邂逅の中(7)

文字数 5,144文字

 僕の記憶は、五年前にはじまった。
 僕たちがいつ生まれたのか、僕は知らない。
 ただ、五年前のある日、僕たちはそこにいた。
 そこは純粋な白色におおわれた明るい世界だった。
 気づくと僕はそこにいた。たくさんの人たちと一緒に。
 僕たちは言葉を持たなかった。だから思考ができなかった。
 ただ灯りに照らされた見知らぬ環境、すべてがまぶしかった。
 まぶしさにうまく目を開けていられない。うまく身体が動かない。
 その内、人々の中に大きな身体の人が、何人かいることに気がついた。
 人の存在が理解できないのに、さらに大きな存在など恐怖の対象でしかない。
 ただ、それもほんの少しの間だけ。その大きな人たちはいろいろ教えてくれた。
 とても優しく、一つ一つコツコツと教えてくれた。
 手で物をつかむこと。
 立って、足で歩くこと。
 服を着ること、脱ぐこと。
 発声する、言葉をしゃべること。
 一つ一つの物、事、感覚を表す言葉を教えてくれた。
 言葉を覚える、事物や事象の名前を受け入れ、組み合わせる。
 いろいろな名前を使って思考し、それを言葉にして人に伝える。
 言葉を使い、人と交流することにより生じてくる感情を受け止める。
 不思議なことに僕たちは、一度言葉を聞いたらすぐに覚えることができた。
 まるでもともとその言葉を知っていて、ただ思い出しただけのようだった。
 そして日に何度か、大きな人たちは、とても良いにおいがする柔らかい物を配ってくれた。
「これはお方様がみんなにお与えくださった恵みです。みんな、お方様に感謝をしていただきましょう」
 配る度に大きい人は言った。僕たちは、
「僕たちの命の糧でありますお恵みを、お与えくださるお方様に感謝します。お方様と、お方様の世が末永く堅固に続きますようにお祈りいたします。いただきます」
 と言ってから、その柔らかい物を食べた。
 あと、大きい人は僕に、僕の名前を教えてくれた。
“イカル”他のみんなと同じようにお方様がつけてくれた名前。

“ツグミ”あたしの名前。
 他の子どもたちにも一人ひとり名前が与えられた。
 それまで漠然と周りにいる人たちと思っていたのに、一人ひとり名前をもらって、一人ひとりの人になった。
 名前を呼ぶ、名前を呼ばれる、日々変わらない生活の中でそれは日に日にとても大切なことだと思えるようになった。
 でも、あたしは周りにいる人の名前を呼んだあと、何をすればいいのかよく分からなかった。
 だから自分からは、あまり人の名前を呼ばなかった。
 呼びたくないわけじゃない。でもどうしていいか分からないだけ。
 ある時、ここにいる人たち、子どもにも大人にも、男の子と女の子の違いがあることに気がついた。
 他の子たちはもっと早く気づいていたのかもしれない。
 子どもたちは最初、男女関係なく名前を呼び合った。
 でもそのうち、男の子は男の子同士、女の子は女の子同士で集まることが多くなった。
 気づいたら自分は女の子だった。だから女の子が集まっている輪の中に入るべきなんだと思った。
 人には二つの種類があると思う。
 何もしなくても自分の周りに輪ができたり、自然とその輪の中に入ることができる人。または周囲からその輪を眺めてどうにかその中に入ろうと苦心するか、あきらめてひとりでいる人。
 あたしは間違いなくひとりでいる人だった。
 見ていると前者の人はひとりでいたとしても名前を呼ばれて輪の中に迎え入れられる。
 後者は用がない限り名前を呼ばれることがない。
 名前すら覚えられていない場合も多い。
 名前の影が薄い。
 自分の存在のおぼつかなさを感じる。
 だから、ある日、あたしは意を決して輪の中に入ろうとした。
 ごく自然に、変な感じにならないように細心の注意を払って。
 結果は・・・ただそこにいるだけ。
 何度か自分の近くにいる人に話しかけてみた。
「ねぇ、何の話をしているの?」
 とか、
「その言葉ってどういう意味なの?」
 とか、とにかく訊いてみた。
 訊いた相手は、あたしの存在は覚えてくれていた、みたいだった。
 でも、誰もあたしの名前を呼んでくれなかった。
 話はすぐにとぎれ、またあたしは、ただそこにいるだけになった。
 あたしたちはみんなで百人くらいいた。半分が男の子で半分が女の子。
 輪を離れ、全体を見渡すと、女の子たちの輪はいくつかあった。そしてどの輪にも入らない、入れないコたちの姿もちらほらあった。
 あたしはひとりだった。
 でもひとりのコも何人かいる。だからそれを受け入れることにした。
 輪の中にいるほど、なぜかひとりを感じてしまうから。
 無理をしてもきっと楽しくはないから。

