感応の中(5)

文字数 5,418文字

 モズの周りにいた兵士たちがHKI―500の充填をしながら一歩々々進みはじめた。正面にいる兵士たちに向かってためらうことなく、歩いていった。もうすぐ射程距離に入る。モズも歩きはじめ、すぐにケガレに憑りつかれた兵士たちに追いついた。
 タカシたちは塔の下から歩いてくる兵士たちの姿にたじろいだ。その様子からケガレに憑りつかれていることは明白だった。周囲には黒犬もまだかなりな数が残っている。しかし目前の兵士たちの持つ銃口は確実に彼らに向けられていた。逃げ場はどこにもない。黒犬に対抗しながらエネルギー弾の打ち合いをしなければならない。
 意識を失いそうだった。少しでも気を緩めると自分の中に渦巻いている苦悩に呑み込まれそうだった。モズは必死に家族の姿を思い浮かべながら意識を保った。クマゲラの険しい表情が思い出される。家族を救えなかった自分を責めている?いや、生き残ってしまった自分を責めている。お前は悪くない。悪いのはケガレなんだ。お前は充分苦しんだ。もういい、もう苦しむのはやめておくれ。私が今、ケガレを消し去ってやる。お前にはやるべきことがある。それをできる限りすればいい。もう過去のことは終わるんだ。今、私が終わらせてやる。
「兵士諸君、この国の命運を君たちに託す。敵は強大かつ強力だ。しかし君たちならきっとこの世界を救ってくれると信じている。健闘を祈る」
 モズの発したその大音声を聞き終わるとほぼ同時に辺りに閃光が走った。そしてすぐさま爆音と爆風が襲い掛かってきた。タカシたちは後方に飛ばされた。
 タカシもノスリもツグミもエナガもトビもその他の兵士たちもみな、身体のどこかを地面に打ち付けた。しかし痛みに耐えつつすぐさま上体を起こし、周囲の様子を見渡した。
 自分たちと塔の間にいた黒犬たちはほとんど消えていた。モズたちのいたはずの場所には誰もいなくなっていた。黒い層も爆風に飛ばされ、塔の下部分の発光石が露出するまで包囲を後退させられていた。層自体も厚みが減退したのか色が薄くなっているようにも見え、渦の回転も止まっていた。
 兵士たちは、もしかしたら自分たちに有利な状況が巡ってきたのではないかと思った。モズ隊長の文字通り命懸けの抵抗によって突破口が開かれたのではないかと、この状況を見て思った。
「みんな立ち上がれ、仲間の死を無駄にするな、隊長が道を開いてくれた。突撃するぞ、さっさと立ち上がれ」
 ノスリの掛け声に兵士たちは各々立ち上がった。
 アビは、同じイカル班の班員たちとともに節々が痛む身体に鞭打って立ち上がった。さっきから自分がまだ生きているのが不思議なくらいの場景が目の前で次々にくり広げられている。正直生きている気がしない。目の前の光景に現実味が感じられない。夢でも見ているような気しかしない。
「あなたたち大丈夫?」
 少し離れた場所から現状、この班の指揮官であるツグミの声が聞こえた。スタンドプレーばかりであまり班員をかえりみることのない指揮官であったが、それでもアビにとっては心強く頼りがいのある存在に感じられた。その姿はこの戦場で唯一、現実味があった。ほっとした。なぜかこの人がいればどうにかなりそうな気がする。
「はい、大丈夫です」
 残っている班員がみんな口々に言った頃、アビの視線の先にまた非現実的な光景が広がりはじめていた。
 黒い渦の中に現れた二つの赤い目が確かにしっかりと、残り少ない兵士たちの姿をにらんでいた。その目の下側に黒い液体がにじみ出てきて、やがてポトリポトリと滴となって落下した。
“泣いている?”その場景を見た全員が思った。滴はやがて流れになり、そして滝となった。
 黒い液体は地に落ちると地面に吸い込まれることなくすぐに水溜まりとなり、周囲に広がり流れていった。モズが引き起こした爆発によって地面には大きなすり鉢状のくぼみができていた。黒い液体はそのくぼみに入り底まで達すると重力を無視したように底に溜まることなくそのまま流れていった。確実にそこに意思が存在する、そういった動きだった。
 塔の下から兵士たちが集まっている場所までの間、その液体は広がっていった。その様子を見て、赤い目は満を持したという感じに両目の下に再び大きな口を開いて、咆哮を放った。
 大気を震わせ、大地を揺るがす、兵士たちの鼓膜と心とに襲い掛かってくる音だった。その音が鳴り響くと同時に黒い液体から数えきれないほど突起が次々に伸び、それが大量の黒犬や黒衣の者に姿を変えた。
