深層の中(4)

文字数 5,112文字

 ツグミは、HKIー500の照準器越しに賢人の姿を見ていた。大部分がモズの身体の陰に隠れていたが、頭だけが一部その肩口からのぞいていた。
 この距離で引き金を引いたら確実に、目の前の小男は死んでしまう。そしてモズ隊長もただでは済まない。“でも、やらなくてはならない”“ダメ、そんなことをしてはいけない”彼女の中では相剋する二つの思いがせめぎ合っていた。
「バン博士、抵抗はおやめください」
 ツグミの脇を通りすぎ、二人の間に割って入るようにエナガが前に進み出た。銃を両手に持っていたが、その銃口を目の前の相手には向けていなかった。
「来るな、近づいたらこの男を殺すぞ」
 八の賢人はすっかりおびえた様子で、震える声を発していた。
「落ち着いてください、博士。銃を下ろしてください。我々はあなたを傷つけるようなことはしません。安心して銃を下ろしてください」
 エナガの声は珍しく真面目な響きを放っていた。
「そんなの信じられるか。銃を下ろすのはお前たちの方だ。隊長を見殺しにしてもいいのか」
 必死な形相の賢人の口から発せられる、叫びともとれる声にエナガは従った。両手に持っていた銃を静かに足元に置いて、そのまま両手を顔の横に上げた。
「エナガ」
 ツグミはとっさに銃を構えたまま、エナガの前に出るために足を進めようとした。その瞬間、エナガは小さく振り返り、上げた手を少し横に出してツグミの進行を制した。
「バン博士、俺は賢人の皆さんを尊敬してます。俺、この街が好きなんです。俺、頭は悪いし、いいかげんだけど、そんな俺でも不自由なく楽しく暮らせるこの街が好きなんです。だから、そんな街を作った賢人の皆さんを尊敬してるんです」
 エナガは視線が眼前の、賢人の緊迫感ただよう視線と重なった。
「なら、俺を逃がしてくれ。こんな所で捕まって、反逆者にされたくない。そもそも俺は君たちの邪魔をしようなんてこれっぽっちも思ってなかったんだ。でも四の賢人の命令だったんだ。俺には何の力もない。命令に背くことなんてできなかったんだ。分かってくれ。俺が悪いわけじゃない。俺には何の力もなければ、何の功績もない。他の賢人たちと比べて劣っていることは、君たちもよく分かっているだろう。俺が賢人になれたのは、能力があったからじゃない。ただ他の賢人たちにとって単に便利だった、いれば都合が良かった、それだけなんだ。だから俺なんていてもいなくても影響はないだろ。見逃してくれ。頼むよ」
 ツグミもトビもこの状況をどう打開するか考えを巡らせた。もう、抵抗を試みようとする委員はいない。残すはこの賢人のみ。このまま逃がすわけにもいかない。何かのタイミングでまた歯向かってくる可能性がないとは言えない。用心に越したことはない、そう考えているとエナガが言葉を継ぎ足した。
「何言ってんすか。バン博士の功績ならいっぱいあるじゃないですか。確かに、お方様の良き理解者として、この都市を設計し、法を定めた一の賢人と二の賢人や、代替食料を開発して食料問題を解決した三の賢人、ブレーンコンピューター開発の先頭に立った四の賢人、発光石からエネルギーを抽出する方法を開発した五の賢人のような派手な功績ではないかもしれませんが、バン博士が手掛けた送電や水道開発事業によって、俺たちは不自由なく暮らすことができるんです。それに食料や物資の物流システムも博士が開発されたことだと聞いています。これってすごいことじゃないですか。バン博士がいなかったらみんな、この都市で満足に暮らすことなんてできなかった。他の賢人の皆さんが開発したことも、けっきょく役に立たないってことでしょう?」
 ツグミやトビは唖然とした。エナガの賢人好きはよく知っていたが、ここまで詳しいとは思わなかった。視線の先の賢人も驚いたような表情をしていた。
「これからこの都市がどうなるか分かんないですけど、きっとすべてが済んだら博士の力が必要になります。この都市の復興に博士は必要なんです。だからここは銃を下ろしてください。お願いします」