 僕たちは、朝起きて、身支度をととのえて、食堂に集められてご飯を食べ、ホールに集められて、大人たちの話を聴いたり、仲間たちと交流をした。
 でも僕は話すのが得意ではなかった。
 自分の考えていることや感じていることのすべてを言葉にして説明できないことに、自分自身じれることが多かった。
 あまりに言葉を知らない。それに周囲への理解が足りない。
 その場の状況に合わせた言葉を、相手が望むように言い表すことができていない気がする。
 そんなことばかりを考え出すと、人と話すことに気後れを感じるようになった。
 だから話すことをついさけてしまうようになった。
 別に人と話したくないわけじゃない。
 ただ人とどう接したらいいのか、その正解が分からないだけ。
 だから甘んじてひとりでいることを受け入れた。
 毎日々々ひとりだった。
 別にそれを苦痛だとは思わなかった。
 別にひとりでいて楽しいわけではなかったけど、その方が楽だったから。
 でもいつしか、アトリがふらりとやってきて、話しかけてきた。
 アトリの頭の中には計り知れないほどの言葉や話がつまっているようだった。
 アトリはよく大人たちと話していた。
 いろんな事を質問しているようだった。
 アトリは僕に、あふれるように言葉を浴びせてくる。それは不快ではなかった。
 ただ聞いているだけでよい状況は楽だった。
 最初に話してからというもの、アトリはなぜか僕によく話しかけてきた。
 誰に対しても分けへだてなく自信を持って対峙するアトリだったから、別に僕じゃなくても話を聞いてくれる人はいたのだろうけど、なぜか僕によく話しかけてきた。
 よくしゃべる人の周りに人は集まってくるのだろうか。
 アトリが僕の前で話す機会が増えれば増えるほど、人が僕の周りに集まり出してきた。
 ノスリやミサゴやトビやエナガやイスカ、いつの間にか、いつも周りにいた。
 ノスリは子どもたちの中では人一倍身体が大きく、力が強かった。
 いついかなる時でも身体のどこかしらを動かしている男だった。
 人と話している時でも手首や肩を回していたりする。
 食事をとっている時でも、足がせわしなく動いていたりする。
 とにかく一部だけでも身体を動かしていないと落ち着かない、そんな男だった。
 そんなノスリの横には、いつからかミサゴの姿を見るようになった。
 ミサゴは女の子だったけど、力が強くて、気が強くて、女の子が嫌いだった。だから自分は男だと言い張って、子どもたちの中で見た目一番男らしいノスリと一緒にいたがるようになった。ノスリは特に男女の別を気にするようなたちではなかったのだろう、そのまま男としてミサゴに接するようになった。
 だからミサゴはいつもノスリと一緒にいた。
 トビはとても穏やかな男だ。
 いつも微笑んでいて、不平不満を口にしたところを見たことがない。
 一緒にいるととても安心する、そんな男だ。
 逆に、エナガは過ぎるくらいに賑やかだ。
 いつも楽しそうに冗談を言ったり、人をちゃかしたりする。僕たちが、この保育棟と呼ばれる建物にいた日々の中で、僕は彼の真面目な顔つきを一度も見たことがない。たぶん誰も見たことがないと思う。
 イスカは目が細く、目つきが悪い。そしてほとんどしゃべらない。普通にしゃべれるのだけれど、しゃべるのがおっくうなのか、いつも目や身体の動きで物を言おうとする。唯一よくしゃべるのはエナガの冗談につっこむ時だった。そこは誰にも譲れないと言わんばかりに、絶妙なタイミングでツッコミを入れる。
 そんな仲間たちに囲まれて過ごす日々を、楽しい、とある日、僕は気がついた。

