邂逅の中(5)

文字数 4,563文字

 タカシは思わずツグミを凝視した。その姿のどこかにまたリサの欠片でも見付けることが出来るかもしれない、そう期待して無意識のうちに見つめ続けた。
 ツグミは人に凝視されることに慣れていなかった。だから頬を赤らめてすぐに目を逸らした。そしてまだ見られているのか確認のため再度視線を上げたところ、再び視線を向けられていることを察知してとまどった。
「あ、あの、選ばれし方様、どうか、されましたか?」
「え、あ、あぁ、ごめん。ちょっと知り合いに似てたから。ついジッと見てしまった。気を悪くしないでくれ」
 二人の会話が気になって再度、イカルは振り返った。ツグミが更に顔を赤らめながら、視線を逸らして足元に向けていた。
「いえ、気を、悪くなんて、してないです。大丈夫、です。ただ・・・」
 最後の方は消え入りそうな声だった。
 タカシはツグミの声がよく聞こえなくて聞き直そうとした。その途端、イカルが、抱いた違和感を振り払うように身体ごと振り返った。
「選ばれし方様、何か問題でも?」
 突然問われて、タカシはあわてて答えた。
「いや、別に何も」
「そうですか。失礼いたしました」
 イカルは言い終わるとツグミに視線を移した。
「ツグミ」
 イカルはいつも通りの声の大きさで呼んだ。すぐ近くにいたので聞こえているはずだった。
「・・・」
 ツグミは顔を赤らめてうつむいたままだった。イカルは心中に湧き上がってくる感情を押し殺そうと努めながら言った。
「ツグミ、返事をしろ。委員会に連絡して・・・」
「えっ、何?ごめん、もう一度、言って」
 ツグミがハッと気づいて上げた顔を見て、イカルは抑えていた感情が心の容量を超えてあふれてくる様を感じた。そして、これは自分の感情に流されて言うのではなく職務上必要だから言うんだ、ととっさに、自分に言い訳をした。
「ツグミ、アビと交代しろ。今すぐだ」
 ツグミは狼狽の色を濃く示しながら言った。
「ちょ、ちょっと、待って。いやよ」
「バカ、命令だ。弛んだ態度のお前がいると警備に支障が出そうだから後方に下がって反省しろって言っているんだ。さっさと下がれ!」
 イカルのすぐそば、一番近くはあたしの場所。あの日からそうだった。
 それはあたしの能力をイカルが必要としたわけじゃない。そもそもそんな能力なんて、あたしにはないし、あくまであたしの事情。あの日からのあたしの事情。それをイカルが受け入れてくれただけ。だからイカルがその場所からいなくなれと言うのならいなくなるしかない・・・。
 ツグミは足元を見つめたまま黙っていた。しかしHKIー500を持つ手にぐっと力を入れたかと思うと下を向いたままで言った。
「了解」
 そのままきびすを返してツグミは後方へ下がって行った。その背中に気の落ち込みようが色濃く塗られていた。
「醜態をお見せいたしました」
 イカルがタカシに向けて深く頭を下げた。
「いや、醜態なんて。それより彼女は俺の質問に答えてくれてただけだ。俺が悪いんだ。彼女を責めないでくれないか」
「いえ、選ばれし方様に落ち度などありません。班員の気の弛みを正すために言ったまでです。あいつ、いえ彼女は少し選ばれし方様への敬意が足りないように見受けられました。御身の近くに置いておくのは支障があるかも知れませんので配置換えした、そういうことです」
 とてもしっかりとした受け答えだった。もっともらしい返答だった。

 ツグミはただHKIー500を両手で抱えて、じっと前だけを見て列の後方へ向かって歩を進めた。平行式エスカレーターに乗っているので実際はその場にとどまっている形になっていたが。
 後方警備は二人ずつ二組で編成されていた。タカシたちのすぐ後ろに二人立っていた。ツグミはその二人に目もくれず、その真ん中を通って更に後方へ進んだ。少し離れた所に背の高い少年兵とアビが立っていた。
 なんかあたしを睨んでる、アビは普段より目つきが悪くなっているツグミが、ジッと自分を見つめながら一直線に向かってくる姿に圧迫感を感じて、思わず逃げ出したい衝動に駆られた。
 何?私、何かした?何を考えてるのか分からない、怖い。ツグミの目がどんどん近づいてくる。目を逸らしたかったが、逸らした途端に何をされるか分からない気もして、ただ見返していた。そしてツグミがすぐ目の前で立ち止まった。
「お疲れ様です」アビは直立して言った。横にいる少年兵もアビと同期でツグミの後輩に当たるためアビにならって直立していた。
「アビ・・・、交代」
「はい?」
 ツグミの何と交代するのか分からずアビは訊き返した。
「あたしと・・・交代・・する・・。す・・す・ぐに・・・イカルの・・ところに行っ・・て」
 この班が現在の班員で始動して以来、イカルのサポート役をツグミと交代するなんてことは、アビに限らず他の班員にとってもかつてないことだった。班で動く場合、イカルの横には常にツグミが存在し、それは班内の不文律として、すべての班員にとって今更意識もされないほどに当然のことだった。
 そんな状態だったので、当然アビはサポート役の仕事が何をすることなのか理解が及んでいなかった。しかしこの場でツグミにそれを質問する気にはなれなかった。
「了解しました」
 直立のままそう言うが早いかアビは駆けていった。
 後に残された背の高い少年兵は面倒事を避けるために、すぐさま仕事に戻って、後方を中心に周囲を警戒した。
 ツグミも同じように警戒したがその心中はどうしてもやる気が上がって来なかった。
“イカルのバカ。あたしだって選ばれし方様がイカルにとって大切な人だって思ったから、変な女だって思われないように、不愛想な女だって思われないように努力したのに。ただ、確かにあの人といると気分が明るくなった。まるでイカルと一緒にいる時と同じような楽しさを感じた。イカル以外の人にそんな感覚を抱くなんて驚きだわ。正直、嬉しかった。嬉しくてつい、緊張感が足りなくなってしまってたかも。でもそんなことでアビなんかと交代させなくてもいいじゃない。アビなんかと”
 心細かった。自分の存在の基盤が希薄になった気がした。だから口をツグんだ。口を開くと弱音が漏れてしまいそうだった。とめどもなく。

