忘我の中(8)

文字数 5,590文字

 深層牢獄に向かうエレベーターに、ノスリとその班員三名が、拘束帯にがっちりと上半身の自由を奪われた状態のタカシを、取り囲むように立っていた。
 ノスリはタカシの後方に立ち、手に持ったHKIー500の銃口をその背中に向けていた。
 タカシにどうしてほしいのか、彼自身分からなかったが、とりあえずは死んでいった仲間たちに泣いて詫びを入れさせるつもりだった。もし抵抗するようならその時は一思いに・・・、そういうつもりだった。しかし目の前のタカシには何も期待できそうになかった。謝罪するどころか、抵抗する気力さえないように見受けられた。
“どうしてしまったんだ、こいつ?”
 気勢を削がれてしまった状態で、ノスリは指令通り、この反逆者の身柄を連行する他なかった。
“本当にどうしてしまったんだろう。目の前で人が死にすぎてしまったせいだろうか”
 大勢の人の死に直面したのはタカシもノスリも同じだった。何とか救おうとして救えなかった、それも同じだった。ノスリにもそれはよく分かっていた。分かってはいたが、やり場のない怒りをどうしてよいのか分からず、ただ銃口とともにタカシの背中に冷たく注ぐばかりだった。
 試しにエレベーターに乗るまでに何度か挑発してみた。こずいてみたり、罵ったり、おどしたり。しかしどのような行為に対してもタカシは無反応だった。好きにしてくれ、全身でそう言っているようだった。
 何かの抜け殻のよう。気力も感情もない、ただの肉塊のようだ。空虚だけがそこにはあった。
 この男は政治犯だ。反逆者なんだ。この世界の体制に革命でも起きて大きく変化がない限り、深層牢獄から出ることは二度とないだろう。それで充分かと問われても正直言って分からない。死んでいった仲間はそれで報われるのだろうか、自分の気はそれで済むのだろうか。そんな思考をくり返すうちにエレベーターが停止して、扉が開かれた。エレべ―タ―を降りてすぐに、見るからに重そうな鉄扉が閉じていた。その扉の物々しさが中での生活の厳しさと警備の厳重さを表しているように思えた。
 ノスリがその扉に近づくと重く引きずるような音を立てながら扉が横に開いていった。扉の向こう側、すぐそこに看守が五名立っていた。
「認識番号0502139、受刑者A8648を連行しました」
 ノスリが敬礼しながら言うと、看守の一人が返礼しながら言った。
「受刑者A8648の身柄を確かに引き継ぎました。ご苦労様でした」
 ノスリの班員がタブレットと専用のペンを手に看守たちに向けて歩み出た。その時、誰も気づかなかったが、その班員の足元、靴裏から黒い影が音もなく、一歩進み出た看守の靴底に移動した。
 その看守がタブレットに署名して引き継ぎが終了した。
 ノスリはジッとタカシの姿を凝視した。タカシは看守たちに連行されながらも足元をただ見つめて顔を上げることをしなかった。
 何か釈然としない。ここで残りの人生を過ごさせてしまってよいのだろうか、果たしてそれがこの男の贖罪になるのだろうか、ノスリはいつまでも答えの出ない問いをくり返しつつ、班員たちとエレベーターに乗り込んだ。深層牢獄の鉄扉が再び音を立てながら閉まっていった。
 タカシを連行する看守が移動し始めると、その足元に黒いシミが残っていた。そのシミは看守たちが移動して誰もいなくなると、ゆっくりと動き始め、あちこちさまよった挙句、一か所、床と壁の間に空いたごく小さな隙間にたどり着き、その中に入っていった。その黒いシミは志向した。この地下の深層から仲間がいる場所に。急速に移動していった。

 ナミは地表に降り立った。
 真っ白いYシャツとグレーのパンツスーツに身を包み、髪は後ろで束ね、フレームが細い横長の眼鏡を掛けた装いだった。
 先ほど魂を送った時の姿を変えないままにきていた。立て続けに三人分の魂を送ったのでかなりの時間が掛かってしまった。途中、抜け出したい気は多分にあったが、マスターに叱責された後だったので、そんなことは無理だと自分を諭す以前に、そんな思いを打ち消していた。
 ナミは手のひらに映像を浮かび上がらせてタカシの居場所を捜した。すぐに見つかった。地下深くにいる。一点に反応があった。反応があるってことはまだ生きている、ということだ。ナミは正直、ほっとした。
 すぐにタカシがいる場所を拡大して表示した。ただの地図だったが、建物内部の構造まで見ることができる。あまり広くない。一気に行くのは難しいか。