 八階建て保育棟の一棟すべてが僕たちのための空間として使用されていると大人たちは言った。
 でも僕たちが立ち入れるのは三階と四階だけだった。
 後から聞いた話では、二階には大人たちが使用する事務所と応接室等の部屋、一階はエントランスホールと受付があった。五階より上はよく知らないけど、棟全体の空調や動力のための機械室、衣食に関するものや他の細々したものを備蓄する倉庫になっていたようだ。
 三階と四階は階段で移動できた。それ以外の階にはエレベーターで移動するしかなかったが、僕たち子どもは認証されなかったので、それに乗ることすらできなかった。
 三階には食堂とホール、そしていくつかの教室があり、四階にはシャワー室と寝室、更衣室などがあった。三階は男女共用だったけど、四階は完全に男女分けられていた。
 基本的に朝から夜まで僕たちは全員、同じ時間割にもとづいて生活した。同じ時間に起き、同じ時間に食事をし、同じ時間に就寝した。しばらくして僕たちの言葉がしっかりしてくると大人たちが教室で勉強を教えてくれた。
 後で知ったことだけど、大人たちは僕たちが生まれてから新設された保育委員会に所属する委員たちだった。
 その大人たちが、読み書き、算数、そしてこの世界の歴史を、最初は分かりやすく面白く教えてくれた。
 次にお方様のことや首脳部の賢人たちのこと、委員の仕事や発光石のことなど。だんだんと難しくなってきた。
 そして一通り僕たちの理解が済むと、長い時間を掛けて地上世界のことや地上にいるケガレのことを教えてくれた。そこで僕たちは初めて、自分たちが今、地下深くに暮らしていることを知った。
 地上は凄惨な恐ろしい所、ケガレは僕たちに死をもたらす存在でしかないこと、そういったことを詳しく丁寧に大人たちは教えた。そして僕たちの居場所は地下にしかないことも。
 この地下空間で生まれた僕たちには、地上の微生物や気圧などに対する耐性がない。だから地上に出たとたんに身体が溶けてしまう。けっして地上に行ってはいけない。そうくり返し教え込まれた。
 ある時、そんな授業の終わりに食堂へ向かうべく僕たちは立ち上がった。アトリが今の授業に対して疑うことも必要だと、ノスリに向かって言っていた。エナガがイスカに向かってくだらない冗談を言っていた。僕は教室の扉に向かって歩いていた。そのとちゅうで、まだ机に向かって座っている女の子に気がついた。僕はその女の子にチラリと視線を向けた。
 とても長くてキレイな黒髪の女の子だった。
 それまでミサゴ以外の女の子とほとんど話をすることもなかったし、それほど意識をすることもなかったし、そもそも周囲の人たちにあまり意識を向けてもいなかったので、そのコのことを僕は初めて認識した。
 意識が吸い込まれる、そんな気がした。彼女以外、視界に入らなかった。気が遠くなる、何か浮遊しているような、今までに経験したことのない感覚。
「イカル、置いていくぞ」
 そういうノスリの声が聞こえなかったら、僕はそのまま何時間でもその女の子の姿を見つめていたかもしれない。ただその不思議な感覚がいったいなぜ、どうして生じたのか、その時、胸の中に湧き出したものが何という感情なのか、その名前も特性もよく分からなかったので、僕はそのまま教室を後にした。

 授業が終わってみんなが食堂に移動する間、あたしは何も考えずただ座っていた。すると視線を感じた気がした。いつもなら視線を感じてもその方を見る気にはなれなかった。自分を嘲笑う顔がそこにあるような気がするから。でもその時はごく自然に顔を上げていた。そこには誰の視線もなかった。扉に向かう男の子の集団がいるだけだった。その一番後ろの男の子の横顔を、背中をあたしの視線は追っていた。
 あたしはそれまで男の子と話したことはない。もちろん知り合いなんていない。だからその男の子も知らない。でもなぜか初めて見た気がしなかった。なぜか懐かしい気がした。あのひとは誰だろう、そう思った・・・。
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