超克の中(9)

文字数 5,326文字

 大柄な委員が、倒れている委員を跨いでツグミの方に近寄ってきた。ツグミは数歩進んで、他と比較して幅の広い通路に出て、その委員と正対した。
 大柄な委員がゆっくり歩いてくる。互いの距離が次第に縮まっていく。委員は特に攻撃姿勢はとっていない。普通に歩いてくる。まだ互いの間合いに入っていないせいもあったが、その顔には笑みさえ浮かべていた。この小娘が、本気で俺と殺り合うってのか、ここでこの反逆者を捕まえればいい手柄になるな、そうその顔がありありと語っているように見えた。
 ツグミは闘い合う前に、その委員が形だけでも説得するものだと予想していた。ナイフを捨てて、両手を上げて、ヒザを着け、とでも言われるものと思っていた。しかしその委員も格闘が好物だった。とりあえず相手が闘う意思を見せている、今の状況を楽しみたい気持ちが先走っていた。その委員は自分の間合いに足を踏み入れた瞬間、急に踏み込みナイフを彼女に向けて突き出した。
 ツグミは後ろに下がってその切っ先を避けた。委員は手をかえして更に踏み込みナイフを横に払った。ツグミは更に後ろに下がって避けた。
 ミサゴに比べて、遅い、鋭さがない、踏み込みが甘い、怖さがない、いける!ツグミは一瞬にしてそう直感した。そのとたん、今度は自分から踏み込んだ。一気に互いの距離が縮まった。相手の顔がすぐそこにある。その顔目掛けて右手に持ったナイフを横殴りに払った。委員は瞬間的に身体をのけ反らせて切っ先を避けた。両手が開いている、身体が無防備、狙いはここ!ツグミは左手の親指を立て、他の四指を握り締めて、更に踏み込みながら相手の首の付け根、喉ぼとけの下の部分に全力を込めてその親指を突き刺した。
 ぐえ、と声を上げたかと思う間もなく委員は激しく咳込みはじめた。意識が喉付近に集中している、足が横に開いている、次はここ!ツグミは右足で思いっ切り振り抜くつもりで相手の股間を蹴り上げた。委員の苦悶の声が辺りに響く。委員は股間を手で押さえ苦悶の表情をたたえながら前かがみに崩れ落ちていく。ツグミは自分の腰辺りの高さまで下がってきた委員のこめかみを狙って右足で回し蹴りを見舞った。大柄の委員の頭が大きく右に傾いた。そして、その反動ですぐに元に戻ってくるところを、つづけて首を狙って、再度、回し蹴りを見舞った。大柄の委員の頭は、今度は左側に大きく傾き、そしてそのまま声も出さずに蹴りに押されるままに横倒しに床に倒れて静かに横たわった。
 あ、気絶した。情報を訊き出すつもりだったのに、やりすぎちゃったわ。ツグミは、自分が意外と強くなっていることに自分自身、少し驚いた。
 数量的な力が特別強くなっているわけではなかった。しかし同じ打撃でも数倍のダメージを与えられる場所、一発で戦闘不能にさせる場所、そのやり方、そういったことをくり返しミサゴに教え込まれていた。身体の大小に関わらず、力の強弱に関わらず相手を倒せるような技術である格闘術を、ツグミの身体に、力量にあった方法で闘えるように、ミサゴは教え込んでいた。それをツグミの身体がよく覚えていた。考えるよりも感覚で次に攻撃する場所が分かった。考えるよりも先に身体が動いていた。
 ツグミは周囲を見渡した。この部屋には先ほど五人の委員が走り込んでいた。少なくともあと三人はこの部屋の中にいるはずだった。どこかに潜んでいる、それは分かったが、とりあえずすぐそばではないようだった。少しだけ緊張感がほぐれた。とたんに足首や脇腹など身体のあちこちから激痛が全身を駆け巡った。ツグミは歯を食いしばりつつ部屋の中心部に向けて歩を進めた。
 自分でも驚くほど落ち着いていた。どこからか、いきなり襲撃される可能性が多分にあった。しかし逆に襲撃してこい、と思っていた。その方が話が早い。とにかくこんな所で時間を潰しているヒマはない。焦りが恐れや痛みを凌駕して彼女の身体を前へ前へと進ませた。
 目の前、少し先の左右に横道があった。そこへ差し掛かり両側ともにすばやく確認する。先ずは左、何もない。次に右、と思ったとたん、右側通路から委員が飛び出し、彼女のナイフを持った右手目掛けて足を蹴り上げてきた。とっさに身体の左側に右手を動かして、その蹴りを回避した。と、その瞬間、どこから湧いて出てきたのか他の委員が彼女の身体の前に両手を広げておおいかぶさるように襲い掛かろうとしていた。両手で彼女を拘束して身動きを取れなくしようというつもりなのだろう、そして右側の委員は腰辺りまで引いたナイフを今にも突き出そうとしていた。
