邂逅の中(11)

文字数 4,653文字

 それから僕たちは常に一緒にいるようになった。
 ツグミに食欲が戻り、自らの生活のために少しずつ動くようになり、僕も徐々に自分の生活に戻れるようになると、今度はツグミがどんな時も僕のそばを離れなくなった。少しでも離れそうになると、すぐに僕の上着を引っ張っるようになった。だから、そのうち僕の上着のすそは所々伸び、色が薄っすら変化していった。
 僕としては上着のすそが伸びようと、人にコソコソ話をされようと、今更気にするつもりもなかった。でも時たま用を足しに行ったり、着替えをするために更衣室に入る時にも、ツグミがついてくるのには正直困った。その頃のツグミはほとんどしゃべらなかった。だから気づかずにトイレに入ってから、あわてて追い出すこともあった。
 やがてツグミも次第に言葉を発するようになった。最初は自分が用を足したり、着替えをする時などの、やむを得ず僕のそばを離れなければならないような時に、行き先を告げるようになった。
 それはツグミにとっては、どこそこに行ってくるからその間、ここから動かないでいてね、という意味だったようで、ツグミがそばを離れている間に、僕が別の場所に行き、彼女が帰ってきた時にその場にいないと、とたんに彼女は狼狽してしまうようだった。一心不乱に僕を捜していたのだろう、僕を見つけ出した時、決まってツグミは今にも泣きそうな顔をしていた。そして非難はしないけど、あからさまに不機嫌な顔つきをして、僕の上着のすそを固くにぎって、しばらく離そうとしなかった。
 だから僕はどんなにトイレに行きたくても、どんなにのどが渇いていても、どんな急用で人に呼ばれたとしても、ツグミがどこかに行っていたら、帰ってくるまでその場を離れられなくなった。
 またシャワーを浴びたり、就寝する時はもちろん男女別だったので、二人で一緒にいることはできなかった。だからツグミはシャワーを浴びることをあきらめ、就寝する際にも女子用の寝室には入らず、男子用寝室の扉の外側で眠ろうとした、が、さすがにそれは大人をはじめ、みんなから止められた。
 ツグミは特別に二晩、男子用寝室の隣にある倉庫の中で寝る許可を得た。ツグミは大人たちの説得にもまったく耳を貸さなかったし、てこでも僕のそばを離れようとしなかったし、大人たちも力ずくで従わせて、暴れられて問題になって上層部に知られるのはさけたいようで、仕方なく譲歩することにしたみたいだった。
 でも、それはあくまで一時的なこと。僕は困ってミサゴに相談した。
 ミサゴも、甘ったるい湿り気ただよう女子用寝室なんかで眠るのは、苦痛でしかないようだったが、不承々々その規則に従っていた。だからいくら大人たちに言われても、がんとして女子用の寝室に入ろうとしないツグミの姿を見て、少し小気味良く感じてはいたようだった。ただ、ツグミを女子用寝室に連れて行ってくれないか、と頼むと、一言のもとに拒絶された。あんな女らしくウジウジしたヤツは嫌いなんだ、一緒にいるとイライラする、とミサゴはにべもなく言った。
 しかし、そばにいたノスリに、
「一緒に行ってやれよ。どうせお前も一人なんだろう」と言われて、しぶしぶ首を縦に振った。ミサゴはその時、ノスリに向かってムスッとした表情をして何やら抗議の意を表しているようにも見えた。ただミサゴはいつも不愛想な顔つきをしていたので気のせいかもしれないけど。
 ツグミは他の女の子たちからいじめを受けていた。その頃は、いつも僕と一緒にいたのでいじめをしていた女の子たちも、手を出せないようだった。でも、一人でツグミを女の子たちの中に入れてしまったら、どうなるか分からない不安があった。その点、ミサゴが一緒にいてくれれば安心だ。
 さすがのいじめっ子たちもミサゴには手が出せないだろう。彼女に何かすればその何倍もの報復を受けることは火を見るより明らかだった。何せミサゴは力が強く、気が荒く、何より女が嫌いだったから。口実さえできればためらうことなく、遠慮することなく、手加減することなく攻撃に移ることだろう。