 赤い目はもう泣いていなかった。それは見るからに怒りを湛えた目つきになっていた。新たに現れた黒犬や黒衣の者たちも、今までの無感情な表情とは打って変わって例外なく怒りに満ちあふれた表情をしていた。
 黒い層が再び渦巻きはじめた。赤い目は獰猛な口をともなって前方に伸びはじめた。どうあっても兵士たちを駆逐するという意志を表明しているような動きだった。
 兵士たちは、ようやく開けたと思った突破口が再び自分たちの目前から消え去っていく様子をただ眺めるしかなかった。絶望の足音が次第に大きくなりながら彼らに近づいていた。
 ナミは険しい表情をしていた。悲哀が憤怒を生み、憤怒が憎悪を生み、憎悪が悲哀を生み出している。激しい感情が新たなる感情を生み出している。
「まずいわよ。再生しているわ」
 ナミが険しい表情のままで言った。タカシの目にも黒い渦の回転が速度を少しずつではあったが増していく光景が見えていた。色もわずかずつ濃くなっているように見受けられた。
「再生なんてできるのか」
「どうやら怒りや哀しみの感情を自分で引き起こすことによって、新たなケガレを生み出しているみたい。今、ここで再生させてしまったら、もう打つ手がなくなるわ」
 黒犬や黒衣の者が次々に襲い掛かってきた。なんのためらいもない。なんの恐れもない。ただ兵士たちを亡き者にする意志の固まりになっていた。その黒き者たちの頭上で、赤い目が険しい目つきのまま兵士たちの一人々々を睥睨していった。誰かを捜している様子だった。
「今すぐ、行こう。ためらっているヒマはない」
 そうタカシが声を発する姿に、ちょうど赤い目の焦点が合った。その瞬間、赤い目は血で満たされているかのような更に生々しい赤色に染まり、獰猛に口を大きく広げながら彼に向かって身体を一気に伸ばしてきた。そして、同時に黒犬や黒衣の者たちも自分の進行方向を一斉にタカシに向けた。
 まずい、タカシ様を集中攻撃しようとしてる、そう察したノスリはあわてて銃を発砲しながらタカシのかたわらまで駆け寄った。
「全員集合、選ばれし方様をお守りしろ。集まれ」
 兵士たちは即座にタカシの周囲に集まった。そして自分を盾にしてタカシを守ろうとした。
 タカシは完全に足止めをくらってしまった。早くリサの所に行きたい、その気持ちが胸中で彼を強烈に焦らせている。
 兵士たちが発砲をつづける。どうにか彼にケガレを近づけまいと身を挺して防いでいる。そんなタカシ襲撃の支障になる兵士たちを、ケガレが排除しようとして数人の兵士が息絶えた。数匹の黒犬が兵士たちの防御陣を破ってタカシに襲い掛かった。もうタカシは銃使用の出し惜しみはやめた。可能な限り急いで発砲して、充填して、また発砲した。
“邪魔をするな、リサに会わせてくれ。そこをどけ、何があってもリサに会う。邪魔をするな、そこをどけ!”
 タカシの身体の周囲を包むように白いもやのようなものが浮かび上がった。兵士たちの攻撃をかいくぐり、タカシの攻撃を避けて何匹かの黒犬が彼に襲い掛かった。すぐさまナミが左手で球体に変える。次々に襲ってくる。彼らは次々に撃退していく。どの攻撃もかいくぐって一匹の黒犬がタカシの喉に噛みついた。しかしその牙が皮膚に達する寸前で止まった。黒犬は獰猛なうめき声を上げながら尚も噛みつこうと試みた。その背をノスリが銃身で思い切り叩き折った。
 タカシはその衝撃でその場に座り込んだ。全身のもやが消えかかっていた。ナミがその姿に視線を送った。
「立ちなさい。また次がくるわよ」
 その言葉が聞こえたすぐ後に、ツグミがその横を駆け抜けながら声を掛けた。
「あたしが塔に行く。行ってケガレの再生を止めてくる」
 ナミは一瞬、ツグミを止めようとした。しかし出しかけた言葉をぐっと抑えつけた。このコなら現状を打破することができるかも、そんな微かな予感がツグミを止めようとする彼女の動きを制していた。きっとツグミも同じような予感を抱いている、そんな気がしていた。
 実際、ツグミの頭の中にはこの現状をどうするのか、どうすればいいのか、具体的な考えは一つもなかった。しかし塔に行かなければいけない気がしていた。自分が行けばどうにかなるんじゃないか、という気がしていた。
「援護します」