 彼女たちは人の魂や自我への出入りができる。その場所さえはっきりと分かっていれば、ピンポイントにその場所にいける。今回もいったんこの自我の外へ出てから、直接、タカシのいる場所に行くつもりだった。しかしその場合、一定の空間が必要になる。どれだけ詳細に移動先を特定しても多少の誤差が出る可能性があるため、空間に余裕がなければ自分を損なうことになりかねない。例えば今回、周囲は地中なので、どの方向かにずれてしまえば、そのまま地中に埋まってしまうかもしれない。そしてそのまま消滅してしまうことも無きにしもあらずなのだ。
 しかしその時のナミは時間を優先することにした。とにかく一刻も早く現場に復帰したかった。凪瀬タカシの旅の現場にいられることを望んだ。大丈夫このくらい広ければ充分移動できる。このくらいわけないわ。
 ナミは映像を消して、一度深く息を吸ってから姿を消した。

 再び山崎リサの自我に入った。
 思った通りの場所だった。しかし少し壁よりに近づいていた。その場所を視認できた瞬間、すぐ横に壁があったので、とっさに反対側に身体をずらした。プチプチと数本の髪の毛が切れる音がした。ナミは舌打ちをした。
 薄暗い部屋だった。空気中の温度は一定に管理されているようで、寒さは感じられなかったが、床の冷たさが足元を侵食していくような底冷えを感じる部屋だった。
 横の壁際にパイプで組まれたベットと奥の角に便器があるだけの部屋だった。
 ナミは、ベッドの奥の床に直に座って、壁に背中を預けているタカシの姿を認めた。
「待たせたわね。まだ生きているのは良かったけど、いつの間にか、こんな部屋に住み始めたのね。お世辞にも趣味がいい部屋とは言えないわね」
 ナミは別に返答を求めていた訳ではなかったが、タカシが無反応なのでいぶかしく思った。
「とにかく湿っぽいし、何か臭うし、空気は淀んでいるし、衛生的には最悪ね。空調は調節できないのかしら。まぁ、すぐに出ていくから関係ないけど」
 タカシは声を発するどころか身じろぎさえしない。
「ねぇ、あなたどうしたの?現在の状況を教えてくれないかしら?ねぇ、聞こえている?いったいどうしたの?」
 ナミは彼に近づいて、その肩に手を置いて少し揺すった。
「あぁ、ナミか、ごめん。少しぼーっとしてて、気がつかなかった」
 声にまったく張りがなかった。ナミに向けた目は虚ろで活力の欠片も感じられなかった。
「どうしたの?何があったの?」
 ナミはタカシを凝視しながら訊く。タカシは視線を逸らしながら言った。
「うん、なぜか捕まって牢屋に入れられてしまったんだ。俺が何したっていうんだろう。何かわけ分かんないよな、この世界って。もう早く帰りたいよ。そういえばナミ、ルイス・バーネットがどこにいるのか知らないか?彼が連れて帰ってくれるはずなんだけど、ちょっとはぐれてしまって。どこにいるのか分からないんだ」
 ナミはすべてを察した。蛇男の言霊に縛られたのね、これはやっかいなことになったわ、どうにかしないと。
「あなた何言っているの?あなた山崎リサを救うんじゃなかったの?あなたがいないと山崎リサは現実世界で確実に死ぬわよ。山崎リサが死ねば、この世界も消滅する。この世界にいる人たちも一瞬にして消滅してしまうのよ。それでもいいの?」
「良いも悪いも俺には関係のない話だろ」
 タカシの声に感情が宿ってきた。眉間にシワが刻まれていく。
「ルイス・バーネットが教えてくれたんだ。この世界はまやかしだって。そもそもリサの俺への気持ちもまやかしなんだって。そうさ、まやかしに応えてた俺の気持ちだって、ただの幻想でしかなかったんだ」
 いつしか苦渋に満ちた表情がタカシの顔をおおっていた。やがて両手でその表情を包み込んだ。
「何を言っているの?それはあなたの本心じゃないわ。ただルイス・バーネットの言霊に操られているだけなのよ。目を覚まして。本当のあなたの気持ちを思い出して」
 そんなことを言っても意味がない、ルイス・バーネットの言霊はそんな生易しいものではない、そう分かってはいたが、タカシをこのままにしておけない気がしていた。言霊の縛りはいつまでも続く。彼が年老いて枯れ果てて山崎リサのことを、その記憶のすべて、その存在自体を忘れ去ってしまうまで、果てしなく続く。それはあまりにも残酷なことに思えた。
「ごめん、気分が悪くなってきた。あのコのことを考えると気分が悪くなるんだ。文字通り胸くそが悪くなる。とにかく俺は帰るから。今までいろいろ迷惑掛けたけど、これで君も晴れてリサの魂を送ることができるだろ。良かったじゃないか」
