超克の中(6)

文字数 6,048文字

 普段なら単に無視するだけだったが、今のツグミは周囲の人々を説得しないといけない状況に身を置いていた。それに自分の言葉によって人を傷つけてしまうかもしれない、といういつも感じていた気後れはすっかりどこかに行ってしまったようで、今の彼女には名残も感じられなかった。
 レンカクは、ツグミやトビと同じ第一期の子どもだった。物心ついた時から同じ保育棟の中でともに過ごしてきた仲だった。でもツグミは彼を覚えていなかった。それはただ単に、イカルとレンカクとの関係性が希薄、ということだった。
 レンカクはただ自分のことに興味があった。他の人間に対しても、関わりを持って自分が得をするか否かでその価値を判断した。そして自分を高く評価する人間の集まりに所属することを、強く望んでいた。その観点から鑑みて、イカルたちの集団は甚だ魅力に乏しかった。イカルやトビはそうでもなかったが、アトリやノスリ、エナガやイスカなど個性的な子どもの集まりだったから、その集団の中では自分が埋没してしまう、としか思えなかった。またイカルもレンカクの性格を特に嫌悪することはなかったが好んでもいなかったので、必要がなければ近づくことや話し掛けることがなかった。だからツグミも自然とレンカクに接することがなく、その存在を覚えることもなかった。
「おい、早くこいつを拘束してこの場から引き揚げるぞ。お前たち、あいつを捕まえろ」
 レンカクは、あからさまに不機嫌な顔つきをして周囲の部下たちに向かって声を放った。部下たちは、トビと比べて遥かに気性の荒いレンカクに、常に緊張感を抱いて接していた。だからトビの指令よりもレンカクの指令の方が通りがよく、部下たちも機敏によく動いた。兵士たちはツグミに向かって歩を進めようとしたが、周囲にいる分身たちがその接近に対して威嚇で応えた。兵士たちは足を止めた。
「何してる。そんな小動物に威嚇されてビビってんじゃねえよ。抵抗するなら撃ち殺せ。早く逃げるぞ。こんな所にいたら全員死んじまう」
 周囲から円盤の群れが近づいてきた。ツグミは、お願い、助けて、と肩に乗っているタミンに向かって思念を送った。分身たちは瞬時に散開して兵士たちやツグミの周りを囲み、近づいてくる円盤に対して威嚇をはじめた。
「あなた、逃げるって、どこに行くの?」
 ツグミはレンカクに向かってゆっくり歩を進めた。充填の済んだHKIー500の銃口が真っ直ぐに自分に向けられている。怒りと焦りを宿した視線が目の前から発せられている。
「他の部隊と合流する。それから安全な所に・・・」
「安全な所?この狭い都市にこれだけのケガレが押し寄せてきているのよ。どこにそんな場所があるの?第一、この塔が占拠されれば、お方様がその力を失ってしまえば、この地下空間で人が生きることができるのかしら。ここを放棄してしまえば、どの道、死ぬしかないのよ、あたしたちは」
 再び円盤の群れが近づいてきた。分身たちの威嚇にわずかにためらいを見せたが、それでもその場に留まる様子はなかった。兵士たちは、レンカクやツグミやコガレたちよりも、その方が気になってしょうがなかった。
「他の奴らは逃げただろ。なんで俺たちばっかりこんな危険な場所にいなきゃいけないんだよ」
 円盤が次々に飛来してきた。
「各個、迎撃。確実に一体ずつ撃ち落とせ!」トビの声が響いた。
 兵士たちは次々にエネルギー弾を放った。撃ちもらした円盤が急速に兵士たちに近づいてくる。分身が飛びつき、噛みつき、掻きむしり、地面に叩き落し、霧散させた。
「あなたたちがどうするかなんて、あたしには関係のないこと。あたしはここを通してくれればそれでいいの。あなたたちも、他の人たちがどうしたかなんて関係ないじゃない。あなたたちがここを守る任務を放棄してほんの少し命を長らえるか、この世界のため、この都市に生きる人たちのために命を懸けて任務を遂行するか、どちらかよ」
 ツグミは胸を張って、まったく臆することなくレンカクに対峙している。
 円盤の群れは、兵士や分身の抵抗にいったん襲撃を取りやめて空中で待機した。
「俺は嫌だね。バカな住民のために、無能な班長のもと、使えない班員たちと一緒に死んじまうのは」
「勝手にすればいいわ。あなたはどうするの?トビ。あたしを通してくれるのかしら」
 ツグミはトビに視線を向けた。
「俺たちはこの塔にケガレが侵入しないように、ここを守備することが任務だ。人の侵入を阻むなんて指令は受けていない。通りたければ勝手に通れ。ただその理由だけ聴かせてくれないか。何で塔の中に入ろうとしているんだ」
「イカルのためよ、イカルは今、危篤状態なの。目覚めさせるにはお方様の力が必要なの。だからあたしはお方様に会いに行くの」
「はは、やっぱりな。お前が行動する理由なんてイカルのため以外にはないもんな。それにしてもイカルが危篤だなんて、何があったんだ?」
