。イカルはすぐに塔の様子をモニターで確認した。何の変りもない。しかし、その下にあるB2区画の画像は先ほどとは同じ街を映しているようには、とうてい思えない有様だった。
 巨大な砂煙の固まりが街の下半分を覆っていた。それでも建物がすっかりなくなっていることは想像できた。遠目にも廃墟と化した、瓦礫の集積地としか見えない街のなれの果てが、恐らく、そこには存在している。更に今しがたの崩落を引き金にして大小様々な形の岩が頭上から街に向かって落下していた。
 その様子を見ている者たちは皆、この世の終わりを見せつけられている気分になっているか、あまりに現実離れした事象に実感を得られないでいるかのどちらかだった。
 その部屋にいた誰もが我を忘れてモニターに見入っていた。モズはすぐさま立ち上がり各人の勤めを、今、何をすべきかを思い出させるために次々に指令を出した。
「工作輸送分隊長に連絡して、残っている隊員の全てをB2区画に至急向かわせるよう指令を出せ」
「各救急病院に連絡。負傷者の受け入れ態勢を整えるように要請しろ」
「セントラルホールの被害状況を報告せよ。被災していない箇所を住民の避難場所とする。毛布、飲食物他、ホールセンターに連絡して準備をさせろ。センターには緊急時のために備蓄品があるはずだ。そのすべてを吐き出させろ」
「近衛委員に連絡して塔内部の被災状況を確認。必要ならば隊員を派遣する。要請を待つ、と伝えろ」
「トビ班、シメ班タゲリ班とともにB2区画に向かい、住民の避難誘導任務につけ。たった今からB2区画を第一種立ち入り禁止地域に指定する。区画に通ずる通路を全て封鎖しろ」
 了解、敬礼をしつつトビはすぐさま班員のもとに駆けていった。
「隊長、我々もB2区画に行かせてください」
 横からイカルが言った。モズは一瞥を投げ掛けるとすぐさま言った。
「ダメだ。お前たちはここで待機だ」
「しかし・・・」
「塔内部から隊員派遣の要請があるかもしれん。そのために待機しておけ」
 有無を言わせぬ口調だった。イカルはぐっと言葉を呑み込んだが、こんな状況で何もすることがないのは耐え切れない思いだった。
 隊服の背中側のすそをつかまれている感覚がした。振り返らなくてもツグミがつかんでいるのが分かる。不安を感じるといつも彼女が取る行動だった。そして彼が危険と思われる場所に行こうと指向した時にも取る行動だった。
 塔内部からの要請はいつまで経ってもこなかった。塔が堅固に作られていることは誰でも知っていた。この治安本部にも増して堅固に。要請なんかくるはずない、イカルは思った。
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