 イカルとツグミがどういった関係なのか、もちろんタカシには分からなかった。しかし上官と部下という立場にしろ、友人だとしても、恋仲なのだとしても特別に親しい関係だろうことは、これまでの二人の様子を見ても察することができた。何か、一緒にいようと意識する前に自然に一緒にいるような、そんな関係に見受けられた。そんな二人の仲を、自分がきっかけで結果的に綻びを生じさせてしまったのではないかと思い、タカシは落ち着かない気分を抱えていた。
 それにしても、先ほどツグミが見せた笑顔が気になってしょうがなかった。あれはリサの笑顔だった。確かにあのコも、リサの自我で生まれたんだからリサに似ていても不思議じゃない。でも他の人たちには見られない。あのコが特別なのだろうか。
 アビが小走りに駆けてきた。タカシとナミを追い越してイカルの後方に立った。
「アビ、参りました」
 アビが言った。イカルは少し振り返ってから言った。
「ご苦労。先ず委員会に選ばれし方様の待機する部屋の確認をしてくれ」
「了解しました」
 イカルとアビは更に打ち合わせをした後、アビが各所に通信連絡をはじめ、逐次その報告をイカルに対して行った。
「失礼します。班長のサポート役を引き継ぎましたアビと申します。何かありましたら遠慮なくおっしゃってください」
 イカルとの短い打ち合わせと作業が済んで、アビがタカシの横に並んで彼の方を見ながら言った。先ほど治療してもらって顔は見知っている。彼は、どうも、と言いつつとりあえず微笑んだ。
「選ばれし方様」
 イカルが突然、振り返って言った。タカシは視線を彼の方に向けた。
「間もなくB1区画セントラルホールに到着します。到着しましたら、先ずお部屋をご用意しておりますのでそちらでご休憩されてください。その後、この都市の中枢に当たります首脳部本部へとお連れいたします。もうしばらくお待ちください」
「分かった。手間を掛けるね」
「手間など何も。選ばれし方様にはいたらない点ばかりでご迷惑をお掛けいたしております」
「迷惑なんて何も。君たちには良くしてもらってるよ」
 そう言いながら彼は上着のサイドポケットに手を突っ込んだ。そこにはいつも決まってハンカチを入れていた。別に暑さを感じているわけではなかったが、周囲の緊張感のせいか、少し額が汗ばんでいた。彼はハンカチをつかんで取り出した。その途端、何かがハンカチと一緒にポケットから飛び出してきた。それは高らかな衝突音を響かせながら床面に落ち、弾んで後方にいた兵士の脇を通り過ぎて止まった。
 それは彼が地上の、昔パブだったのだろう廃墟で見つけた金属製のガスライターだった。ハンカチと一緒にポケットの中に押し込んだままにしていた。ハンカチを出そうとした拍子に引っ掛かって飛び出してきたのだろう。
 兵士たちはみな一瞬更なる緊張に包まれた。しかし事情を察して安心した。タカシの後方にいた兵士が一人振り返り、屈み込んでそのライターを手に取ろうと一歩足を踏み出した。しかし、その兵士は、地面が動いているために少しよろけた。そして、思わず踏み込んだその厚底ブーツの爪先がライターを蹴った。ライターは更に後方へと勢いよく飛ばされた。
 ライターは滑るように床の上を飛んで行き、何度か床に当たりながらツグミのいる方へ一直線に向かって行った。
 ツグミは自分に向かって何かが飛んできていることに気づいて、とっさに拾い上げようとしたがライターはその横をすり抜けて後方へと更に転がってから停止した。ツグミはあわてて駆けて行った。別に大したことでもないので他の兵士たちはただ成り行きを眺めているだけだった。
 身体が重い、何か気が乗らない、全部どうでもいい、ツグミはイカルと離れたがゆえの気の落ち込みようを噛みしめながらライターに追いついてそれを拾い上げた。ちょっとした事だけれど異常な事だし、イカルがこっちを見ているかもしれない、ふと、そう期待して手に持ったライターを掲げながら顔を上げた。イカルの視線はなかった。タカシの方を見ていた。
 タカシは、ツグミがライターを顔の高さに掲げる姿を見ていた。そしてすぐに、ツグミの表情が曇った気がした。
 何の前触れもなく、いきなり平行式エスカレーターが停止した。そしてツグミの前に防火扉だろうか重そうな鉄扉が上と横から勢いよく飛び出してきた。
「へっ?」
 タカシは瞬間的にツグミが姿を消し、鉄扉で完全に互いの間を遮断されたこの状況を呑み込むことができなかった。
「異常を検知しました。しばらく停止します。異常を検知しました。しばらく停止します」
 通路全体にアナウンスが響いた。その声に交じってツグミとともに最後尾を警戒していた兵士の声が聞こえた。
「班長、ツグミ隊員が閉じ込められています」
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