混迷の中(3)

文字数 4,443文字

「まったくついてない日だ」
 今回の夜間警備の任務も、あと二時間を残すのみだった。
 夕刻から翌朝までの約半日、いつもならB地区治安部隊詰め所に待機して、時間ごとに地区重要地点の見回りをするくらいの特に忙しくもなく、緊張感を保つ方が困難な業務のはずだった。それなのに、朝の交代に向けて引き継ぎの準備でもはじめようかと思った矢先に、センサーが侵入者を感知したのだ。しかも自分たちの受け持つ敷地の端も端、あと少しずれていたら違う分隊の担当になる場所でのことだった。
 その場所は、数少ない“地上”に通じる道の入り口部分だった。しかしその道は長らく封鎖されたままだった。街からは二重三重に通行止めがなされ、センサーが厳重に設置してあり、人が通ればすぐに察知して通報する仕組みになっていた。だからいきなり通路内部からの通報は想定外だった。単なるセンサーの故障だろうと思われた。
 しかしセンサーに反応があった限りはその原因を突き止め、上への報告書を書いて即座に提出しなければならない。どう見ても二時間では済まない作業に思われた。
 班長であるノスリは、他の班の班員を詰め所に残して、自分の班員を全員連れて現地に向かった。
 現地に向かう前に、こういった場合の対処マニュアル通りに自分の所属する分隊の分隊長に報告し、治安本部にも通達した。またセンサーが故障していた場合を想定して工作輸送部隊への連絡も済ませていた。
 たかだかセンサーの故障くらいでこれほど事を大きくする必要はない、とは思ったが、これも危機管理に対する姿勢を示すために必要な措置だった。
 彼らの常備武器である“HKIー500”を、いつでも発射できるように構えたまま、平行式エスカレーターを使用して、ノスリ班十名はセンサーが作動した現場へと向かった。一面、岩盤だらけの地区外壁の一角に、見るからに重そうな巨大な鉄の扉があった。ノスリは扉の横にある認証パネルの前に立ち、右手をかざした。本部からの操作によってこの周囲の扉はノスリの手のひらが鍵となって開くようになっているはずだった。予想通り、重い鉄扉は大げさな音を立てながら開きはじめた。扉の内部は、普段は無人のため灯りはなく濃厚な闇が詰まっていたが、扉が少し開いた時点で内部の灯りはすべて点灯した。
 三百メートルほどだろうか、コンクリートむき出しの通路が奥へと伸びている。その通路には鉄扉と同じ程度の丈と間口を持つ空間が広がっている。壁と天井の計三列、直線的に細長い電灯が並んでいる。
 ノスリ班々員は、周囲を警戒しつつその廊下を進んだ。その先にはおよそバスケットボールコート二面分ほどの広さのホールがあるはずだった。廊下の中ほどでノスリは班員に手で合図して、二名を先行させた。その二人がホールの入り口で中をうかがった。
「誰か倒れています」先行の一人が言った。
「他に人の姿はありません」その言葉につづいて他の班員がホール入り口に進んだ。
 ホールの中央部分に人がうつ伏せに横たわっていた。床に、小さいが黒ずんだ血だまりらしきものが見える。兵士たちは、一瞬にして更なる緊張感が全身を走るのを感じた。すぐにHKIー500を構えなおし、そのまましばらくその人間を凝視した。
 身じろぎもしない。どうやら死んでいるようだ、そう思ったノスリはすぐ後ろに立っている二人に無言のまま片手で合図をした。合図された二人はHKIー500をその人間に向けたまま小走りに近づいた。一人がその人間のかたわらに屈んで手を差し出した、その時だった。かすかなうめき声が辺りに響いた。
「生きてるぞ!」
 近づいた二人は同時に叫んで一歩後退した。後退しながら今にもHKIー500を放ちそうに構えた。
 HKIー500はエネルギー弾を放つ。放った先の対象に当たることで、一瞬で一点に集中し、破裂する。対ケガレ用に開発された武器だった。人に使用すればもちろん破裂して辺りに肉片がばらまかれる。
 横たわった人間は、近くで見るとどうやら男で性別は間違いないようだった。その男は、右手の指をかすかに動かした。
「動くぞ!こいつ動くぞ」男の横にいた班員が声を発した。
 その男は左手の指も動かした。
「こいつ、動くな!それ以上動いたら、その頭をきれいさっぱり粉みじんにしてやるぞ!」もう一人の班員が声高に言う。
「待て、落ち着け!」
 ノスリはとっさに二人を制止した。他の班員が周囲を警戒していたが、とりあえず他の異常はないようだ。ノスリは男を凝視して、銃を構えたまま近づいた。男はゆっくり両手を上にあげた。その両の手のひらを見てノスリは銃を下した。そして数歩下がって左手首についた機器に指を触れて話し掛けた。
「こちらウトウ分隊ノスリ班。地上連絡通路ホールにて生存者発見。ケガをしている。抵抗はない。恐らく男性。所属、認識番号不明。我が班にて確保している。対処の指示を乞う」
 この男の正体が分からない以上、このまま外に連行した方がいいのか、そのままこの場に留めておいた方がいいのか独断で決めるわけにもいかない。
“対象者を拘束し、厳重な警戒の上、救援隊が到着するまで、そのままの状況を維持せよ”左耳に着けた機器から応答があった。
 ノスリは“了解”と応えてから少し男に近づいた。男は顔も身体も伏せたままだったが、かろうじて意識はあるのだろう、手は上げたままだった。今のところ敵対行為はない。
「おい、話せるか」