 やっぱり離れるべきじゃなかったのね。今更言っても遅すぎるけど。でも今までのしつこいくらいにもがいていたのは何だったの?どんな状況にもくじけず、どんな困難にも立ち向かっていったのは何だったの?こんなことであきらめるの?タカシを詰問する言葉が次々に漏れ出しそうになっていく。それを何とか理性で食い止めていく。
 どう説得したらいい?言霊の縛りを解く方法は?せめてどんな言霊だったか分かれば、対処の仕方も分かるかもしれない。ナミは思考力を総動員して対応の仕方を模索した。しかしこれといった方法が思いつかない。不快、自分の力のなさが骨身に染みた。とにかくもっと情報がほしい。話を続けるしかない。
「凪瀬タカシ、忘れてもらっては困るわ。私とあなたの間には契約があるの。勝手に帰るなんて言われても困るのよ」
「ああ、そうだったね。でも俺にその気がなくなってしまったら、契約自体履行できないじゃないか。意味のない契約だから解約させてくれないか」
「ちょっと待ってよ。何、勝手なこと言っているのよ」
 ナミは自分が感情的になっていることに自分自身驚いた。たとえ契約を解消したとしても、それはただ単に、元に戻るだけ。そもそも彼女にとってはこの世界のことなどどうでもいい事柄のはずだった。でも、はいそうですか、と言う通りに、契約解消を呑む気にはなれなかった。なぜか我慢ができなかった。
「いい、あなたと山崎リサの間には、とても強い繋がりがあるわ。それは誰もが手に入れたいと心の底から希求するほどの強い人との繋がりよ。誰もが手に入れたいと望むけど手に入れることが叶わない繋がりなのよ。それをこんなことであきらめていいの?そんな繋がりを失くしたあなたの心は、きっと喪失感にさいなまれ続けるわ。さいなまれ続けた心はきっとあなたを責め続けるわ。それこそ死ぬまで。それでもいいの?こんな所で山崎リサのことをあきらめていいの」
 タカシは膝を抱えて一点を見つめていた。何かを必死に思い出そうとしているようにも見えた。しかし突然立ち上がり、うめき声を室内に響かせながら便器に駆け寄った。そして吐いた。便器を抱えるようにして何度も、何度も。
 一通り吐き終わって、激しい呼吸をくり返した。つらい、苦しい、あるはずだった感情がどこかに消えて、ただ虚しく、寂しく、悲しい。確かにあった感情を取り戻そうとしたとたんに激しい苦痛にさいなまれる。もう、無理だ。
「もうやめてくれ。リサのことはもう考えたくない。彼女のことを思い出すと言葉にできないほどの怒りが湧き上がってきて、悲しい気持ちに胸が張り裂けそうになる。嫌な感情ばかりが湧き起こるんだ。もうリサのことは考えたくない。つらいんだ。なぜそんな感情を抱いてしまうのか分からないから、なぜそんなに彼女のことを責めないといけないのか分からないから、苦しくってしょうがない、頭がおかしくなってしまいそうだ。つらいんだ」
 タカシは便器に向かって叫んでいた。その姿はナミの目には虐待を受けている子犬のように哀れに映っていた。
「おい、何を騒いでいる」
 廊下で声がした。こちらに近づいてくる足音が聞こえた。
 ナミは静かに目を閉じた。そして目を開けて言った。
「分かったわ。契約を解消してあげる。もうあたしがあなたの所に来ることはないわ。あなたはルイス・バーネットに連れられて自分に戻って。あなたが消えたら私は山崎リサの魂を次の命に送るわ」
 ナミはその手に、どこから取り出したのか契約書をつかんでいた。
「本当にいいのね」
 廊下を歩く足音が近づいてくる。タカシは身じろぎもしなかった。
「契約を破棄して、本当にいいのね」
 タカシは動かない。足音がすぐそこまで近づいている。
「もう二度とあたしが来なくてもいいのね」
 タカシはゆっくりうなずいた。
 ナミは目を閉じた。
 契約書が下の端から粉々に散り散りに風化して消えていった。
 やがて契約書はナミの手から完全に消え失せた。彼女はゆっくり目を開いた。感情の欠片もない、作り物のような目がそこにあった。
「私とあなたの契約は解除された。あなたは再び一二五番の庇護下に入り、私は山崎リサの魂を送る。さっさとここから退去しなさい。いいわね」
 看守がタカシの入っている独房にたどり着き、その、のぞき窓から中をうかがった。室内にはタカシ一人が便座を抱えて座っている姿しか見えなかった。
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