感応の中(7)

文字数 3,052文字

 リサは、自らの白い世界、自分の生活空間である一室に座って、少しずつ温度の上がっていく状況を受け入れていた。これだけ大きな渦に包まれてしまってはもうどうしようもないと思っていた。恐れや、不安がないではなかったが、それでも自分一人ではどうして良いのか分からなかった。自分一人では自分の力を行使するきっかけすらつかめなかった。ただ自分が耐えればよいだけなんじゃないか、自分が何かをすると周囲の人を不快にするかもしれない。誰かを傷つけてしまうかもしれない。なら何もしない方が良いのではないか。自分が耐えれば済むのならその方がきっといいのだろう。
 塔の中は黒い渦に熱せられて、うだるような高温に満たされている。
 発光石の作用で、温度の上昇はある程度、弱められていたが、その発光石の力がだんだんと弱まっている、そう感じるとともに内部の温度も次第に上がっていた。
 息苦しい。動くことはおろか、その場にいるだけであまりの不快に頭がおかしくなってしまいそうだった。
 リサは発光石に包まれた部屋で直に床に座っていた。発光石を通じて外の状況は分かっている。自分の閉じこもっているこの塔を自分の負の感情が具現化した黒い渦が包み込んでいる。そして私を取り込もうと迫っている。
 私が弱いから、自分の感情に取り囲まれても、それを嫌だと思っても、どうにもできない。この世界にいる人たちが私を助けようと戦ってくれている。でも私はそれをどうすることもできない。ただ眺めているだけ。その人たちが消えていくのをただ感じているだけ。私のせい、きっと、全部、私が弱いせい。
 自分の悲しみや憎しみや気の落ち込みや憂鬱が怖い。呑み込まれてしまうことが怖い。人と話すと、人と接すると何かのきっかけでそんな感情が湧いてくるかもしれない。だからただ表面的にしか人と話せない、接することができない。そんな私に他人を助けることなんてできるはずがない。
 リサはうつむいていた。そして両手を床に着けていた。もう現況を甘受することしか彼女は考えられなかった。だからじっとうつむいて床を見つめていた。
 ふと床が動いた気がした。
 リサはうつむけていた顔を上げた。
 突然、自分の意識に何かがつながった気がした。それが何かすぐに分かった気が彼女にはした。
「ツグミちゃん、戻ってきてくれたのね」
 リサは心が安らぐ感覚を抱いた。この一人ぼっちの状況には飽き飽きしていた。またツグミと話ができると思うとたまらなく喜びを感じていた。でも返答はなかった。
「ツグミちゃん、どうしたの?」
 再度の呼び掛けにも返答はなかった。私の勘違いだったのかしら、いえ、でも間違いなくつながっている、発光石を通じてつながっている感覚がある。気のせいなんかじゃない。とにかくこれだけは訊かないといけない。
「ねえ、ツグミちゃん。聞こえる?大丈夫?ねえ、タカシを連れてきてくれたの?だから戻ってきたの?ねえ、応えてお願い」
 その問いの答えが返ってくるまでに少しの間があった。リサは息を止めて待っていた。それは音ではなく床に触れた指先に、感触として返答があった。
“・・・うん・・・”
「本当っ!今、そこにいるの?」
 もう応えは返ってこなかった。そして突然、繋がりがとぎれた。
「ツグミちゃん、ツグミちゃん、どうしたの?大丈夫?」
 床に触れた指先で捜した。またつながるかもしれないと一縷の望みを抱いて探ってみた。でも、もうつながることはなかった。
 ツグミちゃんに何かあったのかしら、リサは不安に駆られた。どうにかしないと、あのコはあたしのためにここまで戻ってきてくれたのに。でもどうしたらいいのか分からない。
 リサは立ち上がった。心なしか部屋の温度が先ほどより下がっている気がする。周囲の発光石もさっきまでは濁ったような光を発していたのが、今は少し透明感を増し、光自体も強くなっている気がする。
 この部屋には扉がない。窓さえもない。かつて彼女の意志によって閉ざされた空間となっていた。どこにも出られない。どうすればいい?彼女は壁の発光石に近づいた。両手を着けた。
 彼女はただ信じた。タカシに会うことができれば、彼に会うことさえできれば自分のするべきことが分かるはず。自分にも何かができるはず。彼女は両手のひらに向けて一心に念じた。
「タカシ、そこにいるの?私、ここにいるよ、ここにいるのよ。お願い、見つけて。私を見つけて」
 
 タカシの防御の力が弱まっていることは明白だった。以前はケガレに触れる前に消滅させていたが、今は触れても相手が苦悶するばかりで霧散しなくなっていた。やはり白い塔が黒い渦に包まれて、山崎リサの力が弱くなっているためか、ナミはそう思いながら、次々にタカシ目掛けて襲い掛かってくるケガレの駆除を続けた。しかしそれも次第に手に余るようになっていた。
 タカシはただただ気持ちが空回っていた。リサがいるだろう場所がすぐ目の前にあるのに、そこにたどり着きさえすればどうにかなるかもしれないのに、自分に能力がないばっかりに、自分が脆弱であるばかりに、リサのもとに行けないばかりかともに戦う大勢の仲間も失っている。
 タカシはもうすでに銃を撃ってはいなかった。両手に握り締めてケガレを打ちのめす形で使用していた。ケガレたちはもうかなり近い場所に集まっている。その動きは速く彼が銃で撃つには照準を合わせるのが難しかった。それに、特に黒犬は直線的に、彼に襲い掛かってくる。いくら速くても動きが予想できた。対象が大きい分、バッティングセンターでちょっと速い球を打つよりも当てるのは楽だった。ただ数が多かった。いたる所から襲い掛かってくる。ナミがいる後方以外の全方位に気を配る必要があった。
 ナミは数限りなく襲ってくるケガレに、あとどのくらい対応できるのか算段した。まだもう少しはもつと思った。しかしキリがない。このまましばらくこの状態が続くと、いつ霊力が尽きてもおかしくない。今のうちに現状を打開しない限りこちらに勝ち目はない。兵士たちの中には弾が尽きてしまった者も出ている。私が戦闘不能になればいよいよ絶望的な状況になる、そう思いつつナミは背後のタカシに声を掛けた。
「山崎リサがあの塔のどこにいるか、分かる?」
 その声に、タカシは視線を上げて塔に向けた。黒い渦しか見えない。リサの存在の欠片も感じられない、そう思ったとたん、塔が一瞬、白く光った。
 黒い渦の回転が止まった。黒い渦は動きを再開しようともがいている。うめき声に似た音が辺りに響き渡る。兵士たちの周囲にいたケガレたちの動きが止まった。狼狽した様子で周囲を見渡している。
 黒渦から再び赤い目が出現した。獰猛な口が開いた。地響きのような叫び声がその口から発せられた。あわせて大量の熱が放出された。何もかもを焼き尽くす勢いだった。それでも渦の動きは止まったままだった。あのコが何かしたんだわ、ナミは驚きの表情をほんの少し浮かべて思った。そしてすぐにニヤリと笑った。
 タカシの視線の先、塔の中ほどが、ほのかに白く光っていた。それはかすかだったが彼には特別な場所に感じられた。そこに確かにリサの存在がある気がした。
 見つけた、リサだ、やっと見つけた。
 彼は駆け出した。そのほのかな光以外にはもう視界に入らなかった。無性にリサが自分を呼んでいる気がした。その声に応えることしか考えられなかった。
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