「話すと長くなるわ。とにかくまずい状況なの。早くお方様の所に行かないといけないの。だからここを通して、お願い」
 ツグミの目の輝きに一切嘘は見られない。真っ直ぐに自分の目を射抜いてくる。トビは苦笑した。
「分かった、行けよ。でも中には首脳部の二人の賢人とそれを守護する近衛委員たちがいる。彼らは、お方様に人が接触することを極力好まないと聞いている。力ずくでも阻止しようとするだろう。大丈夫なのか?」
「ちょっと待てよ。反逆者を見逃すのか。そのことが後で首脳部に知れたら俺たち懲罰くらうだろ」
 レンカクはいつの間にかトビのすぐ横まで移動していた。その顔にトビは視線を向けた。いつもの柔らかな視線ではなかった。ごく冷徹な、感情を消した視線だった。
「レンカク、お前はツグミと一緒に行って、内部の扉を開けてもらえるように委員と交渉しろ」
 レンカクの顔は、瞬時に眉間にしわを寄せたけげんな表情に変わった。
「何を言っているんだ。何で俺が、何でそんなこと。こいつ反逆者だろ。何で手を貸してやらないといけない。俺はここから逃げたいんだよ」
 トビはその言葉を無視してツグミに向かって言った。
「塔の内部の構造ははっきり言って俺も分からない。ただ入って上階に続くホールに入るには発光石でできた扉がある。それを開かない限り中には入れない。試したことはないが、エネルギー弾なんかの物理的な攻撃はたぶん効かないと思う。だから・・・」
 おい、レンカクが激高をかろうじて抑えながら、トビに食いかかった。
「俺はそんなことしないからな。それよりここからさっさと退却するぞ。全員死んじまうぞ、早くしろ、このノロマ!」
 トビは再び冷徹な視線をレンカクに向けた。
「今、この場の指揮権は俺にある。命令に従わない服務違反者に対する処罰権も現場指揮官としての俺にある。逃げると言うなら逃げろ。敵前逃亡者は射殺されても文句は言えないぞ」
 班長と副官はジッと互いの双眸に厳しい視線を送りつづけた。そして、いったん口を開いたため、今まで自分の中にとどめていた言葉が抑制を失って、トビの口からあふれ出してきた。
「お前が、たいして親しくもない俺の班に志願したのは、俺なら自分の思い通りに動かせると思ったからだろう。予想外に自分が班長に任命されなかったから、その代わりに人のよい班長の下について班を思い通りに動かしてやろう、そう思ったんだろ」
 二人は冷たい視線を送り合いながら身じろぎもしなかった。ただトビの口だけが言葉に合わせて動いていた。
「実際、お前は優秀だよ。俺より能力的には班長に向いていると俺も思う。だからいつもお前の言うことに従ってきたし、それに助けられてきた。だから今回もお前の提案に従って塔の警備に就いた。結果的に、厳しい状況に見舞われているがそれを責めるつもりはない。お前はいつも基本的に正しいことを言っている。たぶんそれを充分に活用できていない俺の責任だ。俺はお前を信頼している。だからお前に行ってほしいんだ。お前じゃないとできない任務なんだよ」
 二人ともにらみ合ったままだったが、トビの目にほのかな柔らかさが戻ってきた。
「ツグミはかなり変なヤツで、何考えているか分かんないところだらけだけど、ただ嘘だけはけっして吐かない。こいつが必要だと言うんなら、必要なんだろう。こいつが塔の中に入りたいって言うんなら、俺たちは止めてはいけないんだと思う。だからお前に行ってやってほしいんだ」
 自尊心をくすぐられてレンカクの視線も少し穏やかになったように見えた。
「何を言っているのか分かっているのか。こんな危険人物を中に入れても大丈夫なのか?」
「さあ、何をしでかすか。付き合いは長いけど俺にも分らない。でも何が起きたとしても、今のような最悪の状況から更に悪くはならないと思うぞ」
 トビは微笑を向けた。レンカクも釣られて苦笑した。
「確かに、今より悪くはなりようがないな」
 二人の話の中で自分がけっして良くは言われていないとは思ったが、ツグミはただ黙ってその話の推移を聞いていた。でも、時間がないの。ちょっと急いでくれないかしら。
「ツグミ、今、モズ隊長以下幹部たちは本部で拘束されている。俺たちは委員とともに配置され、首脳部の指令で動いている。ただ、ケガレのせいで見ての通り、このままだとすべてにおいてジリ貧だ。だからお前が動くことで何かが変わることに期待したい。お前の頭の中はイカルのことでいっぱいだろうけど、その片隅にでも俺が期待してるってことを覚えててくれ」
 トビはツグミに向き直った。ツグミは黙ってうなずいた。
 先ほどから周囲に漂う円盤が、次々に煙状に分裂して地表に降りてきていた。それは地表で幾つもの塊に変化していた。やがて数十匹もの赤い目をした黒犬の姿に凝り固まっていった。タミンたちはその姿に少したじろいた。自分たちに対して有効な攻撃手段を持ち合わせていない円盤のままなら自分たちに有利だった。しかしそれを察知されたのだろう。自分たちが苦手な黒犬が眼前に群れを成しはじめていた。