 ノスリの問いに、男はゆっくり頭を上げてかすかにうなずいた。
「所属と名前、認識番号を言え」
 男は苦しそうに、うめくような声を発した。体勢のせいか、うまくしゃべることができないようだった。
「おい、こいつを起こして拘束しろ」
 ノスリの命令に近くにいた二人が力ずくで男の上体を起こして、一人が腰に付けていた、U字に取っ手が付いた器具を手に取り、男の身体にU字部分を押しつけてボタンを押した。するとU字の両端から帯状の金具が出て、男の身体に密着し、胸部分と両腕を拘束した。男は血だらけの顔を少し上げて、ノスリの姿を見上げつつ口を開いた。
「俺は、凪瀬タカシ。今、ここに来たばかりだ」
 ノスリは少し安心した。どうやら普通に話しができるようだ。
「来たって、どこから来たんだ」
「…廃墟のような街から。地上から落ちて、気づいたらここに」
 ノスリは全身が総毛立つのを感じた。そんなバカな、そんなはずはない。
「地上から来ただと?地上はケガレだらけだろう。そんな場所でお前はどうやって生きてきたんだ?」
 ノスリの世代の者は、地上はケガレた世界だと習ってきた。人が住める空間ではないと教え込まれてきた。特にこの地下都市で生まれた者は、地上では生活をするどころか存在することすらできないと言われてきた。実際、地上との行き来はなく、そういった世界だと信じて疑わなかった。でもこの男は地上から来たと言う。それが本当なら、地上は人の住める世界ということなのかもしれない。もしかしたら地底生まれの自分たちでも・・・。ノスリの脳裏に思考が駆け巡った。
 この地下都市の周囲は発光石と呼ばれる自然発光する岩石の層に囲まれていた。大量のエネルギーを含有するその発光石からエネルギーを抽出し、効率的に発電可能な設備を開発して以降、この地下世界の電力はほぼ不足する心配がなくなった。昼夜問わず求めれば、どこでも明かりに照らされた生活が送れた。しかしそれは、しょせん人工の灯りだった。陽光とは違い、あくまで表面的な明かりだった。陽光は身体の芯に達し高揚を呼ぶ。しかしただ明るいだけの灯りでは気分は晴れず、かつて陽光を浴びた経験のある人々は、次第にそれを羨望するようになっていた。しかし地上は人が生きてはいけない世界だから、人々はそう思ってあきらめていた。
 また地下空間のみでは、いくら技術を駆使しようと耕地に制限がある分、どうしても慢性的な食糧不足になってしまう。多種多様なメニューを作る技術があってもその食材が不足すれば制限を掛けざるを得ない状況になってしまう。
 そんな諸々の渇望や不安によって、この地下都市の住民の間では、地上世界に羨望を向ける傾向がここ最近、流行り出していた。
 ノスリは好奇心のかたまりになっていた。彼も、世間の時流に合わせたわけではないが、この閉塞感ただよう地下都市を抜けて、地上を見てみたいと、密かに思っている一人だった。
 もしこの男が本当に地上から来たのだとしたら、もしこの気分的に息苦しい地下世界に住む住民が地上に行くことが可能なのだとしたら・・・。
 ノスリは自分が歴史的に重要な状況に立ち会っているように思えて、身震いした。おそらくこの男はすぎるほどに慎重に扱う必要があるのだろう。
「救援部隊が来たようです」
 後方で周囲を警戒していた隊員の声。確かに辺りが騒がしくなっていた。
 ノスリは一瞬、固まった。
 この地下世界の行政府は、多岐に渡り情報操作を行っていた。
 この狭い社会で無制限に、偽の情報や偏った情報が横行すれば、すぐに社会的ヒステリック状態を引き起こしかねない。だから公的機関がある程度、情報操作を行うことは、治安を維持するためにある意味必要不可欠であると、誰もが大っぴらには言わないが納得し、黙認していた。
 この男が上官の手に渡れば、いずれ行政府に引き渡されることになるだろう。行政府にこの男を引き渡せば、その身の処遇は首脳部の判断するところとなる。その場合、存在自体をなかったことにされる可能性も否定できない。しかし引き渡す以外のいい対案も浮かばない。ノスリはタカシの目をじっと見た。タカシもノスリの目を瞬きもせず見つめていた。
 四十人もの武装した治安部隊員が、靴音を響かせながらホール内になだれ込んできた。みなHKIー500を装備していた。ノスリたちの周りを幾重にも取り囲んだ。後方から上官らしき男が彼らの方に近づいてきた。
「状況を報告しろ」
 ウトウか、その声を聞いてすぐにノスリは察知した。ノスリの班が所属する分隊の分隊長を務める男だった。小柄だが右目の下に鼻横から耳にかけて目立つ傷がある男だった。厳格な男。誰に対しても公平だが、職務に忠実で、自分の正義にそぐわない言動には厳しい態度を取る男だった。ノスリはすぐに、男をウトウに引き渡す以外に手立てはないことを察した。
「この場でこの男を確保、拘束いたしました。尋問したところ、この男は地上から来たと言っております」
 敬礼しながらウトウに言った。ウトウは、ほぅ、という顔つきをして、血にまみれたタカシの顔に鋭い視線を向けた。見上げるタカシの視線と重なった。この目はどこかで・・・、ウトウがそう思った瞬間、頭上から、足元から、前後左右から、ごおおぉぉぉ、という重厚過ぎる響きが耳朶に襲い掛かってきた。
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