 そう言うエナガの真剣な表情を、今まで見たこともない表情だ、とトビは思った。賢人は一息長く吐いてから、モズの身体を縛っていた拘束帯を解除し、足元に銃を置いて両手を上げた。トビ班の班員が、すかさず賢人の周囲に走り寄った。
「乱暴な真似はするな。丁重にお連れしろ」
 エナガは強い口調で言った。トビは、班員に二階の留置室に賢人と委員たちを連れていくように指令した後、エナガの横までいって並び立った。
「お前って、授業あんまり聴いてないかと思ってたけど、案外勉強してたんだな」
 エナガはいつものようにニヤリと笑った。
「俺、いつか首脳部に入るのが夢なんだ。あの白衣着ていると頭良さそうに見えるだろ。だからどうやったら首脳部に入れるのか、賢人たちのことかなり調べたからな。首脳部のことに関してはアトリにも負けない自信があるぜ」
 トビは破顔した。自然に笑いが込み上げてきた。やっぱりエナガはエナガなんだな、と心から思った。
 ツグミは、その頃には解放された本部職員の中から、通信の担当者を見つけ出し、機器の前に座らせて指示を出していた。先ずは中央病院の解放からだった。
 その男性職員の操作により、中央病院備え付けの通信器に発信した。少し待つとその場を占拠している委員たちに連絡がついた。職員の横に立ってツグミが、話す内容を教えた。
「こちら治安部隊本部。塔と部隊本部は我ら治安部隊が占拠した。我らはお方様の意思により動いている。これ以上の反逆は許されない、至急武装を解除して撤退せよ。くり返す。至急武装を解除して、中央病院から撤退せよ」
 机上のモニターに委員の指揮官らしき人物が現れた。周りがざわついている。指揮官らしき人物が右に左に顔の向きを変えて、何やら周囲と小声で話している。
「にわかに信用できない。どなたか賢人様か他の委員指揮官の方はおられるだろうか」
 口調からこちらの言うことをまったく信用していないわけではないことが分かる。ツグミはモニター画面横に設置された小さな筒状のカメラを手に取り、その先を今、まさに連行されていこうとしている八の賢人と委員たちの方へ向けた。
「見えるかしら。今、賢人さんと委員さんたちは、連行中で電話に出られないのよ」
 カメラの角度が合っているのかどうか、不安に思いつつツグミが言った。少しの間を空けて返事が聞こえた。
「分かった。ただちに武装解除する。ただちに病院から撤退する」
 ツグミはホッとした。
「今、みんなセントラルホールに避難している。あなたたちもそこに向かって、みんなをまとめて、もっとA地区から離れたところに移動させて。いつケガレがB地区に向かうか分からないから。それから誰か病院の人を連れてきてくれない。話がしたいの」
 分かった、そういうと指揮官らしき人物は画面から姿を消した。どうやら周囲を捜し歩いてくれているようだった。やがてツグミたちが見ている画面に女性看護師が映し出された。
 ツグミはただイカルの容態が知りたかった。でもその看護師はイカルのことについては詳しく知らないようだった。しかしすぐに調べてくれて、イカルが今、集中治療室に入っており、病院に連れてこられてから現状、容態に変化がないことが分かった。
 その返事を息がつまる思いで聴いていたツグミは、全身から力が抜けていく気がした。思わず涙があふれ出しそうになった。でも、まだしなければならないことがある。こんなことで満足しているヒマはない。
 それからツグミは病院にいる委員の指揮官に、ヒゲの先生を解放すること、看護師にヒゲの先生が今まで何度もイカルの身体を調べているので、イカルの治療はヒゲの先生に行ってほしいこと、を伝えて通信を切った。
 続けてツグミは、職員に頼んで、ノスリたちの向かった連絡通路を守備している委員に連絡を試みた。しかし委員たちが携帯している通信器には、電波が乱れているのか何度試みても、雑音ばかりで一向に通ずる気配がなかった。
 仕方がないのでツグミは通信をあきらめ、壁面に埋め込まれたモニター群の前に移動しながら、他の本部職員に向けて言った。
「八番モニターにA地区からB地区に向かう連絡通路の様子を映してください。その横、九番のモニターに深層牢獄の画像もお願いします」