 たぶん、セリンたちはミサゴのことをこころよく思っていなかった。きっとセリンたちにしてみれば、腕力では何人掛かりでもかなわず、口撃したとしてもすぐに殴りかかってきそうなミサゴが、女の子たちの中で、自分たちの思い通りにならない唯一の存在として、毛嫌いしていたのだと思う。あたしだってあんなに気性が荒くて暴力的なコは正直言って好きじゃない。ただ、ミサゴはいやいやながらもあたしと一緒にいてくれた。するとセリンたちはあたしに何もちょっかいを出すことができなくなった。それもたぶん気に入らない原因の一つなのだと思うけど。きっと彼女たちの中にミサゴとあたしに対する不満を晴らしたい欲求がふつふつと湧き上がっていたのだろう。セリンたちは、あたしが、ミサゴやイカルと一緒にいない時を、待っていたのだと思う。
 ある日、イカルが大人に呼ばれて検査を受けにいった。あたしとイカルは他のコと違って個別に検査を受けることが、たびたびあった。別室にしつらえた仮のベットとたくさんの機械類。二人同時の時もあれば、イカルだけの時もあり、あたしだけの時もあった。
 その日、あたしはいつもの少し薄暗い一画に座ってイカルの帰りを待っていた。イカルがいなければ他のコたちと一緒にいる気にはならない。とてもつまらない気持ちを引きずって、ただぼおっとして待っていた。
「ねえ、一緒にお茶しに行かない?」
 突然、声が聞こえた。まったく周囲に気を配っていなかったので、驚いて声のした方に視線を向けた。
 セリンの取り巻きのコが三人立っていた。あたしは関わり合いたくなかったので、応えずにまた自分の足元に視線を戻した。
「ねえ、一緒にいきましょうよ」
 そう言いながら取り巻きのコたちはあたしの手を取り、引っ張って立ち上がらせた。そのコたちは腕を引きながら、後ろから押しながら、横について腰を押しながら、あたしをどこかへ連れていこうとした。
「いや、あたし、行かない」
 もちろんあたしは抵抗した。
「少しだけだから。すぐ終わるから。お願い。気に入らなかったらすぐ帰ればいいだけだから。ね、お願い」
 少しだけ抵抗をゆるめた。そのまま引きずられていった。
 連れられていった先は、予想通りセリンたちの前だった。丸テーブルを囲んで小さな丸い座面のパイプ椅子に座っていた。テーブルの上にはキレイに光る銀色のハサミが一つ置いてあった。直感的にまた髪の毛を切られることになりそうだと思った。
「あなた、最近あたしたちと遊んでくれなくなったわね。寂しいわ」
 座っている名前も知らない取り巻きの声が聞こえた。心にもないことを、と思った。そして早くこの場所を立ち去りたいと思った。ここには居心地の悪さしか感じられない。吐き気さえ湧き起こってきそうだった。だから早く話が済むようにただ黙っていた。
「ねえ、座ったら。あなたのために今日はちょっといいお茶をいれるから。ねえ、座りなさいよ」
 とても不思議なんだけど、セリンは座っているにも関わらず、立っているあたしを見下ろすような視線を向けていた。その視線を見るとますます気分が悪くなる。だから視線を足元に向けたまま黙っていた。
「ねえ、早く座ってよ。何つっ立っているの」
「それにしてもあなた、また髪、伸びてきたんじゃない?ボサボサよ。少しは手入れしたら。まあ、でもあなたの彼氏にはそれがお似合いかもね」
「やめなさいよ。悪いわよ。このコ、あのイカルってコのこと大好きなんだから」
「あんなヤツのどこがいいのか私たちには分からないけど、きっといいところがあったのよね」
「いいところってどこよ。あんなもさっとした、何考えているか分からないヤツ」
「最近、よくあなたたち大人に連れられてどこかに行っているじゃない。あれってやっぱり二人そろっておかしいから?お互いに趣味が悪すぎる?」
「とにかく、あんな男やめときなさいよ。趣味悪いわよ。あんな変なのじゃなくても、もっといいのがいるじゃない。ねぇ、聞いてる?あなたのために言ってあげてるのよ」
 そんなことを言われたと思う。
 想像してみて。その見るからに軽薄そうな取り巻きのコたちが、バカっぽく楽しそうにそう話す内容を聞いて、あたしがどう思ったか。腹立たしい?悲しい?くやしい?いいえ、あたしは自分でも驚くほど冷静だった。イカルの悪口を言われてもっと激高してもよさそうなものだけど、その時は、ただ淡々と目の前にいる女の子たちを刺してもいいんだ、と思っただけ。
 他の誰がどう思おうが関係ない。このコたちを刺してあたしが今後どうなるかなんて分からない。でもどんな風に思われようが、あたしがどうなろうが、あたしは決して後悔しない、ただそんな気がしていた。
 だから、あたしはいっさい迷うことなく、一歩足を出して、机の上に置いてあったハサミをにぎりしめ、そのまま堂々と机を回り一番近くにいた、イカルを侮辱したコに向かってハサミを振り上げた。すると、

“やめなさい!”

 突然、あたしの頭の中に声が響いた。それは女性の声。今まで聞いたことがない声だった。でも不思議と違和感なく自然と受け入れられる声だった。
 周囲を見渡した。みんながあたしのことを見ていた。眼下にいる女の子は目をかたく閉じ、今にも叫び出しそうに大きく口を開き、両手を顔の前に差し出していた。そしてそのままの姿で固まっていた。この部屋にいる全員が動きを止めていた。空気の流れも、雑多な音もその動きを止めていた。そして再び声が聞こえた。
“人を殺さないで。あたしたちが紡いできた絆が断たれてしまう。あなたの怒りを抑えなさい。あなたを突き動かすその感情はあなたのもの。あなただけのもの。だからあなたが抑えるのよ”
 訳が分からなかった。ただその声が聞こえたとたん、あたしの網膜に取り巻きたちの表情が飛び込んできた。あたしがこんな表情をさせているの?視線を移してセリンの姿を見た。その目を見開いた女の子の首筋に大きなホクロが少し見えた。普段は見えないように気をつけて髪で隠されている、いつも陰から出してもらえないかわいそうなホクロ。続けてあたしはハサミをにぎりしめている自分の手を見た。急に怖くなった。あわてて置いてあった場所に戻した。そしてすぐにその場を立ち去った。
 遠くから何人かの女の子の叫び声が鳴り響いた。たぶん取り巻きのコたちの叫び声。その時、周囲にいた人たちは惨劇の光景を予想していたと思う。でも何も起きなかった。彼女たちの視線の先から、あたしはもういなかったから。

 少し時間が経って落ち着いた頃、あたしは自分の中に訊いてみた。
“あなたは誰?”でも、もう女の人の声は、二度と聞こえることはなかった。
 もともとあたしは自分の中から、自分のものではない誰かの声が聞こえることがよくあった。誰かの視線を感じるとその人の声が自分の中から聞こえる。あたしをバカにして、あたしを笑う声。とても不快な声。お前はダメなヤツだ、お前は生きている価値のない人間だ。そんな声と同じ類のものなのかとも思った。
 でも、なぜか安心する声だった。また聞いてみたいと思う声だった。これはきっと自分の声だという気もする。あたしも知らない本当の自分の声。
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