 アビの声がして振り返ると四人のイカル班々員がいた。混乱の中だったのでいない班員が死亡したのか負傷して退いたのかは分からなかった。ただ、半数にまで班員が減ってしまった。イカルが知ったらきっと悲しむだろう、そう思ったが、状況が状況だけに仕方がない、と自分自身に言い聞かせた。さっと全員の目を見渡した。そして軽くうなずいた。
「頼んだわよ」
 ツグミをはじめイカル班々員は前進を志向した。しかしそれはすぐに足止めを喰らった。ケガレたちはツグミたちが塔に向かって進みはじめたことを認識したとたんに、彼女たちに向かって多くの勢力を割いて計画を頓挫させるべく襲い掛かってきた。班員たちは必死に道を開こうとした。しかしあまりの敵勢力の多さに単なる焼け石に水状態でしかなかった。
 ツグミたちと塔の間にはすでに無数のケガレがうごめいていた。目的地はすぐそこに見える距離だったが、状況的には少しも先が見えていなかった。彼我の戦力差がありすぎる。ノスリたちは自分とタカシの身を守ることで精いっぱいだった。援護など望むべくもなかった。
 ナミはタカシの姿を見た。何とか塔に近づこうと気ばかり焦るが、実際次々に襲ってくるケガレに対応することでさえ手に余っていた。ただ、ほのかに彼の身体を包んでいる白い光によってかろうじてケガレの襲撃をしのいでいた。 
 さっと見渡しただけでも兵士の何十倍、いや何百倍ものケガレがいることは明白だった。どう見ても勝ち目はなかった。勝ち目はなかったがこの狭い地下空間には、すでにどこにも逃げ場所はない。どこにも逃げられないからその場に留まって戦うしかない。悲壮感の塊のような必死の形相をした兵士たちは正に命がけで戦った。エネルギーが尽きるまで撃ちつづけ、そして倒れていった。
 戦闘部隊の兵士は全員ここに集結しているはずだった。しかし、その数はもう残りわずかだった。全滅が目前に近づいていた。
 ツグミは必至に抵抗した。全身を使って抵抗した。目の前の場面が次々に遷り変っていく。エネルギー弾の破裂、黒犬が走ってくる。黒衣の者も音もなく駆け寄ってくる。目まぐるしい変動に目に映る場景はフラッシュバックのように刻まれていく。次第に現実味が薄れていく、何か単なる映像を見せられている気になってくる。
 イカル班の班員たちは、ツグミを前進させようとただ必死に戦った。ケガレたちは兵士たちを殺す事だけを志向していた。相手の体内に入り込む余地があれば、苦悶の表情を浮かべさせて殺し、その余地がなければ噛み付き、物理的に倒そうとした。黒衣の者も無理に身体を乗っ取ろうとはしなかった。ただ目前の兵士を殺すことだけに集中しているようだった。
 イカル班の兵士が一人は黒犬に喉を噛み切られ、一人は黒衣の者に体内に侵入されて殺された。もう一人は気づかないうちに消えていた。残ったのはツグミとアビだけになった。
 あたしたちの班員に何するのよ!ツグミは無慈悲にも現実を突きつけられ、瞬間的に憤怒の感情に包まれた。
 この二年間、イカルが自らの指揮する班員たちに信頼されるため、どれだけ苦悩を味わい、どれだけ努力をしてきたか、ツグミが一番そばにいて、一番よく理解していた。それだけに許せなかった。それまでの時間も血のにじむような努力もすべて無にしてしまったケガレたちが絶対に許せなかった。
 あああー、と背後で叫び声が聞こえた。ツグミが振り返ると、アビが黒犬と黒衣の者に取り囲まれていた。とっさに発砲し、駆け出した。
 肩に激痛が走った。続いて右足のふくらはぎにも。恐らく黒犬が噛みついているのだろうが、それを無視してツグミはアビのもとに駆けた。もうこれ以上、イカルの班員を殺させるわけにはいかない、その一心で。
 アビの周囲にいたケガレたちはエネルギー弾の破裂に一斉にツグミの方を向いた。その間を縫ってツグミはアビのもとにたどり着くと、駆けながらアビの上着の胸元を両手でつかみ、振りかぶり、そのままノスリたちのいる方へ力の限りに放り投げた。
「逃げなさい。行って!」
 アビはけっこうな距離を投げられた。ノスリたちのいる場所には這ってでも行ける距離だった。アビは右肩を激しく地面に打ちつけたがその痛みに耐えながらもすぐに上体を起き上がらせた。
「先輩!」
「行け!」
 アビの声とツグミの声が重なった。アビの視線の先でツグミの身体中に黒犬と黒衣の者が次々と折り重なるように飛び掛かった。アビは思わず言葉にならない声を上げた。
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