 ツグミは軽く右に踏み込みナイフを横一線に振って、その切っ先が右側にいる委員の視線の先と重なる場所で停止させ、その体勢のまま手を伸ばせば触れられるほどにまで接近している正面の委員に向けて、下から左手を突き上げた。手のひらに顎がかすったがそのまま突き上げる。鼻が中指と手のひらに当たるが力づくで勢いのまま突き上げる。今!そう思うと同時に、瞬時に腕と手首と指を伸ばす。狙い通りに相手の両目に指先が突き刺さった。正面の委員はのけぞり、目を固く閉じ、顔を背け、進行を止めた。それを見た右側の委員は、片手で、下方向からツグミのナイフを持つ手を突き上げて、自分に向けられていたナイフの切っ先を払いのけるのと同時に、ツグミの腹部に蹴りをくり出した。ミシッと音がした。ツグミはまともにその蹴りを喰らって、身体を折り曲げた状態で後方に飛ばされた。ナイフが手を離れてどこかに飛んでいった。
 床に叩きつけられたツグミは、すぐさま片ヒザと片手を床に着けた姿勢まで起き上がった。正面にいた委員はどうやら失明は免れたようだったが、苦痛の表情をていしながら、しきりに瞬きをしていた。右側の委員は次の攻撃に移るべく一歩足を踏み出した。その足にぬるっとした柔らかさを感じた。泥の中に足を踏み入れた、ぬかるみに足を取られた感覚。委員は足元を見た。床の上に厚みのある透明な液体が自分の足ともう一人の委員の足元にあった。二人とも足首まで液体に包まれていた。そしてその液体は細い線を描いて、ツグミの床に着いた手元につながっていた。
 ツグミは静かに液状化した発光石から手を離した。一瞬にして、発光石は元の石に戻った。もちろん委員たちは、身動きが取れなくなった。
 ツグミは屈んだまま後ろ向きに通路を下がっていった。さっき蹴られた腹部が痛んだ。痛みが小さな球体になって内臓やあばら骨に跳ね返りながら腹部を勢いよく転がり回っている感じがした。
 右側の委員がナイフをまだ手に持っている。投げつけられないように警戒しつつなるべく急いで後ろに下がっていった。そして先ほどHKIー500を床に置いた場所にたどり着いて、両手で持ち上げた。
 ツグミは上体を起こし、エネルギーを充填しつつ、顔の横に構え、照準器から委員たちの姿を見ながらその方向へ歩を進めた。
「ナイフを床に置いて、今すぐ」
 周囲に満ちている機械音に混ざってツグミの声が委員たちの鼓膜を揺らした。
「まて、ここで銃を使うな。分かったから、銃を下ろせ」
 委員たちが口々にツグミの行動を制止しようと声を掛けた。
「早くナイフを下ろして。ナイフを置きなさい」
「分かった。ほら置くぞ」
 右側の委員がナイフを床につけ、滑らせるようにツグミの方に投げた。金属のこすれる音が辺りに響いた。
「さあ、銃を下ろしてくれ。こんな所で銃を使ったら大爆発が起きるぞ。みんな死ぬどころか、全部吹き飛んでしまう」
 ツグミは銃を構えたまま更に二人に近づいた。視界に二人の動きが同時に認識できる程度の距離、エネルギー弾を放ったら決して外さないだろう程度の距離まで進んだ。
「この部屋にはあと何人いるの?お方様に会うにはどうしたらいいの?」
「頼む、頼むから銃を下ろしてくれ。答えるから、先ず銃を下ろしてくれ」
 右側の委員が努めて穏やかな声音でツグミを説得しようと試みた。
「いいから答えなさい。答えなければ、全部きれいさっぱり吹き飛ばしてやるわよ」
「答える、答えるよ。この部屋にはもう誰もいない。俺たちだけだ」
「嘘を言わないで。まだいるはずよ。どこにいるの?」
「嘘じゃない。他の者たちは上階に向かったはずだ」
「何人いるの?上には何があるの?」
「あと賢人一人と委員が三人いるはずだ。上の階はブレーンの心臓部がある、更にその上はブレーンとの連絡を行う通信室になっている。四人はどちらかの階にいるはずだ」
「お方様に会うにはどうしたらいいの」
「それは俺には分からないが、おそらく通信室に行けば、何らかの答えが出るのではないかと思う」
「通信室にはどう行けばいいの?」