「レンカク、ツグミを連れて早く行け」
 トビは改めて攻撃態勢を整えながら言った。
「まだ俺、行くって言ってないだろう。勝手に決めんなよ」
「行かないのか?行かないなら命令違反で・・・」
「行かないとも言ってないだろ。行くよ、行ったらいいんだろ。その代わり、今度の模擬戦、イカル班に勝てる画期的な戦術を考えついたんだ。必ずそれを採用するって約束してくれ」
 こんな時に何を言い出すんだ、という顔つきをトビはしたが、仕方がないので答えた。
「分かった、必ず採用する」 
 レンカクは珍しく嬉しそうな顔をトビに向けた。そしてツグミに向き直って言った。
「さあ、行くぞ」
 ツグミが何を言う間もなく、話がさっさと決まって、さっさとレンカクは塔の中に進んでいく。トビは他の二人の班員に向かって、お前たちも一緒に行け、と声を掛けた。言われた兵士たちはあわててレンカクの後を追った。ツグミもあわててその後を追った。すると急に肩が軽くなった。タミンが肩から降りていた。ツグミは振り向いた。タミンがこちらを見てたたずんでいた。
「これ以上は無理なの。ごめんなさいなの」
 タミンの寂しさのただよう思念を聞いた。
「ううん、大丈夫よ」
 ツグミは意識的に微笑みながら思念を送った。それでもタミンの表情はさえないままだった。きっとあたしの役に立ちたいと思ってくれている、それなのに力になれないことが残念でしょうがないのだろう。そこでツグミは言葉を継いだ。
「じゃ、あなたたちはここで塔の中にケガレが入ってこないように守っていて。塔の中にケガレが入っちゃったら、たぶんお方様は耐えられない。たぶん力を吸い取られて衰弱してしまうわ。そんな気がすごくするの。だからお願い」
 言いながらツグミは、その言葉の通りに、ケガレを決して塔の中に入れてはいけない気が無性にし出していた。ケガレが塔の中に入るってことは、体内に毒を注入するのと同じ。少しの量なら耐性があるかもしれないけど、一定量を超えれば耐えられない。ここを守るってことはこの世界を守ること、そのものかもしれない。
「うん、分かったの。ツグミちゃんが戻ってくるまで、ここを守っておくの」
「お願いね。みんな、あたしが戻って来るまで頑張って。一人も欠けることがないように、約束よ」
 タミンは静かにうなずいた。分身たちが自分の持ち場で口々にキー、キーと声を上げた。
「トビ、このコたち、コガレたちをよろしくね。それから絶対にケガレを塔の中に入れないように。無茶を言っているのは分かってるけど、この世界のために、みんなのために頑張って」
 背後からレンカクの急かす声が聞こえる。ツグミはトビに声を掛けるとすぐに塔の中に駆けていった。
「分かっているよ」
 トビはそう声を発してから、そばにいる兵士に、他の班に対して至急加勢に駆けつけるように連絡させた。どれだけ来るか分からない。ケガレが流入して以来、電波はかなり乱れている。連絡が届くかさえ分からない。それに例え通信が可能だとしても、こんな危険極まりない戦闘最前線に駆け付ける兵士なんているのかさえ期待できなかったが、一縷の望みに懸けてみることにした。
 その通信の声を聞きながらトビは周囲を改めて見回した。
 あちこちで黒犬が形成されていた。もうすでに黒犬として動き出している個体もいる。ただ他の個体が形成し終わるのを待っているのか、それぞれ個別に襲ってくる気配はなかった。しかしその膠着状態も残すところ、あとわずかであるように見受けられた。黒犬に変化しようと志向していた黒い霧はほぼ全て形成をはじめており、その全ての行程が済むのに、もうのんびり待つほどの時間はなさそうだった。
 トビはいつもなら状況ごとに事細かに進言してくるレンカクがいないので、ちょっとした解放感に包まれていた。久しぶりに俺なりの指令を発してみようかな、そう思うと同時に腹の底から声を出した。
「全員射撃用意」
 トビは自分の持つHKIー500のエネルギー残量を示すライトをちらりと見た。もう半分ほどに減っていた。エネルギーが切れるのが先か、援軍が来るのが先か、他に手はないのか、少しの間、考えた。だが、すぐにやめた。とにかく今は目前の敵が体制を整える前にこちらから仕掛けるんだ。後のことはそれからだ。
「お前たち、コガレっていうんだな。俺たちはここじゃ敵を同じくする仲間だ。少々頼りない指揮官かもしれないが、よろしく頼むよ」
 タミンたちは応えなかった。しかし、その小さな身体に気力が満ちていることが見て取れた。小さいながらも頼もしく感じられた。トビは大きく息を吸って、そして吐いた。
「撃て!」
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