 ツグミは移動しながら一番上の白い塔が映っているモニターを見た。発光石の光が先ほどより少し弱まっているように見えたが、まだケガレの巨大渦は、その回転を思うようにできずにいるようだった。タゲリ班の班員が小さく入り口付近に固まっている様子も見えた。
 タゲリ班には黒い渦を刺激しないように、エネルギー弾を無駄に使わないように進言していた。その進言に基づきタゲリ班はまだ戦闘行為には及んでいないようだった。
 ツグミがモニター群が埋め込まれた壁の前に到着する寸前に、八番九番の画面が切り替わった。
 八番九番のモニターは下側の並びにあって、ちょうどツグミの目線と同じ高さにあった。ツグミは八番のモニターに顔を近づけて凝視した。
 A地区側から連絡通路を中心に遠景を映している。手前に委員たちの群れが見える。一人ひとりかろうじて人だと分かる程度の大きさで、みな背中をこちらに向けている。かなりコガレたちのいる前方に警戒を向けているようだった。
 コガレたちは頑張っているみたいね。ノスリたちはまだ到着していないみたい。みんな無事に通ることができるかしら、そうツグミが思うと同時に、画面上の人の群れに変化が現れた。群れの意識が一斉に後方へ向けられた。
 画面の下からパラパラと隊服を着た兵士たちの姿が現れた。次々にその人数は増えていく。それがノスリたちだということは確認しなくても分かる。手前にいた委員たちは、次々に手を上げて降伏の意を示した。兵士から離れた場所にいた委員たちは、あわててノスリたちの方に向きを変え、銃を構えて対抗する姿勢を見せた。が、その背後の建物群から黒く小さな点がパラパラと現れて、そんな委員たちの群れに突撃するべく走り出していた。それがウレンやコリンたちだということも、ツグミにはすぐに分かった。
 その時には五十人を超えるほどに増えていた委員たちは、瞬時に自分たちの方が人数が多いことを認識したが、それまでのコガレたちとの小競り合いで少なくない負傷者が出ており、まさかA地区側から敵襲があるとは思わず、斥候を出すことも怠ったがために文字通り急襲される形になり、さらに前後の敵が呼応して挟撃される形になったことで、一瞬にして混乱を極め、抵抗する間もなく集団としての戦闘意欲を失った。
 画面を見ながらツグミは、やっぱりノスリに行ってもらって良かったと思った。もう大丈夫ね、そう思いつつ、ツグミは九番モニターに目を移した。そこに映し出された画像を、彼女は目を細めて更に顔を近づけて凝視した。そこには深層牢獄のエントランスホールの全景が映っているはずだった。
 画面全体が霞んでいるように見えた。もやが掛かっているように全体が薄暗い印象だった。その所々が濃く黒く見えた。その様々な大きさの黒点のいくつかは動いていた。急速に動くものもあれば緩慢に動くものもあった。
「九番モニターを深層牢獄の他の画像に切り替えてください」
 もしかして、とツグミは思った。現状の画像でははっきりとは判別できなかったが、深層牢獄に異変が起きていることは間違いないようだった。
「九番モニター切り替えます」
 事務員の声とともに画像が切り替わった。そこは囚人たちの居住房のようだった。一直線に廊下が奥まで続いている。その両側が居住房のようだが、その扉はすべて開かれているようだった。そして廊下には囚人服を着た男たちが数人さまようようにトボトボと歩いていた。カメラに最も近い場所にいる囚人の顔がはっきりと見えた。その目は生気に欠け、口からはよだれを垂らし、何かを捜しているのかカメラの方へと向かって移動してきて、やがて画面から消えた。奥の部屋から看守の制服を着た男が一人現れ、カメラに向かって移動してきた。その手にHKI―500を持っていた。廊下のあちこちに黒い点があった。それがケガレの円盤だということはすぐにツグミにも分かった。看守が更にカメラに近づき、HKIー500を構えてエネルギー弾を放った。ツグミは思わずのけぞった。映像が途切れて一面黒く映し出された。
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