「この通路の先にエレベーターがある。それに乗って三階に上がるんだ。三階から通信室につながる通路を上がればいい」
「そう」
 エレベーターはあたしには反応してくれないだろう。困ったことになった、とツグミは思った。この委員のどちらかを連れて行って、とも思ったが、もう発光石の残りはない。HKI―500を発砲することもできないこの中で、負傷している現状では、また抵抗された時に対処できるか心もとなく、なるべく委員を連れて行きたくなかった。他に何か手がないか探った方が安全ではあった。
 とにかくこんな所で立ち止まっているわけにもいかない、とも思った。とりあえず動くの、動けば何かヒントでもあるかもしれない。彼女は委員たちをその場に残して動き出した。
“ミサゴ、とりあえず勝ったわよ。不足だらけでしょうけど、あなたの格闘術はあたしの中で生きつづけているみたい。今まで一度も思った事ないけど、ありがとうね、ミサゴ”そう思いながら。
 身体がきしむ。全身が泥のように鈍重に感じられた。その身体を引きずりながら部屋の奥へ、エレベーターのあるだろう場所に向けて進んだ。
 通路の奥にエレベーターはあった。それは透明な筒の中にあった。前方に扉はなく三方にだけ白い壁があった。ツグミは乗り込み、三階へ、と声を掛け、パネルの操作を試みた、がやはりなんの反応もなかった。途方に暮れた思いでエレベーターを降り、周囲を見渡した。階段でもあればいいんだけど、と思ったがいくら見渡しても見つからなかった。ただ周囲を見渡すうちにエレベーターの設置された場所より更に奥に大きな筒状の構造物があることに気が付いた。
 その控え目だがメタリックに輝く構造物が視界に入ると同時に、何か吸い寄せられる感覚が生じた。自分を呼んでいる気がする。
 ツグミは銃を構え、充分に警戒しながら奥に向かって進んで行った。周囲に人の気配は感じられない。機械音だけが重なり合いながら間断なく鼓膜に響いてくる。
 その構造物はツグミの背より遥かに高く、ツグミが両手を広げるより遥かに大きかった。
 正面に人の顔ほどの小窓があった。そこからのぞくまでもなく、キラキラと光り輝きながら動き回る流れが見えた。恐らくそれは発光石から抽出したエネルギーなのだろう。するとこの構造物はそのエネルギーの貯蔵施設、もしくはエネルギ―を電力に変換する発電機、もしくはその両方なのではないだろうか。ツグミにとってはそこら辺はどうでもいい話だったが、ただその光り輝く流れに魅せられて視線を外せなくなっていた。見ていると嬉しい気持ちになってくる。楽しく、穏やかな気持ちに。
 そんなツグミは、ふと視界の端に違和感を感じた。その方向に目を向けた。白衣に身を包んだ男が一人、ひっそりとうつぶせに倒れていた。それが賢人のうちの一人だということは服装を見れば明らかだった。その賢人の横には彼女の腕ほどの太さのプラグが一本転がっていた。
 ツグミはすぐにその賢人と思われる男のかたわらにヒザをつき、片方の手の指を男の首に当て、続いてその鼻と口付近に自分の耳を近づけた。
 脈もないし、息もしていない。間違いなく死んでいるわね。ツグミはすぐ横にあるプラグに視線を移した。その先から電流がバチバチとはぜるように細かく放出されていた。どうやら、この人は感電して絶命したようね。
 ツグミはそのプラグの先を見続けた。どうにも視線を外すことがためらわれた。その放出される電流を見ているとなんだか自分のことを呼んでいるような気がしてきた。
 ・・・ツグミちゃん、ツグミちゃん、こっちに来て。あたしに触れてみて、ねえ、ツグミちゃん・・・
 ツグミは魅せられるがままにプラグに向けて手を伸ばしていった。その先から放出されている電流に向けて手を差し出した。
“ツグミ!”
 頭の中でイカルの声がした。その声にハッと我に返って、とっさに手を引こうとした、その瞬間、プラグの先から大量の電流が一気に放出され、ツグミの指先に向かって、一筋の光の線を描いた。
 瞬間的に目の前が真っ白になった。
 大量の電流がツグミの身体の中を駆け抜けた。身体が小刻みに揺らされた。そして電流が弱まると同時に、解放された身体は、そのまま仰向けに倒れていった。
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